Jerrio’s Cafe ~ 気がつけば音楽が流れていた

 店主 Jerrio の四方山話と愛聴盤紹介。ジャンルの壁を越え、心に残った音楽について語ります。

「すごい」アルバムに出逢いたい

 暮れも押し迫ってきた。来週はクリスマス。この時期はやらなきゃならないことがいっぱいあって気持ちも焦り気味になるのだが、まだ何も手をつけられていない。年末年始をどうするのかも決めていなければ、年賀状も書けていない。仕事だって、とても一年を締められるような状態ではないんだけど...

 それでも年末は着実にやってくる。世の中には時間が解決してくれることもたくさんあるしね。うん、ここはひとつ鷹揚な気分で音楽でも聴きながら年末に向けての作戦でも練るとするかな...って、そんなことしてる間に、肝心なことを早うやらんかい!って話なんだけど。

 さて、音楽の世界でもそろそろ一年の総括が行われ始める。年が明ければ2月にはグラミー賞の発表もある。最近のグラミー賞は、意識がそちらに向いていないからかもしれないが、かつてのように「やっぱりね~。それしか無いでしょう。」なんてことがあまりなくなった。下手をすれば、それ誰?ってこともある。それは音楽の世界も多様化してきて、僕自身も米国一辺倒ではなくなったこともあるだろうし、ネットで単曲買いをする時代になって、レコード時代のような、いわゆる「大御所」が育ちにくくなったこともあるのだろう。

 だからなのかもしれないが、最近のオリジナル・アルバムには、アルバムそのものが発するオーラのようなものを感じる作品が少ない気がする。どこからどう切っても、誰がどう見ても「すごい」アルバムに最近お目にかかっていない。それはお前が年をとったからなのだ、といわれればそれまでなのですが...んー、これも個人的な感覚なのでなんとも...

 そんな「すごい」アルバムに出会ったときの充実感は格別だ。しかもそれが年月と共に色褪せることなく増幅したりする。ほぼ全ての楽曲が素晴らしい。トータルアルバムとして優れているばかりでなく、どこからどう切ってもすごい。こう書いていて僕が筆頭に思い浮かべるアルバムは...スティービー・ワンダー、1976年のアルバム、『Songs in the Key of Life』だ。

 今も時々元気な姿を見せてくれるスティービー・ワンダーだが、僕は1970年代初頭から1982年のベストアルバム『ミュージックエイリアム』あたりまでの、底なしの才能と爆発を感じさせ、Popでありながらも複合的な高い音楽性と精神性で尖っていた時代の彼の音楽が大好きだ。その絶頂期の代表作が『キー・オブ・ライフ』である。

 このアルバムは、彼の18作目のオリジナルアルバムで、LP盤2枚と4曲入りのEP盤1枚の3枚構成・全21曲。(CDでは2枚組みになっています。)当時の一般的なオリジナル・アルバムの状況からすれば、それだけでもとんでもなく超大作だった。しかもその前の2作がどちらもグラミー賞の最優秀アルバムとなった後の作品だったのだ。1962年に12歳でデビューして以来、毎年1枚ないし2枚のアルバムを発表し続けてきた中で、2年のブランクを取り、満を持してのアルバムだった。そこには大きな意味があるようにも思う。

 その3年前、最初のグラミー賞を受賞するアルバム『Innervisions』を発表したあと、彼はツアー中に交通事故に遭い、生死の境をさまようような重症を負う。その後遺症で一時味覚と嗅覚を失ったが、それはリハビリで順調に回復していった。生まれて直ぐ未熟児網膜症が原因で視力を失っている彼にとって、この事態は不安だったに違いない。しかしその経験が、特別な意味での大きな「愛」を実感するきっかけにもなっていったようだ。もともと、マーチン・ルーサー・キング牧師から思想的に大きな影響を受けていた彼にとって、このことが、黒人としてのアイデンティティーの上に、さらに人類愛にまで発展した、大きく豊かな愛の世界を音楽の上に作りあげるきっかけになっていった気がする。

 また一方で、最初の結婚に敗れた彼にはこの時期新しい出会いがあり、その女性・ヨランダとの間に長女・アイシャが生まれた。このこともこのアルバムの暖かさ、豊かさを支えている一因なのだろう。

 僕はこのアルバムが発売された当時高校生だったが、深夜放送で話されている本作の話題で非常に興味を持ったのが、彼には数千曲の楽曲ストックがあり、このアルバムも2年間につくった約1000曲の楽曲の中から厳選したものだ、という話だった。恐らく盲目の彼は録音テープでも回しながら、次から次へとキーボードを弾いたり歌ったりしながら曲を作っているんだろうな、と思った。当時僕も曲作りにすこしだけ手を出していたので、その話にはびっくりさせられ、それだけで猛烈に聴いてみたい感覚に陥ったものだ。

 もうひとつ僕の興味を引いたのは、当時ヤマハが開発した一台700万円ほどするGX1(インナーブックにはGX10とあるが)というポリフォニックシンセサイザー(形態はオルガン型だったので、最高級のエレクトーンという触れ込みだったが)をこのアルバムでフィーチャーしていることだった。もともとスティービー・ワンダーはドラムス、キーボード、ハーモニカ、ベースなど、多様な楽器をプレイするマルチプレイヤーで、多重録音というスタイルをとることが多々あるが、このアルバムではこのGX1が多用されていて、特に数曲は、ほぼこれ一台で演奏しており、その独特な大き目の揺らぎ、拡がり感を持ったストリングサウンドが、このアルバムの暖かさを下支えしている。さらにその暖かさには、ひとりで多重録音しているということ自体が多少影響しているような気もする。このアルバムだと、バンド編成での流れるように切れ味のよい演奏と、少しモタッとした多重録音の演奏が混在しているが、恐らくキーボードとボーカルをベースに様々なものを重ねている彼独自の多重録音スタイルが、こうした感覚につながって、ちょっと暖かな流れを作っているのだろう。

 さて、通常ならここで、ちょっと気になる楽曲を数曲紹介して、となるのだが、もうどれを選んだらいいのかわからない。どれもこれも素晴らしくて、絞りきれないのだ。そのあたりのベスト盤なんて顔負けの楽曲群。通常なら流れの順で、となるのだが、僕の少し気になる曲を順不同で選んでみる。

 先ずはやはりこれ。2枚目の冒頭の一曲。「Isn't she lovery(可愛いアイシャ)」。もちろん生まれてきた長女アイシャを歌った楽曲だ。この曲はシングルカットはされなかったが、彼のうきうきした気分がそのまま出た、喜びに満ちた名曲だ。調べてみるとこの曲、キーボーディスがひとり加わっているだけで、他は全てスティービー・ワンダー自身が演奏した多重録音演奏。このモタッとした感じ、なんだか癖になる、大好きな曲だ。

 次はやはりこの曲。「SirDuke(愛するデューク)」。もうこれは説明不要だろう。冒頭のホーンの演奏一発でそのハッピーな世界が出来上がる。彼は1974年の前作『ファースト・フィナーレ』がグラミー賞を取ったときに、そのスピーチで前年に亡くなったデューク・エリントンにこの賞を捧げると発言している。そして、本作ではこの楽曲でその音楽への思いを歌った。歌詞の中に、ジャズのビッグネームが次々に出てきて、彼のジャズへの愛情が湧き上がってくる。

 「Sir Duke」が終わるや否や、間髪をいれずにファンキーに始まる「I wish (回想)」。この流れるような演奏とホーンはもちろんバンド演奏だ。クラビネットで演奏する彼の弾け加減もすばらしくいい。前曲からの流れがそのファンキーさを助長している。

 元はEP盤に入っていて、今につながる彼のおおらかさを感じる楽曲「Saturn (土星)」。ジャズ・ハーピストドロシー・アシュビーとのハープと歌だけの楽曲、「If it's magic」。ハービーハンコックが参加して流れるようなフェンダー・ローズサウンドの上をスティービー・ワンダーがシャウトし続ける「As (永遠の誓い)」も挙げたい。

 そしてLP盤2枚目の最後の曲、「Another Star」。クレジットにはジョージ・ベンソンの名前も見える。精神性に満ちながらもPOPな感覚を失わないこのアルバムにふさわしい引き締まった終曲。スティービー・ワンダーの叫びが、喜びが、この楽曲には閉じ込められ、エンドレスで続く。ラテンのリズムがピリッと効いていて、その音楽は深く深く浸潤していく。CDではこのあとにEP盤の2曲が入っているが、これは別の場所に移して欲しかった。『キー・オブ・ライフ』は、「Another Star」で終わりたい。

 このアルバムは、もちろん1977年のグラミー賞で最優秀アルバムとなった。3作連続受賞というのは、未だだれも並んでいない。今そういうことは起こりえないだろうな、と思うと同時に、今やグラミー賞はかつてのような権威は無いのかな、とも思ってしまう。

 何度聴いても「すごいな~」と思わされるアルバム。結局僕はこういうアルバムに出逢いたくて、いまだに出逢えない音楽を求めて、CDショップを彷徨っているのだろうか。ん~、なんだかそんな気分になってきた。ちょっとさびしいね。

 

 

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