Jerrio’s Cafe ~ 気がつけば音楽が流れていた

 店主 Jerrio の四方山話と愛聴盤紹介。ジャンルの壁を越え、心に残った音楽について語ります。

ピアソラが残したもの

 「この音楽は、ずっと前から聴いていた気がする...」 そんなはずはないのだが、初めてアストル・ピアソラの音楽にふれたとき、そう思った。昔から知っていたように懐かしく、それでいてとても新しい感覚の音楽。第一印象は「バッハのようだ」。最初からアルゼンチン・タンゴを意識することなく、それは僕の中に「ピアソラの音楽」として入ってきた。

 その頃僕は、学生時代の先輩たちと活動していたバロックアンサンブルで年に数回演奏会を行っていて、本番が近づくと日曜日ごとに神戸まで出かけては練習に精を出していた。そんな中で学生時代には思いもかけなかったバロック音楽を演奏する楽しさに出会い、特にバッハの音楽はいつも特別な思いを込めて弾いていた気がする。ピアソラの音楽の構成には、そのバッハを彷彿とさせるところが随所にあり、一方でそんなものをひっくり返すような斬新さも持ち合わせている。僕は、幼なじみに似た初対面の人と対するような心持ちでピアソラの音楽を聴いた。今思えば、その頃はピアソラの最晩年の充実期であり、存命中だったのだ。そのしばらく後、1990年に脳溢血で倒れたピアソラは92年に他界した。71歳だった。

 自らアルバムを入手したのはその後6~7年たってからだろうか。しばらくは意識の中からも消えていたピアソラの音楽との再会は、輸入再発盤を偶然にも入手した 『Tango: Zero Hour』 だった。

  このアルバムは前述の初めて聴いた当時の作品だったのだが、僕の心の中の、常に満たされずにいたある種の領域にするすると入り込み、その充足率を高めてくれる音楽がそこにはあった。そのキーは、ピアソラが奏でるバンドネオンの哀愁を帯びた旋律にあったのか、あるいは演奏する五重奏団(The New Tango Quintet)の織り成す、緻密で劇的な表現にあったのか。いずれにしても、これまで他の音楽では届き得なかった領域に、すっぽりと収まる感覚があった。僕は、夜が更け始めると、時に深刻に、時に気軽にその音楽を聴き、満たされるものを実感していた。

  ☆ Link:Milonga del Angel / Astor Piazzolla

 程なくして、『Tango: Zero Hour』 の3年後に発売された、ピアソラの最後のスタジオ録音盤 『La Camorra』 も入手し、彼の最晩年の充実度に驚嘆することになる。

 その頃、クレーメルヨーヨー・マといったクラシック界の巨匠たちが、ピアソラの音楽を取上げ始め、没後数年にして、その人気は広がりつつあった。特に、ヨーヨー・マの弾く「リベルタンゴ」は、サントリーのCMにも取上げられ、その後のピアソラ人気の先駆けとなった。

 

 ピアソラは、アルゼンチン生まれではあるが、4歳から15歳という人格の形成期をニューヨークで過ごしている。その後、一家でアルゼンチンに戻るが、バンドネオンの演奏技術を身につけたのも、様々な音楽を吸収し作曲や演奏活動を行うようになったのも、このニューヨーク時代である。

 その後母国でタンゴの楽団に所属したり、自ら楽団を立ち上げたりするのだが、33歳の時、タンゴに限界を感じてクラシックの作曲家を目指しパリに留学する。そしてその中で、自らの音楽の原点は、やはりタンゴであることを、しっかりと感じ取るのだ。このときからピアソラは自らの役割を理解したのだろう。こうして「タンゴの革命児」ピアソラは誕生したのである。

 僕自身は古典的なタンゴが何たるかを知らないし、えらそうなことは言えないのだが、ピアソラが「タンゴ」というジャンルに最後まで拘ったことは理解している。しかしそれは、あらゆる音楽の影響の下、自ら醸成した新感覚のタンゴであり、唯一無二の世界だ。そのことが母国ではどう言われているのかも多少想像はできるが、未だにおとろえないピアソラ人気、さらにはクラシックの世界でもピアソラものが大きく取上げられる昨今、あくまでも「タンゴ」がピアソラの音楽の先にあることは、素晴らしいことだと思う。今後50年、100年というスパンで考えたときに、ピアソラはタンゴの救世主となっていたことに気付くだろう。

 いつの時代でも、どんな世界でも、その硬直化した世界を変えることができるのは、内側の論理だけではなく、外側からの冷静な視点を持つことができる時だ。しかしその世界の持つオリジナリティーは捨ててはいけない。それを信じる強い心が必要なのだろう...うーん、深いな、これは。

 この2枚のアルバムは、ニューヨークの "american clave" レーベルから出され、それを主催し自らも素晴らしい音楽を生み出している前衛プロデューサー、キップ・ハンラハンのプロデュースとなっている。彼のプロデュースでもう一作、同時期の作品があり、その3作が昨年 SACD/CDのハイブリッドエディションとして日本で再発されたことを知り、残る一枚、『The Rough Dancer And The Cyclical Night (Tango Apasionado)』 も入手した。最晩年にこれほどまでに素晴らしい録音盤が残されたことは、ピアソラにとってもタンゴにとっても、もちろん僕にとっても幸せなことだ。

 さて、秋から冬にかけてが一番お似合いのピアソラ。今宵は、どんな気分で聴こうかな。

 

 

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