先週までの暑さはどこに行っちゃったの?というくらい肌寒い朝だ。今日は土曜日。ゆったりとした空気の中、息子の弾くギターの音が聞こえている。僕もああやってギターを練習してた頃があったよなあ。
中1の夏、初めて自分の小遣いでLPレコードを買った。井上陽水のサードアルバム 『もどり道』 だ。当時としては大金(2300円?)だったが、その分大切に何度も聴いた。その後4作目の 『氷の世界』 が出る頃には全作買い揃え、ついでにギター譜までそろえて、夜な夜なギターの練習に精を出したものだった。
回りには「拓郎派」の友人もいたが、僕は圧倒的に陽水びいきだった。中学時代の僕には当時の吉田拓郎に感じていたストレートでぶっきらぼうなイメージよりも、陽水の持つ叙情性、繊細さの方が共感できたのだろう。その後、期待して購入した5作目 『二色の独楽』 は、一転ROCK色の強さから僕の期待を大きく裏切り、急速に「陽水熱」は冷めていったのだが・・・
『招待状のないショー』 は6作目のアルバムで、前作からやや時間をおいた1976年3月25日に発売されている。その直前に、陽水・拓郎・泉谷しげる・小室等によるフォーライフ・レコード設立が話題になっていて、久々に出てくる新作(フォーライフレコード第1弾)をぜひ聴いてみたいと思い、発売日を待ちかねて購入した。高校入学の直前である。
ただし、高校時代、陽水をあまり聴き込んだ記憶はない。前作のような拒否反応はなかったものの、興味は既に違う方向に向かっていた。ただ、陽水の中でもこのアルバムだけは、その後カセットテープに録音して、大学時代、就職後も手元に置いていた。長いブランクを経て再度頻繁に聴くようになったのは、10年ほど前にCDのリマスター盤を入手してからで、今や僕にとっては外せない愛聴盤になっている。
この作品はトータルアルバムとして全曲の流れがひとつの世界をつくっていて、それまでの彼のアルバムには見られない凝った構成になっている。そのテーマは「別れ」ではないかと思うが、逆にこのアルバムには、それまでの陽水のアルバムにはない、ある種の明るさがある。孤独の裏側にぼんやりとした希望が透けて見えているのだろう。
多重録音による調弦風アカペラコーラスの後、アルバムはいきなり1曲目「Good,Good-Bye」の軽快な“さよなら宣言”で始まる。始まっていきなりグッバイかい、と突っ込みたくなるこの曲には、まだデビュー前の矢野顕子がコーラスで参加していて、みずみずしい声を聞かせている。そして間髪を入れず、名曲「招待状のないショー」へ。さよならのあとの“喜びの予感”を感じさせるこの曲からは、編曲者・星勝の意欲が伝わる。恐らく賛否両論あるのだろうが僕はこの編曲が好きだ。”好きな歌を思いのままに”。高らかに歌い上げる陽水の声は、その歌詞そのままに、新天地で思い通りの音楽をつくることができる喜びに満ちている。
☆ Link:招待状のないショー / 井上陽水
この2曲をプロローグとして、3曲目の「枕詞」(まくらことば)と終曲の「結詞」(むすびことば)で挟まれた本編へと幕は開く。そこでは陽水ならではの詩的で抑制のきいたことばによって、別れの周辺に浮かぶ感情や情景が表現され、一方で出会いの予感も垣間見ることができる。そのジャンルを超えた音楽表現・締まった演奏からは、かつての「フォークソング」のイメージは消えている。
そして終盤の佳曲「もう・・・」。”もうあの娘には逢えない”というフレーズでいきなりぷっつりと終わる。ジ・エンド。静寂。深い喪失感。空白の後、終曲「結詞」へ。
「結詞」には中盤にアップテンポの長い間奏が入るが、アルバムを通して唯一の難点は、この間奏部分の編曲の陳腐さだ。人によって好みはあるのだろうが、僕はいつまでたってもこの部分は好きになれない。しかし間奏後の後半部分は、そのマイナスを補って余りあるすばらしいエピローグへと展開するのだ。このアルバムの中毒性は、夢の中にたゆたうようなこのエピローグにあるのではないかと思っている。
☆ Link:結詞 / 井上陽水
後になって、このアルバムの発売直前に最初のパートナーと別れ、また同じ頃今の奥様(石川セリ)と出会っていることを知った。苦さと甘さが同居したこのアルバムは、公私共に新たなステージを迎えていた陽水の、その時点での素直な気持ちが表現されたものなのだろう。しかしそういうこととはまったく関係なく、ひとつの作品としてこのアルバムは時代を超えている。恐らくこれからも僕の愛聴盤であり続けるだろう。
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