Jerrio’s Cafe ~ 気がつけば音楽が流れていた

 店主 Jerrio の四方山話と愛聴盤紹介。ジャンルの壁を越え、心に残った音楽について語ります。

ラスト・リゾート

 どうしていつもこうなるんだろう、なんて思いながら、ひたすら溜まりに溜まった宿題を片付ける日々。子供の頃、夏休みの終盤はいつもこんな感じだった。あ~、こんなことなら、早いうちにちゃんとやっておけばよかった...毎回そんなことを思っていた気もするけれど、身に沁みていたわけではなかったのだろう。僕の記憶では、計画通りにきちんと宿題を済ませた夏休みなんて一度も無い。初旬の三日坊主と終盤の後悔は恒例だった。

 これだけ歳月を経た今になっても、この時期になると夏の終りの寂しさと同時に、焦りにも似た重苦しい気分になったりするのだから、その記憶は思った以上に深く、心のどこかに刻まれているのだろう。

 高校を卒業するまで、受験勉強も含め、こと勉強に関してはずっとこんな感じだった。計画は立てるのだが守られることはほとんどない。他のやりたい事を優先してしまう。最後は表面的にサッと撫でるだけでお茶を濁す。そんなことをやっていて、上手く行くはずはない。一目惚れ状態で入学を懇願した大学にも見事にふられ、めでたく浪人生となった。

 当時僕の田舎では、大学はもちろん予備校ですら通うことは難しく、家を出るしかなかった。そういう背景からか大学浪人をする人は極めて少なく、忌み嫌われた。志望校を調整して現役で合格させるのが、クラス担任のメイン業務だったし、滑り止め対策にも力を入れていた。そして何よりもみんな素直だった。事実、高校3年のクラスで翌年内申書を再発行してもらったのは僕だけだったらしい。たった一人の浪人生だったのだ。僕だけ素直ではなかった、ということなのだろう。あるいは、あきらめられていたのかもしれない。

 このままではダメだ、と痛烈に思った。受験に失敗したとわかった瞬間から、過去に例の無いほどの反省と自己分析の日々を送った。自ら決めたことが守れない。理系でありながら、理数系の実力が自分についている気がしない。目に見えない「力」の向上に時間を割かず、安易に得意でもない暗記物に流れる。そんな自らの深層にある思考パターンを読み取り、否定し続けた。結果はどうあれ、最後に後悔をしない一年を送りたい。身に沁みてそう思い、そのことだけのために一年を賭けてみようと思った。そこまで決断すると後は早かった。そのために最適な、一切をシャットアウトできる環境を目指し、隣県の予備校に行くことに決めた。

 予備校の寮は海岸近くの不便な場所にあった。田んぼの中にポツンとある古い2階建ての建物で、ベッドと机と本棚だけの狭い一人部屋が20室程度。窓を開けると田んぼの向こうに穏やかな海が見えた。周囲には遊ぶ場所なんてどこにもない。そこから街中の予備校まではかなり遠く、朝夕、自衛隊あがりの寮監が運転するマイクロバスでの送り迎えつきだった。

 決めていたことは、真剣に授業に取り組み、素直に授業を信じること。授業そのものが受験勉強と認識すること。それ以外の時間はできる限り理数系の実力向上に当て、ひたすら難問に向き合うこと。そんな中、予備校から支給される資料以外で手元にあったのは、厳選した高校時代の参考書と、時々購入する「大学への数学」という雑誌の問題集だけで、きわめてシンプルだった。

 そうやって決めた自分のルールは、毎夏経験していたお得意の三日坊主にはならなかった。一日中向き合っても数問しか取り組めないような日もあったが、毎日の充実感には、これまでに経験したことの無い「かみ合う」感じがあり、次第に熱中していった。

 

 その年の夏も暑かった。日中の夏期講習は予備校の涼しい部屋で快適だったが、冷房の無い寮の部屋での勉強はそれなりに大変だった。というか、まだそれが当たり前の時代。海岸の近くなので、風が抜ける朝晩は涼しくて助かった。ひとつだけ覚えているのは、8月終盤の講習の休みの日、一日向かっていた机に夕日が差し込み始めたことで時間の感覚がよみがえり、開け放した窓からオレンジ色にきらきら輝く凪いだ海の表情を眺めながら、あ~、泳ぎたいな~、と思ったこと。そしてそこに流れていたのが、その日繰り返し聴いていたアルバム、イーグルスの名盤 『ホテル・カリフォルニア』 のラストソング、「ラスト・リゾート」だったことだ。

 このアルバムを聴くと、無条件にあの夏を思い出す。当時ロックをあまり聴かなかった僕にとっても、高校1年の時(1976年)に発売されたこのアルバムはお気に入りで、カセットテープで持ち込んでいた。カントリー・ロックのイメージが強かったイーグルスが、前作に引き続き大きく変わったアルバムであり、全体に広がる哀愁とその深みを感じさせる音楽は、当時の僕の心境にピッタリとマッチングするものだったのだ。

 このアルバムの最後を飾る「ラスト・リゾート」は、基本、簡単なメロディーの繰り返しなのだが、そのロックのイメージを超えた素晴らしいアレンジが、静かに、深く、気持ちを高めてくれる。タイトルの「The Last Resort」を勝手に「最後の楽園」と思いこんでいたのだが、僕はこの音楽の中に、目に見えない何かを信じ、何かを目指すその先に広がる「ラスト・リゾート」を見ていたのだろう。その音楽から湧き上がってくるふつふつとした希望に励まされていたのだと思う。

 ずっと後になって、この曲は「"Last Resort” = 最後の手段」という意味合いも掛けていて、アメリカ社会の独りよがりな発展で失ったものを暗喩した、宗教的な色合いも含んだ曲であるということを知ったのだが、当時の僕にとってはそんなこととは関係なく、ただただ癒される音楽だった。

 もちろん、このアルバムは、タイトル曲「ホテル・カリフォルニア」がLPのA面冒頭にデーンと陣取り、全体のイメージ作りの先鞭をつけている。12弦ギターで始まるこの曲は、今や誰もが知っている名曲なので、その素晴らしさの説明は要らないだろう。

 しかし僕にとっては、A面の最後(CDでは4曲目)の「時は流れて(Wasted Time)」が、冒頭の「ホテル・カリフォルニア」と呼応して、このアルバムの色合いを更に確実なものにしていると思えてならない。この曲は、イーグルスの1973年の名曲「ならずもの(Desperado)」を彷彿とさせるスロー・バラードで、大好きな曲だ。

 ここでLPではB面に行くのだが、その冒頭にA面で構築した雰囲気を壊さない仕掛けがある。それは、弦楽合奏にアレンジされた「時は流れて(リプライズ)」だ。「え?本当にイーグルスのアルバムなの?」と思ってしまいそうなアレンジだが、僕はこの短い曲の中に、弦楽合奏の素晴らしさを見ていた。翌年、オーケストラでチェロを始める僕にとって、実はこの曲で感じた「いいなあ...」が微妙に影響していたかもしれない。

 このリプライズが無ければ、B面は唐突にバリバリのロックで始まることになるのだろうが、このクッションが有るおかげで、A面の雰囲気がそのままB面につながっている。そしてこれが、最後の曲「ラスト・リゾート」と呼応することで、やはり全体を哀愁を帯びた穏やかな雰囲気で包んでいるのだ。

 

 「ラスト・リゾート」を聴きながら見た夕日は、とても豊かで暖かな気持ちを連れてきてくれた。8月終盤のその時まで、暑い夏をひたすら受験勉強一色で乗り切った。前年とは大きな違いだった。その頃には、やってきたことに間違いは無かったということが実感できるようになっていた。8月末の短い休みには久しぶりに家に帰ろうかな。そんなことを束の間考え、再び机に向かった。「ラスト・リゾート」は終り、かすかなノイズを乗せて、空白のテープは、回り続けていた。

 これまでの人生の中で、あの年ほど一つの事だけに集中した年は無かった、と断言できる。もしあの一年が無いまま、間違って大学にでも入ってしまっていたとしたらと思うと、今でもぞっとする。その後の学生生活も、就職してからの様々な仕事も、恐らくあの年に掴んだ自信の上に成り立っていた。しかし、その先にあるものが、ラスト・リゾートだったのかどうかは、まだわからない。それを探すのは、これからなのかもしれない。

 

 

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