Jerrio’s Cafe ~ 気がつけば音楽が流れていた

 店主 Jerrio の四方山話と愛聴盤紹介。ジャンルの壁を越え、心に残った音楽について語ります。

僕が戻ったときに...

 ジャズ・ギターの音色を、しっかりと認識したのはいつだっただろう。先日、ウェス・モンゴメリーのアルバムを聴きながら、そんなことを思った。思い当たったのは、学生時代。たまたま友人の部屋で聴いたジム・ホールの超人気盤 『Concierto』での演奏だったような気がする。

 当時僕は、ジャズについてほとんど知識も無く、大学ではオーケストラでクラシック、部屋に戻れば、ビルボードのチャートでポップスばかり追いかけていた。ただ、時々聴いていたNHK-FMの夜11時過ぎに始まる番組、「クロスオーバー・イレブン」から流れてくる音楽や、その空気感は大好きだったし、友人から紹介される「ジャズに分類されるらしい」音楽には、素直に惹かれていた。

 友人の部屋で聴いたジャズ・ギターの音色はとても魅力的で、「ジム・ホール」という名前もしっかり覚え、それからしばらくして、思い立ってレコードショップで探してみた。よしよし、このアルバム。うん、確かにアランフェス・コンチェルトも入っている。ジャケットも、確か「石像」だったような気がするし、これこれ、なんて思いながら購入したのがこの写真のアルバム。A面に「アランフェス協奏曲」、B面に「白鳥の湖」と「亡き王女のためのパバーヌ」...ふ~ん、クラシックをアレンジするのが好きな人なのね...てな具合だった。

図1_130421

 その時、何も知らない僕が「うろ覚え」で購入したLPレコードは、なんとオリジナル盤ではなく、CTIレコードでのジム・ホールのアルバムからクラシック由来の曲だけを集めた企画盤だった。しかもそのことが判明したのは、就職してCDでジャズを聴き始めた後というんだから、なんともお粗末な話だ。しかし、あの印象的なジャケットを「石像」と記憶していたところまではよかったんだけどね...

 ということで、めでたくオリジナル盤をCDで入手したのは、ジャズに目覚め、ただひたすら聴きたおしていた20代の後半、30歳の壁が少し見え始めた頃だ。これが、CTIレコードの20周年記念に発売された24金ゴールドCDで音質バッチリという、本当か嘘かわからないような怪しいCDだったが、今度は間違いなかった。

 

 ところで、このアルバムは一般的に4曲目の「アランフェス協奏曲」に目が行きがちだが、実はその前の3曲、LPレコードで言えば、A面の3曲が実に秀逸である。2曲目、3曲目のジム・ホールと、奥さんであるジェーン・ホールの楽曲も素晴らしいが、なんと言っても一曲目、コール・ポーターの名曲「You'd Be So Nice To Come Home To」 の演奏が、僕は好きだ。

 ジム・ホールの端正な演奏は、ローランド・ハナのピアノ、ロン・カーターのベース、そしてスティーブ・ガットのドラムスという、超一級のリズム・セクションに乗せられ少しずつ加熱していく。そんな中を静かに忍び入るポール・デスモンドのアルト・サックスとの絡みが始まる。なんとも心躍る演奏が盛り上がる中、ポール・デスモンドからバトンを受け継ぐように、かけ合いながら入ってくるのがチェット・ベイカーのトランペットだ。この抑制された都会的な演奏がたまらなくいい。

 以前にも少し書いたことがあるのだが、当時僕は50年代から60年代にかけてのチェット・ベーカーの演奏や歌に結構はまっていた。チェット・ベイカーも存命中で、まだ60歳にもなっていないのに、相当に老け込んでしまった彼の話は色々出ていたし、ちょうど自伝的なドキュメンタリー映画が撮られていることも話題になっていた。そんな矢先、チェットの訃報が飛び込んできたのには驚いたものだ。オランダのホテルの窓からの転落死。原因は不明とのことだった。

 そういった中でこのジム・ホールのアルバムで聴いたチェット・ベイカーの演奏は、思えば彼が失意のどん底から這い上がってきた時期のものだった。アルバムは1975年のリリース。チェットは、いわばドラッグ中毒者で、その5年ほど前にドラッグがらみのけんかで歯を折られ、これがトランペッターとしては致命傷となって演奏活動も休止。生活保護を受けながら貧困の生活を送っていた。このアルバムは、その窮状を知ったディジー・ガレスピーの支援によりようやく立ち直った頃の録音であり、新天地を求め活動拠点を欧州に移す直前の演奏なのである。

 コール・ポーターミュージカル映画「Something to shout about」の挿入歌として書き下ろしたこの曲をチェットはとても好きだったようで何度も演奏している。僕が最初に耳にしたのは、1959年リリースのアルバム「Chet」での演奏だった。

 このゆったりとした演奏には、若い頃のチェットの詩情があふれていて、彼がこの曲に込めていた思いが素直に表れている。演奏には、全盛の頃のビル・エヴァンスがピアノで参加していて、しっかりと脇を固めているのも興味深い。

 

 ところでこの曲には、「これぞジャズ」と言えるあまりにも有名な演奏が、インストゥルメンタル、歌、それぞれに厳然としてそびえ立っている。まずはインストでは、やはりアルトサックス奏者、アート・ペッパーの一枚、1957年録音の 『Art Pepper meets The Rhythm Section』 での演奏だろう。

 当時のマイルス・デイビスの強力なリズムセクションをバックに、アート・ペッパーが伸び伸びと吹いたこの曲のお手本のような軽快な演奏だが、「モダンジャズ演奏のお手本」とも言えるほどだ。

 そして歌モノではヘレン・メリルクインシー・ジョーンズがアレンジし、クリフォード・ブラウンがトランペットで参加した1954年録音の演奏はあまりにも有名であり、恐らくここが、この曲の拡大の起点なのだろう。

 ヘレン・メリルで知られた曲なので、女性の目線の曲かと思われるかもしれないが、どうも原曲は男性からの思いを歌っているようだ。では、チェット・ベイカーは歌っていなかったのかというと、もちろん歌っている。1987年、亡くなる前年にチェットは来日を果たし、東京で演奏も行った。その中で彼はこの曲を歌い、吹いている。また、その前年にリリースされたアルバム『As Time Goes By』(日本盤は『Love Song』)にも入っている。

 

  僕が戻ったときに、君が家にいてくれたなら

  空高く木枯らしが子守唄を歌うとき、君が暖炉のそばにいてくれたなら

  僕が望んでいるのは、そのことだけ...

 

  冬の凍えるような星の下でも、燃えるような8月の月の下でも

  家に帰ったときに君がいてくれたなら

  そこは素敵な楽園になると思うよ

 

 1975年から欧州に新天地を求め、その13年後にオランダで命を落としたチェットが、かつて活躍した場所を思って歌っているような、そんな思いさえ湧き上がって来る。

 かつてのジェームス・ディーン張りの面影もすっかり無くしてしまった、年齢以上に老け込んだチェットの演奏を聴いていると、当時撮影され死後公開された、ドキュメンタリー映画「Let's Get Lost」を強烈に観たくなってしまった。この作品は、アカデミー賞にもノミネートされたのだが、調べてみると、日本のリージョンコードのついたDVDは発売されていないようで、通常のプレイヤーでは観ることができないとのこと...

 あー、そういうことなら余計に、観たい観たい、観たいー!

 

 

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