Jerrio’s Cafe ~ 気がつけば音楽が流れていた

 店主 Jerrio の四方山話と愛聴盤紹介。ジャンルの壁を越え、心に残った音楽について語ります。

清水界隈を歩く

 一昨日、天気もよさそうだったので、散歩がてら京都に足を伸ばした。最近、通勤も8割がた車を使うようになって、運動不足も甚だしい。何か定期的に体を動かせればいいのだろうけど、その時間も取れそうにない。せめて趣味と実益を兼ねて散歩するくらいかな、ということで、休日に思い立てば、それを口実に気の趣くまま街中に出てぶらぶらしている。

 今回はうちの奥さんの要望も取り入れ、2年ぶりに清水方面に出かけた。9時半頃家を出て、車を京阪沿線、最寄り駅近くの駐車場に止め、電車で京阪・清水五条駅へ。時間は10時半。ここから五条坂、清水新道を清水寺へ向かって登り、帰りは産寧坂二年坂を通って八坂神社までゆっくり下るという、定番の散歩コース。染井吉野は既に終わっているが、仁王門前の枝垂桜は、かろうじて花を残している。八重桜(恐らく関山)、御衣黄桜は満開で美しく、所々で参道をひかえめに彩っている。

 さて、このコースを楽しく行くには、おのぼりさんに成りきるに限る。何度か来ていると、感じのいい新しい店はすぐにわかる。おいしそう、と思ったら、買ってみて歩きながら食べる。気になる脇道は、迷わず入ってみる。そんなことをしているから、いつまでたっても前に進まない。ずっともぐもぐしながら、あちこち、ふらふらしている。

 しかし、すごい人波だ。ここはいつ来ても多いのだが、地震の影響で減っている、という印象はない。一つ以前と明確に違う点は、多くの若い人たちが着物を着て歩いていることだ。どうも手軽に借りられるセンスのいい貸衣装屋さんがいくつかできているようだ。見ていると、二十歳前後の女の子同士、あるいはカップルが多いように思う。着物の柄もかつてのような、いかにも貸衣装、という感じのものだけでなく、シックで落ち着いたものも多く、巾着袋から髪の毛まで、しっかりアレンジされている。それが周りの風景に結構馴染んで、さらにいい効果をもたらしているように思う。かつてのタレントオーナーの軽い店が乱立していた頃に比べれば、お店も歩いている人の雰囲気もずっといい。ようやくこなれてきたのかなと思う。

 やっとのことで到着した清水寺の入り口手前、左手に清水寺成就院・特別公開の看板が。この期間しか公開されていない庭園を見ることができるということで、迷わず向かう。

 成就院の庭園は、別名「月の庭」と呼ばれる国の名勝であり、江戸時代初期を代表する名庭。敷地外の高台寺山を借景して、限りある庭に無限の広がりを持たせている模範的な借景式庭園である。この時期と秋の一時期にしか公開されない。「月の庭」と呼ばれながら、ここから月を見ることはできない。月は建屋の真上にあがり、月明かりが、庭の砂や石や木を照らすことで、幻想的な景色が広がるとの事だ。昼間でも十分に素晴らしいのだが、いちどその世界を見てみたいものだ。(残念ながら、写真は一切禁止でした。)

 この庭を臨む座敷に座り、外の景色を眺めていると、新緑は新しい息吹を感じるほどにすがすがしく、微細な緑の濃淡は美しく、入ってくる風も穏やかで、本当に気持ちが良かった。人はそれほど多くなく、さすがに横にはならなかったが、足を投げ出してうつらうつら。少し眠ってしまった。

 お茶をいただき、重い腰を上げて外に出る。案内板を見ると、他にもいくつか特別公開されているところがあるようだった。「よし!今日は清水の舞台は無し!」と、清水寺本堂の入り口で踵を返した。特別公開の庭専門で行こう!もうひと眠りー!

 その後、清水坂産寧坂二年坂と、いろいろ引っかかりながら高台寺方面へ。そこで「高台寺」と北の政所終焉の地「圓徳院」を巡る。この圓徳院の庭がまた良かった。北政所伏見城から移した桃山時代を代表する枯山水だが、庭先から見る庭の感じと、座敷の奥から眺める庭の風情が全く違う。なかなかゆっくりできたが、少し人も多く、さすがに眠れなかった...うーん残念!

 ということで、散歩をしているはずが、完全に観光客と化してしまい、四条にたどり着いたときには、なぜかいろいろなものを両手に抱え、時間は夕方ってわけ。どうもすみませんっ!

 

 さて、今日の音楽。清水での散策の前夜、ウイリアム王子とキャサリン妃ロイヤルウェディングの中継があり少しだけ見ていたのだが、それと関連する愛聴盤を紹介しようと思う。(京都とは関係ないが...)

 今回の挙式はチャールズ皇太子・ダイアナ妃の時より、うんと小規模だったらしい。当然呼ばれてしかるべきブレア元首相やブラウン前首相も参列していない中、ウェストミンスター寺院の座席最前列に、今にも泣き出しそうなエルトン・ジョンとそのパートナーが座っていたのは目を引いた。考えてみると、ダイアナ妃との親交が厚かったエルトンジョンが、14年前、15歳だったウィリアム王子を気にかけ、その後も深く関わってきたであろう事は容易に推察できる。

 14年前、同じこの場所での葬儀の中、エルトンジョンは、もともとマリリンモンローへの哀悼のために作った「Candle in the wind」の歌詞を変え、ダイアナ妃に捧げ、熱唱した。その後、この曲はシングル盤として再びヒットしたのだが、その時からさらに24年前に発売された彼の7枚目のアルバム 『Goodbye Yellow Brick Road』 に原曲は入っている。

 このアルバムは、彼の最高傑作ではないかと思う。僕自身初めて聴いたのは、大学に入って友人の持っていたアルバムを拝借した時だが、それまでは、「どうもこの人は無理」、という感じで敬遠していた。もちろん1970年に大ヒットした「Your Song」は知っていたが、その後、知名度が上がるとともに、そのデビュー曲とは全く結びつかない奇抜で派手なスタイルが露出され、その理解の枠を超えたはじけ様は、まだ10代の少年を遠ざけるには十分だったのだ。

 恐る恐る聴いたこのアルバムは、僕に「先入観で判断を下してはいけない」ということを教えてくれていた。2枚組のLPレコードだったが、頭から尻尾の先までしっかりあんこの詰まったたい焼きのような、あまりに素晴らしいトータル・アルバムだったのだ。

 もともと、このアルバムは2枚組にするつもりはなかったらしい。しかし、次々に出てくる曲想を紡いでいくと、結果的に2枚になった。その全盛期の爆発的な才能の発露が、こういう形に結実したのだろう。そういう点では、買いなおしたCDでは1枚に収められているため、快適ではある。

 全般的には、エルトンジョン・バンドとも言えるメンバーのバンドサウンドが基本だが、これがすごくいい。締まった音とその技術の高さは、幼児期からピアノの神童と呼ばれ、11歳で王立音楽院で学び始めた彼のピアノが軸になって、未だに古さを感じさせない。しかもそれらは、単にがちがちの音ではなく、ポップ色の強い、バラエティーに富んだ味付けがなされているのだ。そして、当時全盛だったプログレッシブロックの影響を感じさせる曲「Funeral for a friend」やレゲエ色の強い曲「Jamaica Jerk-off」など、様々な音楽の要素もふんだんに取り入れている。

 しかしやはりこのアルバムの魅力は、ナイーブな彼の内面を垣間見せるいくつかの楽曲が効果的に配されているところだろう。前述の「Candle in the wind」もそうだが、やはりタイトル曲「Goodbye yellow brick road」に尽きる。ファルセットを駆使したコーラスを効果的に使い、ピアノの音がさらに思いを高める。その心の奥をさらけ出したような響きがたまらない。

 そして僕の大好きな最後の曲、「Harmony」。このアルバムの様々な美点を、余韻として十分に残してくれるこの曲にも脱帽である。

 このアルバムは、ぜひカラフルなインナーブックを眺めながら楽しんで欲しい。そして、2枚組みのLPレコードの4面がいったいどこで区切られていたのか、曲と曲のつながり、間の取り方も含め、エルトンジョンの意思を感じながら聴けば、なお楽しい。

 40年近く前の音楽とはとても思えない素晴らしい一枚である。

 

 *** ダイアナ妃の葬儀で歌われた「Candle in the Wind」も、ぜひどうぞ。

 

 

<関連アルバム>

GOODBYE YELLOW BRICK ROAD

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