Jerrio’s Cafe ~ 気がつけば音楽が流れていた

 店主 Jerrio の四方山話と愛聴盤紹介。ジャンルの壁を越え、心に残った音楽について語ります。

雨とボサノバ

 朝から梅雨らしい雨が降っている。目覚めとともに少しずつ覚醒していく耳の神経にわずかではあるが連続的な音圧を感じる。弱いホワイトノイズのような雨音のベールを剥ぎ取り、まだ少し疲労感の残った体を無理やり起こす。少し汗ばんでいるのだろうか。もう夏は近いな、と思いながら、土曜の朝を示す明るめのリビングに重い足を運ぶ。

 この時期の雨はボサノバと相性がいい。夏の一時期を彩るボサノバは、いつも梅雨時に聴き始める。その最初の一枚は敬意を表し、やはりこのアルバムから始めなければならない。ジャズのアルバムとしても、ボサノバのアルバムとしても、どちらからも揶揄され続けながらも、やはり名盤であるとともに、このアルバムの成功が無ければボサノバは音楽史の片隅に埋もれたジャンルになっていたかも知れない、という偉大な一枚。スタン・ゲッツジョアン・ジルベルトの 『GETZ/GILBERTO』 だ。

 このアルバムを聴くと、その穏やかな音楽の裏で繰り広げられたであろう、4人の「こまったちゃん」と1人の「にこちゃん」の奮闘を思い、同情せずにはいられない気分になる。(あ、ロンパールームを知らない人!...いるでしょうね。)

 まずは4人の「こまったちゃん」を紹介しよう。一人目はやはりスタン・ゲッツだ。この人の行状を僕は村上春樹が翻訳したジャズベーシスト、ビル・クロウの回想録「さよならバードランド」で知った。スタン・ゲッツのバンドにビル・クロウが在籍していた1950年代、いかにドラッグ中毒のスタン・ゲッツがハチャメチャだったかが赤裸々に綴られている。その時期のスタン・ゲッツの演奏は文句なしの素晴らしいもの。そのクールで洗練されたテナーサックスの音を僕は大好きだっただけに少しショックだった。そして「素晴らしい音楽は、決して素晴らしい人間から生まれるとは限らない」事を知った。

 その後彼はモルヒネ欲しさに強盗未遂事件を起こし服役する。出所後欧州旅行をきっかけにスウェーデンに移住したが、1961年再びアメリカに帰国した。ほとんど忘れ去られている米国ジャズ界で起死回生の一発を狙いたい。そんな中で目をつけたのが当時一躍脚光を浴びていた新しい音楽、ボサノバだった。彼は南米でボサノバの影響を受けてきたチャーリーバードと共にアルバム「ジャズ・サンバ」を完成させ、大ヒットとなったが、これが真のボサノバではないことは理解していたのだろう。そこで白羽の矢を米国に移住してきたジョアン・ジルベルトに当てたわけだ。

 さらに、アントニオ・カルロス・ジョビンまで呼び、完璧なまでのお膳立てをしたにも関わらず、このアルバムのスタン・ゲッツは、やはり僕の知っていたスタン・ゲッツだった。要するに、彼は彼のやり方を貫いている。恐らくボサノバをあまり理解しようとしない彼にジョアンは様々な抵抗を試みたであろうが、そんなのどこ吹く風だ。「スタンゲッツ」は「スタンゲッツ」だ、文句あっか、と言ったかどうかはわからない。

 二人目の「こまったちゃん」はもちろんジョアン・ジルベルトだ。ジョアンは、変人そのものである。俺はボサノバなんて音楽は知らない、と今でも言い張っているらしい。彼はずっと自分なりのサンバをやりつづけているのだ。そしてそれはポルトガル語に限る。英語なんてとんでもない。彼は録音の間中、全く自分の音楽を理解しないスタン・ゲッツを「バカ」呼ばわりしたが、それもポルトガル語だったから伝わらなかったようだ。しかしこの人もこういう境遇にあっても、自分の音楽をぐんぐん掘り下げ、変わらぬ素晴らしい演奏を聴かせてくれている。プロフェッショナルなのだ。

 三人目の「こまったちゃん」はプロデューサーのクリードテーラーだ。本当かどうか定かではないが、このアルバムでのジョアンのギャラは、スタン・ゲッツのギャラに比べ格段に安かったという。それでジョアンとはもめにもめたらしい。さらには、英語が話せない彼のためについてきていたジョアンの妻のアストラッド・ジルベルトに目をつけ、全く素人の彼女に歌わせることを提案。結果的には1曲目の「イパネマの娘」と5曲目の「コルコヴァード」に一部彼女の歌を入れている。それもジョアンがポルトガル語で歌うフレーズを英語で追うのだ。これは恐らくジョアンの怒りを買っただろうが、まだジョアンの歌も残っているので何とか治まったらしい。しかし、その後のこれら2曲のシングルカットは、なんとクリードテーラーの意向で、ジョアンのポルトガル語の部分はカットして発売されたのだ。あー...その後のことは考えるだけで恐ろしい。

 四人目の「こまったちゃん」はジョアンの妻のアストラッド・ジルベルトだ。もともと、歌手になりたかった彼女は、この一連の流れの中でチャンスを手に入れた。確かに素人っぽさはあるものの、可憐な歌声であり、クリードテーラーの目は確かだったといえる。しかしもちろんこの流れの中でジョアンとは上手くいくはずも無い。彼女は、きっぱりと自分の夢の実現を選び、ジョアンとは離婚する。そしてジャズ歌手となり、ボサノバとジャズの橋渡しをするようになる。そんな彼女へのブラジル本国での評価は、当然のごとく低い。

 さてこの困った四人衆を相手にひとり奮闘努力する「にこちゃん」はアントニオ・カルロス・ジョビンである。このアルバムでは楽曲を提供し、ピアノで参加しているが、彼らしいピアノのモノトーンでの音のたどり方は、この音楽を理解しつくしたもののそれであり、素晴らしい脇役に徹している。さらには英語を話せないジョアンの意思を代弁し続け、双方の口から出てくる罵詈雑言を、柔らかい言葉に代えて訳し伝え、場を和ませようと色々冗談も言い...あー...なんとも献身的に一人奮闘する彼の姿が見えるようだ。涙なしではとてもとても...

 ということで、「にこちゃん・ジョビン」の仲裁力もあり、このアルバムは屈指の名盤となった。ビルボードではアルバムチャートで2位まで上り詰め、65年のグラミー賞を4部門獲得。ブラジル本国ではほとんど廃れてしまったボサノバを、ソフィスティケートされた音楽として、ジャズやポップスの中で生きながらえさせる原動力となった。ボサノバが今でもたくさんの人から愛される音楽の形となったのも、このアルバムがあってこそだ。だから、誰が何と言おうと名盤なのである。

 

 さて、後日談。この録音から13年後の1976年。二人は再度競演している。アルバムの日本語タイトルは 『ゲッツ・ジルベルト・アゲイン』 。ジャケットの写真を見る限り、二人の間の深い溝は、少しは埋まったのかな、と思わせる。多少変人同士ではあるが、素晴らしい音楽家たちなのだ。通じ合うはずである。内容はもちろん素晴らしい。ジョアン・ジルベルトは相変わらず自分の世界を掘り下げ、スタン・ゲッツの洗練された吹きっぷりも健在だ。でもよく聴いていると、なんとなくお互い歩み寄っているのかな、と思わせる。あるいは年を重ねたことによって、お互いの人間としての許容力が上がったのかもしれない。

 少しだけ歩み寄ったボサノバを聴きながら窓を少し開けてみる。雨の上がった夜の外気が流れ込み、心地よく体に染みる。 ...もう夏はそこまで来ている。

 

 

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