Jerrio’s Cafe ~ 気がつけば音楽が流れていた

 店主 Jerrio の四方山話と愛聴盤紹介。ジャンルの壁を越え、心に残った音楽について語ります。

サウダーデの心

 「サウダーデ(Saudade)」というポルトガル語をご存知だろうか。ブラジルでの方言「サウダージ」が楽曲のタイトルとして使われたりしているので、「知ってる」という人も多いだろう。このポルトガル語の意味を正確に表す日本語は無いと言われている。強いて言うなら「郷愁」とか「切なさ」とかになるのだろうが、それはこの言葉の一側面を表しているに過ぎない。

 平凡社の「スペイン・ポルトガルを知る辞典」には、こう書かれている。

「サウダーデとは、自分が愛情・情愛・愛着を抱いている人あるいは事物が、自分から遠く離れ近くにいない時、あるいは自分がかつて愛情・情愛・愛着を抱いていた人あるいは事物が、永久に失われ完全に過去のものとなっている時、そうした人や事物を心に思い描いた折に心に浮かぶ、切ない・淋しい・苦い・悲しい・甘い・懐かしい・快い・心楽しいなどの形容詞をはじめ、これらに類するすべての形容詞によって同時に修飾することのできる感情、心の動きを意味する語である。」

 ...んー、なんとも、複雑である。

 

 僕の大好きなエッセイストにして数学者でもある藤原正彦氏のエッセイ集「数学者の休憩時間」に「父の旅 私の旅」という一編が収録されている。これは父・新田次郎の絶筆「孤愁-サウダーデ」での、ポルトガル取材旅行の足跡を自らたどったもので、元々新田次郎はこの中で、明治期に日本に駐留し、辞職後日本に残ったものの、悲運のうちに徳島の地で没したポルトガル総領事モラエスの生涯を書こうとしていた。

 藤原氏はその中で、「単なる悲哀だけではなく、甘さと表裏一体をなしている」この言葉の意味を出会う人全てに飽くことなく尋ねて回った父親の足跡を追い、サウダーデの本質を理解しようした。そして、質素な生活の中に豊かな涙をたたえ、今もサウダーデに生きるポルトガル人に感嘆の声を上げ、日本を訪れた最初の西洋人がポルトガル人で本当に良かった、とまで吐露しているのだ。

 今日紹介の音楽は、このサウダーデを随所に感じさせてくれるブラジル由来のアルバムである。ブラジルは中南米唯一のポルトガル語使用国家だ。スペイン語公用語とする他のスペイン植民地だった国々と比べると音楽的・人質的な違いも大きい。ブラジル音楽は僕の生活の中では、この季節からようやく活躍を開始するが、その中からの一枚。トゥーツ・シールマンスの 『ブラジルプロジェクト』 を紹介しよう。(ブラジルだからサウダーデではなくてサウダージですね。)

 言われてみれば、トゥーツ・シールマンスの吹く哀愁あふれるハーモニカには、サウダージの表現がぴったりくる。最初目にしたときは、ジャズの香りの強いトゥーツのハーモニカとブラジル音楽の組み合わせは、もう一つぴんとこなかったが、いやー、これが素晴らしいのなんのって。

 このアルバムを聴くまでは、ボサノバという切り口では聴いていたが、MPB(ムジカ・ポプラール・ブラジレイラ/ブラジル・ポピュラー・ミュージックの総称)の音楽には、未だ入り込んでいなかった。しかしこのアルバムに楽曲とともに参加しているMPBの大スターたちの音楽は、あまりにも魅力的だった。イヴァン・リンスカエターノ・ヴェローゾルイス・ボンファ、ジルベルト・ジル、ドリ・カイミ・ジャヴァン等々...挙げ始めるときりが無い。今考えれば、良くぞこれだけのメンバーを集めたものだ(だからプロジェクトなのですね!)、とびっくりするが、それもこれもトゥーツの音楽や人柄に対する彼らの尊敬の念と、プロデューサーでギタリストのオスカー・カストロ・ネヴェスの力によるものだろう。僕自身、その後次々に彼らの音楽を追うことになっていく、まさに僕の音楽嗜好に大きく影響を与えたアルバムなのである。

 一曲目「コメサール・デ・ノーヴォ」はイヴァン・リンスの楽曲。もう最初からトゥーツは情感いっぱいに吹きまくり、最後にかぶさるイヴァン・リンスの声が、開放的でありながら哀愁を秘めたこのアルバムを予感させてくれるようだ。4曲目のドリ・カイミとの「吟遊詩人」は、語りかけるような暖かなドリ・カイミの声とトゥーツのハーモニカのフレージングが絶妙な対比を成す。そして9曲目のカエターノ・ヴェローゾとの「移り気な心」。男の色気を感じさせるカエターノの声にトゥーツのハーモニカはあまりにもマッチしている。全編、様々なポイントで「ああ、これがサウダージなのか」と納得してしまうような、感情の高ぶりを感じさせてくれる音楽の世界が広がっているのだ。

 このアルバムは1992年のリリースだが、その翌年、続編 『ブラジルプロジェクトVol.2』 がリリースされた。これもほぼ同メンバー。実は僕はこの第2弾を先に購入して、その後、最初のアルバムに戻っている。そのせいか、当初はこちらの方をよく聴いたが、今聴けば甲乙つけがたいレベルである。

 

 話を元に戻そう。新田次郎が書こうとしていたポルトガル人モラエスは、生前「ポルトガル人を最もよく理解できるのは日本人である」と語ったという。それは即ち、サウダーデの心を持っているということだ。それがブラジル音楽の日本での人気とつながっているのだとすれば、なんとなくうれしい。

 しかし一方で、それは自然の脅威を受け止めながら生きていくしかなかった日本人の根底に流れているものから来ているのではないかとも思ってしまう。極東の国、日本に宿命的に根ざした性質なのだとすれば...少し悲しい。たとえそれが日本人の美質につながっているのだとしても...

 

 

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