Jerrio’s Cafe ~ 気がつけば音楽が流れていた

 店主 Jerrio の四方山話と愛聴盤紹介。ジャンルの壁を越え、心に残った音楽について語ります。

Never Let Me Go

 「わたしを離さないで」 原題 "Never Let Me Go"は、僕が初めて読んだカズオ・イシグロの小説だ。もう読んで4年近くたつが、今だにその内容を思うとき、どこか重苦しく落ち着かない、切なさも混じった独特の気分が戻ってくる。名作である。

 静やかで抑制された表現の中に、あるいはとても丁寧に描写された一見なんでもない日常の中に、語り手の胸の内に漂う様々な感情が秘められていて、読んでいるこちらの気持ちも、その思いに同化していくように感じた。SF的なアプローチでありながら、とてもリアルな感覚を持つのは、むしろその衝撃的なシチュエーションがテーマなのではなく、そこにある感情のやり取りとその先にあるものがテーマであり、通常の人生における一側面を暗喩しているからだろうか。しかしそこに横たわる重苦しさはやはりその設定から来ているのだろう。(あまり詳しく書くとよくないのでこのあたりまでで...)

 何故今こんな話をしているのかというと、先週のノーベル賞受賞式の報道や、笑顔を見せながらその様子や心境を訥々と語る医学・生理学賞受賞の山中教授を見ていて、ふとこの本を読んだころのことを思い出しながら、思わず苦笑してしまったからだ。

 人が感じる印象なんていい加減なものだ。当時は「IPS細胞」の背景もクローン技術との違いもわからないまま、国際的に注目されてはいるが、どこかお金の匂いすらする怪しげな研究という印象が強かった。さらに時折映像に登場する耳の大きな笑わない山中教授の姿からは、(何の根拠もないのに!)アメリカナイズされたビジネスライクで計算高い研究者が静かに牛耳っているような、ただただ不気味な印象を持ったのだ。(山中さん、ごめんなさい...)そしてこの不気味さが、この本の重苦しさとリンクして、落ち着かない感じを煽っていた。

 ところが一転、今回のノーベル医学・生理学賞の受賞で、山中教授の様々な肉声やこれまでの研究の経過報道を見て180度印象が変わってしまった。あー、なんて不器用でありながら心ある素晴らしい研究者なんだろう、と単純だけど思ってしまったのだ。このどん詰まりの日本において、今や希望の星である。「人は第一印象で判断してはいけない」、なんて言葉では言いながら、なんてこったい!

 

 話を元に戻そう。今や世界的な人気作家になったカズオ・イシグロは、日本で生まれ日本人の両親を持ちながら、5歳の頃から英国に住み英国に帰化した英国人作家だ。日本の芥川賞にあたる英国ブッカー賞を受賞し、村上春樹と並んでインターナショナルに人気のある日本由来の作家ではあるが、僕たちが普通目にするのは訳本だ。カズオ・イシグロ村上春樹は、(年も離れているので)それほど親密では無いようだが、お互いの作品を認め合い尊敬しあっていることは、それぞれ公言している。更にジャズ好きという共通点もあり、二人の会話はもっぱらジャズの話ばかりらしい。

 「わたしを離さないで」は、そんな二人の接点から生まれた小説で、カズオ・イシグロ村上春樹からプレゼントされたジャズCDの中に入っていたスタンダード曲「Never Let Me Go」にインスピレーションを得て出来上がった作品である。誰のCDなのかは公表されていない。しかし、そのタイミングから、一説ではジェーン・モンハイトのデビューアルバム 『Never Never Land』 ではないかと言われているが、どうだろうか。

 楽曲「Never Let Me Go」は小説の中にも登場するが、タイトルは同じでも原曲とは全く違う架空の曲を想定したものになっている。歌手の名前はジュディ・ブリッジウォーター、アルバムタイトルは「夜に聞く歌」とあり、表現された歌詞も含めて、曲名以外は全て架空のものだ。しかしこのアルバムの入ったカセットテープが、小説では大きな役割を担っていて、実在する原曲の内容との相乗効果で効いてくる複雑な仕掛けになっている。

 そんなカズオ・イシグロが最も贔屓にしているジャズ・シンガーが、ニューヨーク生まれで現在はイギリス在住のステイシー・ケントだ。どれくらい贔屓にしているかというと、例えば2007年の彼女のアルバム 『Breakfast on the Morning Tram』 では、カズオ・イシグロが、なんとタイトル曲を含む4曲を作詞しているのだ。曲は、彼女の雰囲気に十分馴染んだ素晴らしいものだが、その内容は小説家らしくずいぶん練られたものなのだろう。

 ちなみにステイシー・ケントは、恐らくその返礼として、このアルバムの中に「Never Let Me Go」をしのばせている。ひょっとしたらこれこそがカズオ・イシグロのイメージした「Never Let Me Go」なのか、なんて思ってしまうんだけど、小説の中に出てくる架空のその曲の歌詞は「ベイビー、ベイビー、わたしを離さないで」などというファンキーなものなので、ちょっと舌足らずでかわいい感じの彼女のイメージとは全く合わない。でも...あ~、何度聴いても絶品だ。醸し出される甘さと切なさは、カズオ・イシグロの作品に通じるところがある。そのインスピレーションをも体現して返しているのかも知れない。

 ノーベル賞の報道を見て、思わぬ話の展開になったが、ノーベル賞つながりで言えば、これから数年その時節になれば、そのたびに村上春樹の名前が取沙汰されるんだろうね。そして恐らくは、2年後か3年後に獲るのだろう。(来年は厳しいかな。今年がアジア系だったので...)僕も学生時代から、彼の作品は全て単行本で購入して読んでいるけど、まさかこんなことになるなんて夢にも思っていなかったな。

 とまあ、「Never Let Me Go」を通じてチェーンが繋がったところで、お・し・ま・い。

 

<おまけ>

 美しい英語表現を使うことで評判のカズオ・イシグロを知るには、やっぱり原書でしょうか。僕は苦手ですが...

 ついでに、カズオ・イシグロ作詞の曲も一曲。ふぅ~。

 

 

<関連アルバム&Books>

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