Jerrio’s Cafe ~ 気がつけば音楽が流れていた

 店主 Jerrio の四方山話と愛聴盤紹介。ジャンルの壁を越え、心に残った音楽について語ります。

海を見ていた午後

 先日、録画してもらっていたNHKの「SONGS」で、かつて赤い鳥やハイ・ファイ・セットで活躍し、今もソロで歌い続けている山本潤子の特集を見た。

 ハイ・ファイ・セットは僕の中高生時代に「卒業写真」や「フィーリング」が大ヒットしたので、同世代にはその透き通るような声や柔らかな音楽は懐かしいだろう。僕も当時、レコードを買うほどではなかったものの、深夜、ラジオから流れる音楽に手を止め耳を傾けたものだ。

 「SONGS」では、さまざまなエピソードを間に挟みながら、彼女の思い入れの深い4曲を、観客も入れて素敵に演出されたライブスペースで歌っていた。「冷たい雨」「翼をください」「卒業写真」は、その時代に彼女たちがヒットさせた曲なので、ふんふんと聴いていたのだが、その中で一曲、え?と思う曲が歌われた。荒井由実の「海を見ていた午後」である。この歌、ハイ・ファイ・セットで歌ってたっけ?

 荒井由実の1974年発売のセカンドアルバム「ミスリム」に入っているこの曲は、僕も大好きな曲だ。浅く早めのトレモロをかけたフェンダー・ローズは、きらきらと光漂う穏やかな海の情景を表す。シンプルなベースと少しばかりのパーカッションはうんと控え目だ。対旋律を奏でる純音に近いモノフォニック・シンセは短くポルタメントがかかり、20歳になったばかりのユーミンの声を邪魔することなく、あたかも何かの記憶を辿るように歌の合間を進む。目に入る海の情景とその心情がストレートに伝わってくる曲だ。

 既にファーストアルバムは入手していたものの、中学生の僕にとってLPレコードはなかなか高価な買い物で、他にも気になる音楽が色々出現する中、このアルバムにまで手が回らなかった。そこそこ売れているアルバムなら、周りの友人に声をかけるのだが、当時の僕の周りのガサツでむさ苦しい友人たちの中に、そんな音楽を聴いていそうな人間はいなかったので、借りてきて録音する術もなかった。ほとんど売れていないアルバムだったしね...

 その後、常に気になる一枚だったにも関わらず、なかなか入手するきっかけがなく、ようやくCDでこのアルバムを購入したのは10年ほど前のことだ。そこで思ったことは、あ~、しまった~、やっぱり名盤だったってこと。しかし一度も聴いたことは無いはずなのに、かなりの曲は聴き覚えがある。その後ビッグになったユーミンの曲なので、どこかしらで耳に入り印象に残っていた曲が多かったということなのだろう。

 その中でも、後に大きく脚光を浴びたのは、3曲目の「やさしさに包まれたなら」。この曲が宮崎駿監督のジブリ作品「魔女の宅急便」のエンディングテーマに使用されたときは少し戸惑ったものだ。なぜなら、僕の中でこの曲は厳然として別の映画の音楽であり、その音楽が流れる映画の光景はぼんやりながら脳裏にあって、その領域を侵食されたような気分になったからだ。

 その映画とは、映画監督・大森一樹の自主制作映画「暗くなるまで待てない」である。学生時代、大学に評論家の川本三郎氏と大森監督自身を迎えて開催されたトーク&上映会で観た1975年の作品だ。大森氏は京都府立医科大出身の医師免許を持つ異色の映画監督であり、当時その学生時代とかぶる医大生の日常を描いた作品「ヒポクラテスたち」が高い評価を得ていた。キャンディーズ解散後の伊藤蘭の復帰作でもあったので注目も浴び、その前年には村上春樹の処女作「風の歌を聴け」を映画化したばかりで上映会の話題ももっぱらこのあたりだった。

 「暗くなるまで待てない」は、大森監督がまだ学生時代に制作したもので、出演者の演技は素人臭く、ストーリーも荒唐無稽だったと記憶しているが、何故かとても引き込まれ、自主制作映画ならではの思いとパワーを全身で感じつつ、そこで流れた「やさしさに包まれたなら」もその光景とともにしっかり頭に焼きついていた。

 しかしよくよく考えてみるとこの曲、実は不二家のお菓子、ソフトエクレアのCMソングだったのだ。だから包むべき「やさしさ」とは、「やさしい味のソフトキャラメル」であり、包まれる対象は甘い「クリーム」なのである。まあその流れで、荒井由実の3枚目のシングル曲になったわけだが、これが全く売れず、オリコンの200位にも入らなかったらしい。それにしてもこの曲、よくここまで一人歩きしたものである。立派になったね~。

  ☆ Link:不二家ソフトエクレアのCM(1974)

 アルバムの最後の2曲、「わたしのフランソワーズ」と「旅立つ秋」はCDを購入するまで全く知らなかった曲だが、実はこの最後の2曲を聴いた瞬間にかつてアナログ盤でこのアルバムを入手しなかったことを後悔するほどだった。今まで知らなかったことが不思議なくらい、僕のツボだったのだ。「わたしのフランソワーズ」はフランスのシンガー・ソング・ライター、フランソワーズ・アルディの音楽に感じるものを素直に歌った曲であり、「旅立つ秋」は、晩秋に感じる思いを素直に歌った曲。当時20歳の女の子が作ったその音楽に、僕も素直にやられてしまったのだった。

 

 話を元に戻そう。僕にはハイ・ファイ・セットが「海を見ていた午後」を歌っていた記憶がなかった。少なくともシングル盤にはなかったはずだ。調べてみると、どうもハイ・ファイ・セットとして出したファーストアルバムにこの曲が入っているらしい。その番組での話では、ハイ・ファイ・セットとして活動する前から山本潤子荒井由実のアルバム「ミスリム」の中のこの曲が大好きで、その流れからカバーしたのだという。その思い入れの深さは、たくさんのシングル・ヒットを持つ彼女が、自ら選んだたった4曲の中にこの曲を入れた事からもわかる。

 番組の中で山本潤子は、ずっと行ってみたかったというその歌詞の中にある山手のレストラン「ドルフィン」を訪ね、座席に座って貨物船の行き交う海を眺めていた。僕は、三十数年前の歌の歌詞に出てくるこの店が横浜の地に立派に残っていることに先ず安堵した。海側が全面開口ガラス張りの店内は、今風のおしゃれなレストランとは言えないちょっと昭和の雰囲気だったが、そこから見える海の表情は素晴らしく、彼女はそこで紙ナプキンに万年筆で文字を書いたり、ソーダ水を通して海を眺めたり...ユーミンがその歌詞の中に閉じ込めた情景を、思いを込めてたどっていた。

 偶然にもその少し前、僕もひょんなことでこのアルバム「ミスリム」をひっぱり出し、その中のこの曲を聴きながら、少しばかり感慨にふけったばかりだった。僕の故郷は瀬戸内海に面した小さな町だが、帰省したときには海岸通りを車で走り、いくつかある海の見える喫茶店やレストランによく行ったものだ。最近はその道以外に立派なバイパスができて、そういえば随分ご無沙汰しているけど、あの店は一体どうなっているんだろう。そんなことを思いつつ、山手のレストラン「ドルフィン」と、そこから見えるであろう海の情景に重ね合わせていた。

 番組の中でも触れているが、荒井由実の曲は、当時の感覚で言えば、音の飛躍が激しく、歌うには非常に難しかったのだろう。しかしそこに、見たまま感じたままを鮮やかに表現する歌詞を乗せると、その曲が生き生きとして、音楽の裏側にある心情を、聴くものに共鳴させる。それは、当時の感覚で言えばとても斬新だったということは僕も感じていた。

 しかしこのアルバム、今も聴きながら書いてるけど、やっぱりいいよねー。初々しいけど、聴き様によってはちょっと大人の音楽。これからもまだまだ大活躍しそうなアルバムである。

 

   *** そうそう、山本潤子さんの「海を見ていた午後」もぜひ。

 

 

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