「ノラや」という内田百閒の随筆がある。百閒先生特有のちょっととぼけた文章で綴られる味わい深い連作集は、愛猫ノラとの出会いから始まる。その後ノラの失踪による捜索と落胆のどたばた劇、胸ふさがれるような悲痛な思いが、少し「おかしみ」を感じさせる文章で切々と綴られていく。
百閒先生はその中で、オス猫に「ノラ」と名づけたことの言い訳をしている。イプセンの「人形の家」のノラは女性名だが、愛猫ノラは「野良猫」のノラである。「時勢が変われば人間だって男だか女だか判然しなくなり(!)、入れ代わったりしないとは限らないから男のノラで構わぬ事にする。」と、強引に結論を出しながらも、言い訳を何度もくりかえしていて、なんともおかしい。
さて、「ノラ」を「Norah」とつづればどうだろう。やはり、あとは「Jones」と続くしかない。今やNorahの人気は世界的だ。「ノラ」も出世したものである。
2002年、彼女が歌う「Don't Know Why」は、新人ノラ・ジョーンズを一躍スターダムに押し上げた。いまや、ニュー・スタンダードとも言える曲である。その年の春先、この曲が冒頭を飾るデビューアルバム 『Come Away With Me』 が静かに店頭に並んだ。僕が購入したのはUS盤が発売された直後で、ブルーノートレーベルから出たジャズの新人、というとらえ方だったと思う。当時、試聴せずに買うことを信条としていたので、POPを見ただけで購入を決めた。(今はたまに試聴もします。)
自室で最初に聴いたときは、どうもピンと来なかった。ジャズの名門レーベルから、ということもあって、バリバリのジャズボーカルアルバムを期待していたのに、肩すかしをくったみたいだった。ノラの声も鼻腔に響きながらフカフカ抜けるような脱力系。ジャズといえばジャズかも知れないが、カントリー色が強く、一度聴いたきりで1~2ヶ月そのままになっていた。
しかし、得てして最初にこういう出会いだったアルバムほど、後で味わいがじわじわと深まってきて愛聴盤に育っていったりするものだ。試聴していれば、まず買っていないだろうから、試聴せずに買う、というスタイルは正しかったと言える。2ヶ月近い熟成期間を経て2度目に聴いたとき以降、冒頭の「Don't Know Why」のギターでつま弾かれる前奏を聴くだけで、なんとも穏やかな気分に包まれ、だんだん彼女の世界から抜けられなくなってしまった。
その年の後半、米国・カナダに出張の機会があり、そこで目にしたノラ・ジョーンズの売り出し媒体の多さ、大きさに驚いてしまった。あんなに地味な音楽を、かくも盛大に押し上げている。日本にいたのではわからないこの現象に、これは一体何事?と素直に思った。少なくともジャズのアルバムに対する扱いではない。日本人にはわからない彼の地でのカントリー人気もあるのかもしれない。とにかく破格だった。
ここからの派生で、その年の冬、新たな音楽との出会いがあった。「Don't Know Why」の作者であるジェシー・ハリスのアルバム 『Jesse's Box』 である。これは彼がそれまでに出したインディーズでの2枚のアルバムを日本で編集したもので、目玉はなんと言っても「Don't Know Why」のオリジナルバージョンが入っていることだった。
ジェシーはニューヨークを拠点に活動するシンガー・ソング・ライターで、ノラ・ジョーンズが通うノース・テキサス大学でのライブに出演するミュージシャン仲間と共に彼の地を訪れ、機材の送迎役をしていたノラと出会う。その後意気投合し、ノラは大学を中退。ニューヨークに居を移して、ジェシーのバンドでジェシーの曲を歌うようになる。メジャーデビューを果たしたノラのアルバムには、もちろんジェシーも参加している。
このアルバムはノラの時とは違い最初から違和感なく受け入れることができた。柔らかなジェシーの歌声と彼の生み出す気持ちの良い音楽は、彼の自由で素直な音楽への姿勢を等身大で伝えてくれる。ここでのオリジナルの「Don't Know Why」を聴き、初めてその歌の内容にまで素直に入り込めた。ジェシー・ハリスの音楽にはそれをさせてくれる微妙な隙間がたくさんある。
"I don't know why I didn't come."「どうして僕は(迎えに)いかなかったんだろう。自分でもわからないんだ...」
人には色々な複雑な感情が生まれ、素直になれないときもある。意地を張ってしまって、後になって後悔もする。しかし、取り返しがつかないことだってある。そんな時は、それが運命だったんだと自分に言い聞かせる。それでも、やっぱり思ってしまう。どうして僕はあの時、迎えにいかなかったんだろう。
「Don't Know Why」は、喪失感と後悔の歌だった。この穏やかなメロディーだからこそ、余計に胸に迫るものもある。冒頭の「ノラや」で、百閒先生も「ノラ」を失った喪失感を綴る。百閒先生はとにかく泣くのだ。思い出して泣く。心配して泣く。これが明治生まれの男なのかというくらい泣く。それを素直に文章で綴る中に「おかしみ」が生まれる。その「おかしみ」の中にこそ、暖かく胸に迫るものがある。
その後のノラ・ジョーンズはご存知の通り。翌年の春のグラミー賞で、ノミネートされていた8部門全て受賞、という新人らしからぬ快挙を成し遂げる。その時23歳の新人アーティストは一躍シンデレラガールになった。彼女のアルバムはこれまですべて聴いてきたが、まだどこか理解し得ない部分が残っている。そんな不思議な感覚を持たせてしまうこと自体が、ノラ・ジョーンズの「深さ」なのかもしれない。
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