Jerrio’s Cafe ~ 気がつけば音楽が流れていた

 店主 Jerrio の四方山話と愛聴盤紹介。ジャンルの壁を越え、心に残った音楽について語ります。

道央の旅 (2) 「花と木と丘と」

 夏の北海道は、期待にたがわず、美しく、美味しく、爽快だった。旅行の少し前は大阪でも多少涼しくはなっていたので、気温差に驚くようなことは無かったが、この体感する気分の違いは、恐らく湿度の差と、空気の成分の違いによるのだろう。(要するに空気がきれいってことです!)

 車を走らせても、小樽や札幌ですら渋滞に遭うこともなく、今やカーナビのおかげで行く場所がわからないというストレスもほとんどない。道も広く走りやすい。流れる音楽に耳を傾けながら運転していると、見慣れた西日本の風景とは違う、ヨーロッパの郊外にも似た光景に、時に目を奪われてしまう。そんな中で丸一日、富良野・美瑛周辺をいろいろ巡っての記。

 

 先ずは花。ラベンダーの時期には既に遅く、一体どうなっているのだろうと思っていたのだが、どこも色どり鮮やかな花々で迎えてくれた。花の美しい季節。植え方や配色も、それぞれの公園やファームによって個性が表れている。じゅうたんを敷き詰めるように咲かせているところもあれば、一つ一つを丁寧に植えているのがわかるところもある。目にすれば、自然と明るく華やいだ気分になる。

 花は、人の気分を時に高揚させ、時に鎮めてくれる。人生の節目節目を彩る欠かせないものだ。そしてそれは方向の違いこそあれ、万国共通の感覚でもある。華やかな配色の花のじゅうたんもいいが、緑の濃淡の織り成すじゅうたんも気持ちがいい。くっきり風景を締める濃い緑、若々しさを感じさせる淡い緑、ラベンダーの色合いにも通じるくすんだ緑、その微妙な濃淡が、パッチワークのようにつなぎ合わされながら、彼方に広がる丘陵を覆いつくす。その稜線につながる空の青は鮮やかに澄んでいる。

道央2-図1 道央2-図2

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 そんな中に、スックと抜き出る木。その生命力と存在感は絶対的だ。上富良野や美瑛の丘陵地帯で様々な木を見たが、どれも生命力にあふれ、周囲の風景の中でとても魅力的に茂っていた。ポプラもあればカラマツやカシワもある。樹齢も相当なものだろう。これらの木にはそれぞれ通称がついているのだが、その風景が使用されたテレビコマーシャルからくる名前、その形から連想する名前等、付け方はいろいろだ。それだけ、様々な人々の心に響いてきたということだ。

 セブンスターの木、ケンとメリーの木、マイルドセブンの丘、哲学の木、親子の木・・・そういえば、ぜるぶの丘の展望台にあった「ここからケンとメリーの木が見えます」という看板の前で、若いカップルが、あー、あれがケンとメリーの木だ、と仲良く見ていた。女の子の「何でケンとメリーなんだろうね。」に対し、男の子「さあ・・・きっと有名な人の名前なんじゃない?」なんて話をしていた。うーん、僕は思わず、世話焼きおじさんと化し、「あれはね、君たちが生まれるずっと前に、日産スカイラインのテレビコマーシャルが、“ケンとメリー”という、そう、君たちのような若いカップルをテーマに、色々な場所で撮影されたのだよ。その一つがあの木の場所。」なんてことを言いそうになったのだが・・・やめた。この二人にとっては、そんなことはどうでもいいことなのだ。今ここでこうやって二人で見ていることに意味があるのだから。

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  ☆ Link:ケンとメリー 愛のスカイライン(地図のない旅編)

 そうそう、この「ケンとメリー」の音楽、BUZZの「愛と風のように」って、いい曲だったな。今でも編曲を変えれば、十分受けそうだ。山崎まさよしあたりに、ちょっとブルースっぽくカバーしてもらう、なんてのもいいだろうし、Take6ばりに、ゴスペラーズあたりにジャズ風にアカペラでやってもらっても、様になりそうだ。

 

 ところで、ここ北海道でもひしひしと感じたことがある。それは静かで確かな「中国パワー」だ。ホテルとその周辺ではあまり無かったのだが、このような景勝地に来ると、時に聞こえる会話から、恐らく半数近くは中国の人なのでは、と思えた。いや、それ以上かもしれない。しかし、この地で見かける中国人は、もうほとんど日本人だ。黙っていれば判別できない人も多い。見た目ではわからないレベルになっている。大阪の繁華街で出会う彼の地の人たちとどこか違うのだ。それは、服装だけではなく、化粧や髪型、目の動き、表情、雰囲気、全てにまつわることなので、そのレベルの近似は、ある意味すごいことだと思う。

 団体でどーん、はい、集合!という感じではない。若い二人連れや、小さな子供連れ。中には車椅子のおばあちゃんを連れた中国の人もいる。みんな、お土産売り場に殺到することも無く、思い思いに伸び伸びと楽しんでいる。中国本土は地勢的にどうしても埃っぽく、日本の澄んだ空気や風景に憧れる、という話もよく聞く。そういう点では、ここは素晴らしく快適な場所だ。その目には楽園のように映っているのかもしれない。

 それを受け入れる側にも感心したところがある。尾籠な話で恐縮だが・・・それはトイレ。こんな田舎の、こんな場所でと思えるのに、トイレの充実は関西の観光地の比ではない。面白くなってちょっと意識して見てみたが、広くてきれいで、わかりやすい場所に結構ふんだんに設置されている。ほとんどが、いわゆるウォシュレットタイプだ。こう見ると、欧米にはなかなか拡がらないこの手の設備は、中国にこそ拡がる可能性があるのでは、と思ってしまう。いっそのこと、温水便座メーカーは競って景勝地、観光地をショールームに見立て、中国進出の足がかりとするべきなのだ!・・・と、僕が思いつくようなことは、だいたい考えていそうだが。

 そんな中国の人たちもあまりいなかったお勧めのスポットを一つご紹介。それは美瑛の東の外れにある、「青い池」だ。そこそこ人はいたのだが、少し広い駐車スペースがあるだけで施設は何もない場所だった。車を置いて、ずんずんと道に沿って山道を進んでいき、右手の木立を分け入ると現れる。後で地元の人に聞いた話によると、最近になって人が多くなった場所だとか。その幻想的な風景は一見の価値ありです!(その地元の人は、その上流の白金温泉のあたりの川は、さらに真っ青で素晴らしいとのこと。もっと早く教えてもらえれば行けたのに~!)

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 さて、こんな中での今日の一枚。ちょっとベタだが、気分はこんな感じだったので。この旅行では、車での音楽のことをすっかり忘れていて、聴くことのできるものを何も準備してこなかった。途中からは富良野で購入した前回紹介のCDを聴いて満足したのだが、最初は富良野・美瑛の風景の中を走りながら、地元のラジオ放送ばかり聞いていた。(それはそれで興味深かったのですが・・・) あ~、CDを準備してきたら良かったな~、と何度か思ったが、そんな時、その風景と一体となって頭の中に流れていたのがラフマニノフ交響曲第2番・第3楽章、Adagioだ。

 この曲は、もう随分有名だし、いろいろな場面で流れるので、聞けば、あーあの曲、となるのだろうが、意外にも頻繁に演奏されるようになったのは1970年代に入って、アンドレ・プレヴィンロンドン交響楽団との世界ツアーで取り上げてからである。

 兎角この曲は、「ハリウッドの映画音楽のようだ」などと揶揄されるが、1907年の作なので、そういうものがあったわけではない。即ち、そのロマンティックで人の感性を刺激する音楽が、後の映画音楽に多大な影響を与えたということなのだが、そのこと自体が当時のクラシックの世界では攻撃の対象であり、大きく取上げられることはほとんどなかったのである。この曲を作曲した時、ラフマニノフは34歳。二人の女の子にも恵まれ、家庭的には幸せの絶頂だった。しかし一方でロシアで着手したこの曲を完成させた場所はドイツのドレスデン。当時のロシアの政情不安から故郷を一時離れ、避難していたのである。そういう点では、この音楽の裏には、幸福感だけではなく、故郷ロシアやその風景に寄せる郷愁の想いが隠されているのだろう。恐らくその想いの同居が、この音楽をより深く、魅力的なものにしているのだと思う。

 牧歌的だが叙情的でどこか切ないこの曲を思い浮かべながら眺めた風景は、初めての地でありながら、なぜか懐かしくもあった。そしてそれは、季節を変えてまた訪れたいと思わせてくれる風景なのだった。

 

  *** ラフマニノフ交響曲第2番は、僕の愛聴盤、アシュケナージ指揮、

   アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団でぜひどうぞ

 

 

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