Jerrio’s Cafe ~ 気がつけば音楽が流れていた

 店主 Jerrio の四方山話と愛聴盤紹介。ジャンルの壁を越え、心に残った音楽について語ります。

ゴルトベルク三昧

 先週の月曜日、きちんと合わせたはずの目覚まし時計が真夜中に突然鳴って起こされて以来、必ず一度夜中に目が覚めてしまう日が続いている。寝入って2時間半から3時間程度。少し心臓もどきどきしていて、再度眠るのに多少時間がかかるので睡眠不足気味だ。まったくもう~...

 20代のころ、興味があったので睡眠について調べたことがある。睡眠はそもそも成長や疲労回復に欠かせないものだが、そうした通常の睡眠の中に、一定周期で全く別種の睡眠が混じることがわかっている。この睡眠は「逆説睡眠」あるいは「REM睡眠」と呼ばれている。「逆説睡眠」は、明らかに脳波的には起きていてアルファ波がどんどん出ているのに、逆に身体的には眠っている状態、ということでついた呼び名だ。「REM」はRapid Eye Movement のことで、その間の特徴として、急速な眼球運動が認められることから来ている。

 人によって多少の違いはあるが、この「REM睡眠」が最初にやってくるのは、寝入ってから90分後。それから90分ごとに巡ってくる。最初のREM睡眠は一般的にはかなり短く、人によっては無い場合もあるが、2度目(3時間後)以降は徐々に長くなり、通常の眠りの方も浅くなる傾向だ。このREM睡眠の時に目覚めれば、”スッキリ!”起きられる、ということになるのだ。

 この睡眠状態と夢との関係もわかってきている。通常の眠りのときにみる夢は「思考型の夢」で、例えば仕事でずっと一つのことを考えていると、引き続き夢の中でも考えてしまうようなことがよくあるが、これは明らかに思考型だ。一方、REM睡眠のときに見る夢は「夢想型の夢」で、非現実的であったり、脈絡の無い人物が出てくるなど、いわゆる「夢らしい」夢である。

 このあたりのことを調べていた頃、REM睡眠のタイミングを脳波で検出して耳元で見たい夢のトリガーとなる音を鳴らしたり、スッキリ起こしたりする装置アイデアを、ある場所で披瀝したことがあるが、その場にいた外国の方から、特許を出しておくべきだ、としつこく言われたことを思い出す。その後どうしたんだっけ...

 

 さて、今日の音楽。睡眠不足気味なので、安らかな昼寝をたっぷり演出するJ.S.バッハの「ゴルトベルク変奏曲」三昧としよう。「ゴルトベルク変奏曲」というのは俗名で、正式名称は「クラヴィーア練習曲第4部 アリアと種々の変奏曲(BWV 988)」であり、前後のアリアと30の変奏曲の全32曲から成る。ゴルトベルクはバッハの弟子で、若いチェンバリストの名前だ。当時彼は、ドレスデンの宮廷に滞在していたロシア公使カイザーリンク伯爵のお抱え音楽家だった。この伯爵が相当な不眠症。夜な夜な眠れないご主人様の気を紛らすために、チェンバロの演奏をしなければならない立場だった。でも、毎日ですからね。恐らく伯爵は、「なあ、ゴルトベルクや。その曲、こないだも弾いとったやつとちがうか?もっとパリーッとしたええ曲、あれへんのかいな」とロシア訛りのドイツ語でぼやいていたに違いない。(ロシア訛りを知らないので関西訛りにしてみました。)

 ということで、早速伯爵は、宮廷作曲家だったバッハにパリーッとした新曲を依頼した。「穏やかでいくらか快活な性質をもち、眠れぬ夜に気分が晴れるようなクラヴィーア曲」というのがその希望だったらしい。伯爵はこの曲をいたく気に入り、ルイ金貨100枚の入った金杯をバッハに贈り、この曲を「私の変奏曲」と呼んで、毎晩、ゴルトベルクに演奏させた、ということだ。では、僕の愛聴盤の「ゴルトベルク変奏曲」たち。どうぞよろしく!

 

 まずは1枚目。僕が初めて購入して聴いたゴルトベルク変奏曲グレン・グールド(ピアノ)の1981年版だ。入社2年目。ほとんど給料一か月分はしたCDプレーヤーを悩んだ末に購入し、ほぼ同時に買った一枚だ。たまたま選んだ一枚だったのだが、結果的にはあまりに素晴らしい選択だったといえる。僕の中のこの曲の評価軸になってしまったわけだが、おかげで、誰も横に並ぶものが未だ現れない。この当時は前述の逸話を、「伯爵が聴きながら眠るために依頼した」、と勘違いしていたので、グールドのゆったりとして豊かなアリアを聴きながら、さぞ眠れたんだろうな、と思っていた。とんだ勘違いだったが、このアルバムは、あのグールドの遺作であり、今年はこの遺作30周年ということで、グールドの特集が色々組まれたりしている。それはすごい一枚なのだ。

 

 2枚目はカール・リヒターチェンバロ演奏。バッハの演奏に生涯をかけ、指揮者にしてオルガニストチェンバリストであったリヒターの劇的な一枚だ。バッハの時代の真の姿を表現した名盤で、作曲した当時のスタイルで聴いてみたくて購入した。当時僕は、学生時代のオーケストラOBを中心に結成したバロックアンサンブルに参加し、年に数回、神戸の教会や小さなホールでバロックの演奏会を行っていた。本番前には、神戸の北野近くにあるハープシコードを演奏する先輩の自宅洋館(指定文化財)に集まり、毎週練習を行った。もう、活動を休止してずいぶんになるが、最近またやろうよ、と話し合っている。

 

 ここからは、昨年以降に買ったアルバム。まずは、ゴルトベルク・マイブームに火をつけた一枚。Teodoro Anzellotti のアコーディオンによるゴルトベルクだ。僕がアコーディオンの音好き、ということを差し引いても、んー、あまりにすごい。感動をありがとう。この教会の香りのする演奏、パイプオルガンを思わせる響き。左手低音部の動きを表現する超絶技巧も含め、とても聞き流せない迫真の演奏だ。あー、演奏をみてみたいー!

 

  4枚目は弦楽合奏版。バイオリニストのシトコヴェツキーが、小さい頃からグールドの弾くゴルトベルク変奏曲に心酔し、いつか自分の弾く楽器で演奏できないか、と研究に研究を重ねて編曲した弦楽合奏版である。まるでバッハ自身が弦楽のために作曲したかのように違和感なく響く。弦楽器を演奏する自分にとっては、うん、やってくれたな、と思わせる一枚だ。いいです!(弦楽トリオ版はまだ、これはというアルバムに出会っていません...探さなきゃ。)

 

 5枚目はこれも先月見つけて、幸せな気分にさせてくれた一枚。ハープ奏者、Catrin Finchの演奏だ。これは気持ちいい。柔らかな気品が随所に漂う。どこにも破綻の無い、完璧な演奏。この曲、こんなにもハープに合っているのか、と再認識させてくれる。これが一番眠れるゴルトベルクかもね。アルファ波全開間違いなし!

 

 そして6枚目。先週購入したグールドの1955年版だ。遺作から聴いてしまった僕が、二十数年ぶりにデビュー作に立ち返る。このアルバムは彼の出世作というだけでなく、当時チェンバロの目立たない曲だったこの曲を一躍ピアノで踊り舞台に引き上げた作品である。実は残念ながらまだあまり聴いていない。しかし認識したのは最初のグールドのところに書いた「勘違い」はやはり「勘違い」だったってこと。81年版と比較すれば、より躍動的で若々しいグールドの音楽は、とても眠らせてくれる代物ではないのだ。さて、またじっくりと聴かせてもらおうかな。来年のグールドの没後30周年に向けてじっくりと。またまた、にぎやかになってきそうな予感がする。

 

 これだけ聴くと、さすがに満腹する。不眠のための音楽、ゴルトベルク変奏曲の真骨頂。演奏をゆっくり聴いて、極限までリラックスし、そして眠りにつく。これが正しい聴き方ですね。

 しかし、長くなってしまったな。いきなりお題が飛んできそうだ。

「6枚なのに三昧(3枚)とはこれ如何に...」

 え~っと~...あぁ、今頃効果が...zzz ...zzz....

 お後がよろしいようで。

 

 

<関連アルバム>

Bach: The Goldberg Variations

 

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