Jerrio’s Cafe ~ 気がつけば音楽が流れていた

 店主 Jerrio の四方山話と愛聴盤紹介。ジャンルの壁を越え、心に残った音楽について語ります。

少し早めのBARで

 この時期にしてはめずらしい2つの台風の影響で大荒れだった一週間が過ぎて、昨日は梅雨の谷間のさわやかな一日だった。すっきり晴れるまでには至らなかったが、少し涼しめの乾燥した空気がとても心地よく、ゆったりとした気分で一日過ごせた。

 こんな日の夕方は、一人で、あるいは気心の知れた友人とちょっと気のきいたBARにでも繰り出し、静かに流れる音楽に耳を傾けながら、ハイボールを口に含みつつ、時折ぼそぼそっとなんでもない会話をする...あ~、いいよなあ、なんて思うんだけど、未熟な僕はまだまだそういう境地にはたどり着けていない。そうそう、こんな時思い出すのは、レイモンド・チャンドラーの小説、「ロング・グッドバイ」だ。

「夕方、開店したばかりのバーが好きだ。店の中の空気もまだ涼しくきれいで、全てが輝いている。バーテンダーは鏡の前に立ち、最後の身繕いをしている。ネクタイが曲がっていないか、髪に乱れがないか。バーの背に並んでいる清潔な酒瓶や、まぶしく光るグラスや、そこにある心づもりのようなものが僕は好きだ。」

 夕方早い時間のバーで、テリー・レノックスの呟きにフィリップ・マーロウは賛意を示す。二人が交わす会話は機知に富んでいて、ちょっと真似のできない素敵なやりとりが続く。

 そんな理想的なBARは夢の話。僕たちが時折行くBARは、遅い時間の締めの一軒、なんてことが多くて、タバコと酒の香りが充満し、それなりに出来上がった雰囲気が立ち込めている中で席を探すことが多い。

 10年ほど前、誰かの送別会の後、数名の同僚と、そんな具合で訪れた一軒のBARのカウンターに、同じ背表紙の本が数冊立て掛けてあるのが目に止まった。バーテンダーに尋ねると、そのお店も載っている「TO THE BAR /日本のBAR 64選」という切り絵作家・成田一徹氏の本で、サインをしてもらったばかりだという。少し出来上がりかけていた僕は、読んでみたい衝動に駆られて一冊分けてもらった。確かにそのアメリカンな雰囲気の素敵なバー「呂仁」も掲載されているし、難波の吉田バーや数店あるサンボアもちゃんと載っている。切り絵も文章も味があって、眺めているととてもいい気分になってくる。

 チャンドラーの描いたような理想的な時間帯のBARで、まだ澄みきった空気の中、ひとり静かに物思いに耽りながらウイスキーを口に含む時に流れていて欲しい音楽は、音域のせいだろうか、女性ボーカルより男性ボーカルの方がいいかな。静かな空間にやさしく響くのは繊細なピアノの音と穏やかで暖かい声が織り成す、とてもセンシティブなスタンダード・ジャズ。そんな最高の一枚に、一昨年出会った。ホセ・ジェームス&ジェフ・ニーヴのアルバム 『For All We Know』 だ。

 米国出身でありながら、欧州のクラブ・ジャズの世界で火がついた本格派ジャズ・シンガー、ホセ・ジェームスがメジャーレーべル・インパルスに移籍後初めて出した完全なジャズアルバムで、ピアノは注目のベルギーNo.1ジャズ・ピアニスト、ジェフ・ニーヴだ。そんな二人が、抑制し、牽制し合いながら、静かに紡ぎ出す世界は、新鮮でセンシティブ。それでいて伝統に則ったスタンダード・ジャズの世界をしっかりと伝えてくれるのだから、たまらない。

 1曲目、現在のホセ・ジェームスの活動拠点でもあるニューヨークにちなんだ「Autumn in New York」は、ジェフ・ニーヴの奏でる印象的なピアノの音形の上に、やさしく響くホセの声が乗る、後に続く世界を予感させる一曲だ。

 同様に、5曲目の「When I Fall in Love」や、9曲目のタイトル曲「For All We Know」のような、耳慣れた古いスタンダードをラブ・ソングとしてしっかりと聴かせる、本格的な大人のジャズ。全編に渡ってこの基調は崩さない。声とピアノだけのごまかしの効かない世界で、感情行き交う音楽を、リラックスした雰囲気の中しっとりと響かせる、素晴らしいアルバムだ。

 このアルバムを聴くまでは、ホセ・ジェームスといえば、ニコラ・コンテのアルバムでの如何にも欧州クラブ・ジャズというイメージの洒脱な演奏の中、そつなく歌っているという印象しか持っていなかったので、このセンシティブな世界は意外だった。そして何よりその若さで本格的なジャズ・シンガーの風格を漂わせていることにただただ驚いたのだ。

 有りそうでなかなか出会わない男性ジャズボーカルとピアノだけのアルバムだが、かつての本格派男性シンガーと、天才ジャズ・ピアニストの組み合わせのデュオアルバムといえば、やはり真っ先に思い出すのが、『The Tony Bennett / Bill Evans Album』 だ。

 ビル・エヴァンスの愛想曲を中心にトニー・ベネットが朗々と歌い上げ、ビルがバリバリの演奏をみせる1975年のこのアルバムは、二人が牽制し合って新しい世界を生み出している、という印象はない。それぞれの出来上がった世界を組み合わせた贅沢さを感じる名盤ではあるのだが、探りあうという感じの音楽ではないのだ。恐らく、お互いのキャリアの深さが自然なマッチングを生んでいるのだろう。どちらかといえば、キッパリとしている。それだけに、ひとり物思いに耽るときの音楽ではないな、なんて思ってしまう。深夜の少し賑やかになったBARでは最高だと思うけどね。この古いアルバムと少し趣は違うものの、ホセとジェフのアルバムの存在感も決して負けてはいない。『For All We Know』は紛れも無く名盤である。

 ホセのジェントルボイスとジェフのクリーンなピアノの音を聴いていると、少し早めのサンボアにでも行ってみようかな、なんて思い始める。音楽はiPhoneにでも忍ばせておこう。まだ新鮮な空気の中で静かに響く音楽を聴きながら、その日最初のハイボールを手際よく準備するバーテンダーの動きを目で追いつつ、物思いに耽る......最高のリラクシングだと思いませんか?

 

 

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