Jerrio’s Cafe ~ 気がつけば音楽が流れていた

 店主 Jerrio の四方山話と愛聴盤紹介。ジャンルの壁を越え、心に残った音楽について語ります。

誠実さと好奇心と

 もう何年も前から、ほとんど夢を見ない。平日はキュッとコンパクトに眠っているので、夢を見ている暇がない、ということかもしれない。では休日は? というと、やはり年齢とともに惰眠を貪れなくなってきたので、夢の量は相当減った。

 10年ほど前に親父が急逝したとき、1年目の区切りを迎えるまで、昼夜を問わず突然どうしようもない喪失感で、胸が詰まってしまうようなことが何度もあった。それなのに親父は夢の中になかなか現れなかった。何の準備もないまま突然に逝ってしまったのだから、言い残したことの一つもあって、一度くらい出て来てくれてもいいじゃないかと、人知れず憤慨した。

 その区切りを迎える少し前、ようやく親父が夢に現れた。夢の中で僕は実家の居間に座っていた。外でいつものバイクの止まる音がして、ガラガラっと玄関の開く音と「帰ったよ~」という親父の声。僕はうちの奥さんに向かって、「よかった~、おやじ帰ってきた!」と言い、入ってきた親父の顔を見た。「やっぱりあれは夢やったんやね」と問う僕の言葉に、親父はうなずくこともなく、ただ笑顔を見せるだけだった...たったそれだけの夢。一度きりの登場だった。でもそれは僕に、親父は心残りなく納得して逝ったのだ、という根拠のない確信をもたらせてくれ、それ以降少し吹っ切れた気がしたものだ。

 震災の二日後のブログで、僕はTBSのニュース23のキャスターだった故・筑紫哲也さんのことを書いた。それがどこかに引っかかっていたのだろうか、しばらくして、なんと筑紫さんが夢に出てきた。シチュエーションははっきりしないが、覚えているのは「多事争論」のコーナーでの、見慣れた筑紫さんのポーカーフェースだった。

 社会人になって毎晩ニュース番組を見るようになったが、若いころはニュースステーション派だった。テンポよく小気味いい久米さんのニュースに慣れてしまうと、他局のニュース番組のテンポにいらいらするようになった。今考えれば仕事でも余裕がなく、すぐにいらだつ未熟な時期だった。

 やがて残業時間の制約に縛られなくなり必然的に帰宅時間が遅くなると、10時からのニュースが見られる日が少なくなった。そのころにはニュースステーションに少し違和感を覚え始めてもいたので、自然と11時からの「筑紫哲也ニュース23」を見るようになった(それすらも見られない日も多かったのですが...)。

 筑紫さんには、久米さんのテンポや饒舌さはなかったし、皮肉で切り返すような人柄でもなかった。年齢もかなりいっていたし、批判にあったときに弱い一面も覗かせていた。しかし、その誠実さと尽きることのない好奇心。楽しいときに見せる屈託のない心からの笑顔。テレビを通しても、この人は信頼できる、と思えるような手触り感があり、僕は大好きだった。

 そう言えば、既にニュースキャスターをしていた筑紫さんを、福岡の山奥で見かけたことがある。うちの奥さんの実家に帰っているとき、まだよちよち歩きの子供たちを両親にまかせ、子供が生まれて以来初めて二人きりで出かけた。どこに行こうか考えた末、多少時間はかかったが、学生時代一緒に訪れたことがあった福岡県甘木市にある秋月の町に行った。秋月は、明治維新の時、秋月党の乱のあった小さな城下町で、自然と調和した雰囲気のある静かな町並みが魅力だ。

 そこを歩いているときに前方から筑紫さんが案内の男の人と二人で歩いてきた。案内の人にいろいろ質問をしているようで、僕たちの視界にいる間中、楽しくて仕方ないと誰が見てもわかるような満面の笑み。全身から好奇心の湯気が立ちのぼっているような人だった。テレビで見るよりもがっしりした印象で、大きな背中の人だな、とぼんやり思った。こんな都会と隔絶された遠い場所に来ていながら、翌日はきちんと番組をこなしていた、と記憶している。

 恐らく死を覚悟した文字通り最後の90秒コラム「多事争論」は「変わらぬもの」というタイトルだった。そこで筑紫さんは19年間続いた、自らの名前を冠したこの番組のDNAを3つ挙げていた。これは彼自身の指針だったのだと思う。

・力の強いもの、大きな権力に対する監視の役を果たそうとすること

・とかく一つの方向に流れやすいこの国で、少数派であることを恐れないこと

・多様な意見や立場を登場させることで、この社会に自由の気風を保つこと

先日のブログにも書いたが、この震災を筑紫さんだったらどう報道し、何をコメントしただろう、とずっと思っている。悲痛の中にも黙々と誠実に行動を起こす筑紫さんの、愛ある眼差しが見えるようだ。

 

 さて、今日の音楽は2005年から2008年までこのニュース23のテーマ曲だったBank Band with Salyuの「to U」にしよう。

 Bank Band は音楽プロデューサーの小林武史ミスチル桜井和寿が中心となってチャリティーを目的として結成しているバンドで、メンバーは流動的である。この曲はニュース23のために作られたものではなく、曲や歌詞が番組のコンセプトに合致しているということで、筑紫さん自ら選んだとのことだ。(アルバム 『沿志奏逢2』 に収録)

 まさに今こそこの曲の出番だと感じている。震災から1ヶ月が経過した今、この震災の影響を受けているすべての人に届いてほしい音楽だ。この曲を選んだ筑紫さんの思いが伝わってくる愛に満ちた曲。きっと彼が生きていれば、多くのミュージシャンに声をかけこの曲を番組で流したことだろう。

 すべての人に、届きますように...

 

<追記> 

 「to U」のスタジオ版には、Salyu だけが歌う、Salyu Version もあります。Salyuのアルバム 『Terminal』 に入っていますが、こちらもいいです。

 

 

<関連アルバム>

沿志奏逢2

沿志奏逢2

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TERMINAL

TERMINAL

  • アーティスト:Salyu
  • Toysfactoryレコード
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