Jerrio’s Cafe ~ 気がつけば音楽が流れていた

 店主 Jerrio の四方山話と愛聴盤紹介。ジャンルの壁を越え、心に残った音楽について語ります。

妖しく魅力的なボサノバ

 夏はボサノバに限る、などと言っておきながら、ぜんぜんボサノバなんて出てこないじゃないか。え?そこのところ、一体どうなっているのだ! ドン!

 とまあ、了見のやや狭いご忠告にお応えし、僕の机の横にうずたかく積みあげられている、直近聴き散らかしたCDの山の中から、これとこれを...あ~ぁ、山が崩れる。そーっと、そーっと抜き取って、と。 ふ~っ...この2枚。最近よく聴いているボサノバアルバムを紹介しよう。

 まずは王道。ジョアン・ジルベルトの 『三月の水』 だ。このアルバムは偉大なるジョアンの作品の中でも、僕の選ぶベスト・ワン。ジョアンとドラマーの二人だけの静かな演奏が繰り広げられるのだが、ドラムスといっても演奏はハイハットのブラシショットのみ。控えめに刻まれるリズムの上で、ジョアンの声とギターは力の抜けた「いぶし銀」のパフォーマンスを見せる。

 1973年の作品だが、もう10年近く前、日本初のCD化と共に入手したこのアルバムを聴いて少し驚いた。あの「GETZ/GILBERTO」で脚光を浴び、グラミー賞まで取って以降、一体何があったのだろう、と詮索してしまいたくなるような枯れ方、力の抜け方である。初期の頃の声の持つ艶や張りはグッとトーンを落とし、どちらかといえばこの音楽の声としては好ましい方向に傾いている。どこかにあった気負いなど吹っ飛び、何の束縛感も無い開放された世界。すごくいい。

 より内面に向かうような声の印象に反して、ギターの演奏は冴え渡っている。彼自身が生み出した、ボサノバ独特の奏法としっかりとしたベースライン。撥音楽器を意識させる、特徴的なつま弾きによる立ち上がり感。潔さと正確さを兼ね備えたすばらしい演奏だ。

 実際、グラミー賞を取って以降のジョアンは不遇続きの日々を送っていた。アストラッド・ジルベルトとも離婚し、以後アメリカ、メキシコを長年に渡って放浪することになる。その10年程の間に発表したアルバムは2枚だけ。1970年のメキシコでの一枚と、本作のみである。

 このアルバムのできた経緯が面白い。発売の前年、ジョアンの元にウェンディ・カーロスという女性から連絡があり、ジョアンの音楽が大好きなのでぜひプロデュースしたいという申し入れがあった。その女性は、性転換前の名前をウォルター・カーロスといい、1968年に「スウィッチト・オン・バッハ」で一世を風靡したシンセサーザー奏者(当時男性)で、かのグレングールドも絶賛。後に映画「時計じかけのオレンジ」や「シャイニング」などの音楽も担当するという才人だったのだ。

 二人は、好きな曲をシンプルな構成で歌う、というなんともジョアンには願ったりかなったりの内容で意見が一致し、録音に入った。ボサノバなんて知らない。自分は自分なりのサンバをやっているだけ、というスタンスのジョアンは、このアルバムに、いわゆるボサノバの曲はいれなかった。タイトル曲であるジョビンの新曲、カエターノ・ヴェローゾやジルベルト・ジルなどの新世代の人の楽曲、サンバの古典、それらに自らの新曲も配して、本当に好きな楽曲を好きなように演奏している。それでいて生み出される音楽は...やはりボサノバなのである。即ち、彼の生み出す音楽こそがボサノバなのだ。

 ところで、タイトル曲の「三月の水」。春の音楽?と思われがちだが、ブラジルは南半球なので、この曲はブラジルの夏の名残と秋の気配を描いた曲だ。(ちょっと今の季節には早すぎたようですねー。)

 この歌詞がなんとも、ジョアンにお似合いの哲学的・抽象的な、イメージの描写である。この感覚こそが、ジョアンのつくる世界のような気がする。誰に向かって歌っているのだろうか?と、ふと思わせるような内省的で生々しい音楽。そこには自由でありながらも、頑固な彼の意志が感じられるのだ。

 その一方で、8曲目「ベベウ (Valse)」は彼自身が、幼い娘ベベウ(今や歌手として活躍しているベベウ・ジルベルト)のために書いたワルツであり、10曲目の「イザウラ」では、当時の奥さんであるミウーシャとの息の合ったデュエットを繰り広げている。いかに個人的に思い入れをもち、かつ喜びをもって臨んでいるかがわかるというものだ。

 そしてこの一枚は、そこから今日に至るまでの一つの転機となったアルバムだろう。その後再びブラジルに戻るとともに、新世代の人たちとの交流も盛んになり、偉大な存在へと昇っていく。そのきっかけの一枚。いつまでも古びることのない、偉大なアルバムである。

 

 さて、もう一枚のアルバムはこれ。最近購入し即座にはまってしまったボサノバアルバム、naomi & goro with 菊地成孔の 『calendula』 だ。

 いや~、これはいい。naomi & goro は真正面からボサノバに向き合っている稀有な日本人デュオである。布施尚美の声も、伊藤ゴローのギターも、素晴らしくいい。ボサノバそのものだ。そこに日本ジャズ界の鬼才・菊地成孔(キクチナルヨシ)が絡む。そのサックスは、noami & goro の作り出す世界に、そっと忍び込み、デュオからトリオへ知らないうちに膨らんでいる。ボサノバにおけるサックスはこうでなくっちゃ、と思わず膝を打ちたくなるような馴染みようだ。

 選曲も、「イパネマの娘」や「Two Kites」のようなジョビンの楽曲から、プリファブ・スプラウトの「The King of Rock'n Roll」、ホール&オーツの「One on One」のようなロックまで、同じようにオーセンティックなボサノバの香りを感じさせてくれる。

 「ボサノバとジャズの関係は当初から微妙だった。ジョビン自身が語っている。ジャズに影響されたことはない、と。ボサノバはジャズになってはいけないし、ジャズはボサノバにはなれない。だから、とてもピンポイントの狭い領域でだけ2つの音楽は共棲する、危うい関係だ。危ういことは妖しく、妖しいものは魅力的だ。」 この一文はCDの帯に坂本龍一が寄せているコメントである。

 とにかく魅力的な一枚だ。そして確かに妖しい。今年の夏はこんな感じで乗り切れるかな。...いやいや、この夏の後半戦はまたまた暑くなるらしい。さらに武装して臨む必要がある! ということで、機会さえあればまたいそいそと、CDショップのブラジル音楽のコーナーを訪ね歩く日々がつづくのかな...  To be continued ... 近いうちにね。

 

 

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