Jerrio’s Cafe ~ 気がつけば音楽が流れていた

 店主 Jerrio の四方山話と愛聴盤紹介。ジャンルの壁を越え、心に残った音楽について語ります。

高山厳を知っていますか?

 この急激な円安はどうかと思うけど、疑心暗鬼の中ではあっても日経平均株価も上昇を続け、日本経済に明るい兆しが見え始めているのは事実だ。ことに円安のメリットを大きく受ける自動車メーカーの回復振りは目覚ましいが、そうした大企業の実態は本当に「進化」しているのか、ということを皮肉った文章を、先日新聞で見つけて、ひとりニヤリとした。

 それは東大阪市の話だった。この街は、六千もの町工場がひしめく「ものづくりの街」だ。ほとんどが、従業員10人以下の零細企業でありながら、長かった円高の嵐にも耐え、ひたすら自分たちの技術を磨き続けながら生き延びてきた。今やこの町の技術が無ければ、最先端の自動車も、飛行機も、高速鉄道も、最新のスマホも、さらには宇宙への探査機やロケットさえも、前に進まない。

 ところがそうした金属と油の匂いが漂う街で看板を眺めながら歩くと、おかしなことに気付くというのだ。会社の名前は「××ミシン工業」とか、「××バネ製作所」とあるのに、つくっているのは最先端の機器の、名前とは全く関係のない部品だったりする。まさに「看板に偽り有り」だが、そうなった理由は東大阪の職人がよく口にする「どないかします」にあるという。

 こんな部品はつくれるかと聞かれれば、決して無理だとは言わず、次々と大企業の要望に応え続けているうちに、いつの間にか「本業」からずれていった。偽りの看板は進化の証なのだが、はて、大企業の側は本当に進化しているのだろうか、と締めている。

 

 ところで、この東大阪が生んだ高山厳というシンガーソングライターをご存知だろうか。演歌歌手の高山厳だったら知っている、という人もいるかもしれない。それは恐らく、1993年に「心凍らせて」という演歌で有線放送大賞のグランプリを取り、アダルト歌謡路線で今も歌い続けているのでご存知なのだろうが、僕の言っているのは、1975年から1982年にかけて6枚のオリジナルアルバムと2枚のベスト盤を出したシンガーソングライター・高山厳だ。

 アルバムの数はそこそこだが、表舞台に出ることもなく消えていった。ソロデビューする前は、1971年、ばんばひろふみ今井ひろしと結成した「バンバン」でデビューを果たしていたが、しばらくして脱退。バンバンは彼の脱退直後に、荒井由実から提供された「いちご白書をもう一度」が大ヒットし、一躍有名になったため、彼は不運のミュージシャンのように思われたかもしれない。

 僕は高校入学の直前、高山厳のデビューアルバムをたまたまレコード店で見つけ、そのジャケットから立ち上るオーラを見過ごすことができず、どのような音楽かもわからないまま、少ない小遣いをやりくりして購入した。高校卒業までに、さらに2枚のアルバムがリリースされ、それらの音楽は僕の高校生活に常に寄り添っていた。僕にとってはまさに、あの時代そのもののパーソナルな音楽であり、なかなか冷静に語ることができない位、思い入れの詰まったものなのである。

 当時僕は、子供の頃から続けていた鍵盤楽器がどうにもカッコ悪くてたまらず、そんな練習なんてそこそこにギターばかり弾いていた。僕の場合は電子オルガンだったが、少しだけ齧ったピアノも同じようなものだった。鍵盤楽器=男らしくないもの。もっとカッコいい楽器でカッコいい音楽をやりたい。彼のファーストアルバム 『この世には愛がなさすぎる』 に出逢ったのは、そんなことが意識の中に横たわっていた頃だった。

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 表ジャケットにはピアノを弾く高山厳の姿が、裏ジャケットにはピアノの前で煙草を燻らす彼の姿があり、そのモノトーンの写真が、僕にあった鍵盤楽器のマイナスイメージを根底から覆し、「カッコいい~」としびれさせたのだ。なんとも単純な話だが、当時は僕も15歳。まあ、そんなものである。

 しかしその素晴らしさは、決してジャケットだけではなかった。「忘れません」や「朝」、「涙だけが」など、ピアノの弾き語り曲では心情を訥々と歌い、「離れていても」や「ひとり」のようなバンドサウンドでは丁寧に、時には突き放すように歌いあげ、ギターの弾き語りもこなす彼の世界は、決して派手さはないのだが、繰り返し聴くことでどんどん味わいが増す、不思議な世界だった。

  ☆ Link:忘れません / 高山厳

 特に彼のピアノの音は、僕のその後の、音や音楽への意識に大きく影響を与えたのではないかと思う。ピアノの弾き語りは女性のものだった日本の当時の音楽事情の中で、そのわりと淡々とした男性による弾き語りの世界から、僕は大きなインパクトを受けていた。

 一部ではミュージシャンズ・ミュージシャンと言われ、玄人受けしていた高山厳の音楽を語る上で決して外すことができないのはアレンジを担当していた惣領泰則だ。彼はブラウン・ライスというバンドを率いアメリカで活躍していたアレンジャーで、高山厳の4枚目のアルバムまでは、全アレンジを担当していた。

 惣領泰則のアレンジは、当時認識されていたフォークソングで括れるものではなく、アメリカでも高く評価された才能を存分に発揮し、今聴いても十分通用する丁寧な作りで、当時の高山厳の音楽性とのマッチングもとても良かった。特に3枚目のアルバム、『愛と夢をなくさず』 は、トータルアルバムとしても最高の作りになっていて、「君がいるなら」のバンドサウンド、それに続く、「今日からひとり」における、サックスやジャズギターを駆使したジャジーなアレンジで、冒頭から痺れさせてくれた。タイトル曲の「愛と夢をなくさず」のような、ギター一本の弾き語り曲もあり、全体にボワーッとした独特な雰囲気の中で、暖かな感触を与えてくれるこのアルバムは、ファーストアルバムと合わせて名盤だと断言できる。

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 そんな高山厳の音楽は、決してメジャーにはならなかった。それは恐らく、彼の朴訥な性格も影響していたのでは、と思ってしまう。実際に誰かの前座で演奏している彼の姿を見たことがあるが、ステージにピアノとギターを置き、せっかく大阪弁なのに、面白い話ひとつするわけでもなく、ぼそぼそと曲名を言っては、ピアノやギターを弾き語る彼の姿は、誠実さは伝わるものの、とても当時のメジャーなミュージシャンのそれではなかった。当時次々にメジャーになっていく人たちは、一様に深夜放送で面白いことを聴衆に語り掛けることで人気が出ていた。時代は弁舌に長けた、語れるミュージシャンを求めていた。その点では絶望的だった。

 もし彼の音楽がメジャーになっていれば、僕の中でここまで特別な存在に育っていたかどうかは正直わからない。マイナーであることで特別感が増幅していたことは確かだ。僕自身、彼の音楽のことは、これはと思う人としか共有しなかったが、それゆえに数年前、当時埼玉に住んでいた旧友から久々にもらったメールの中に、高山厳の名前があった時はうれしかった。そこには、今でも当時の6枚のアルバムをCD-Rで聴きながら、その素晴らしさを実感していると書かれていた。その話は、共感とともにとても懐かしい心持ちを呼び起こさせてくれ、彼にも久々に会いたくなり、その後、東京出張に合わせて飲みに行ったりしたものだ。

 そう言えば、学生時代に付き合い始めた彼女に、初めて贈ったプレゼントも彼のファーストアルバムだった。その頃には、全く違う音楽の世界にどっぷりつかっていた僕だが、最初に贈る自分からのプレゼントとして、一番いいと思って贈ったのだと思う。だから今でも、我が家には高山厳のファーストアルバムが2枚ある。

 

 高山厳は、その後、冒頭にあったものづくりの街・東大阪の町工場で工員として働きながら、音楽への夢をあきらめずにいたようだ。そんな彼が、苦節23年、今度は演歌を歌って大売れした時には、正直びっくりした。確かに同一人物だったが、歌を聴いて、あー、全く違う、と思った。音楽の歌い方、伝え方、声から節回しに至るまで、当時と全く変わってしまった彼の音楽は、紛れもなく演歌だった。

 複雑な、裏切られたような心境だったが、そんなモヤモヤが解消したのは、矢野顕子が当時月刊カドカワに連載していたエッセイをまとめた本「きょうも一日楽しかった」で読んだ一編だった。当時エッセイを書くために、ニューヨークから月に一度帰国していた彼女が、紅白歌合戦に「なつかしい高山弘くん(本名です)」が出演しているのを見て、編集部に頼んで実現した企画で、ゆうせんでのプロモーションやラジオ出演等の演歌歌手のエーギョーの一日体験を綴ったものだった。

 高山厳がまだバンバンの一員だったころ、矢野顕子とよくツアーで一緒になり、その合間に矢野顕子がピアノを教えたりしていたというのだ。その中で二人は様々なことを話している。工員として働きながら、細々と音楽を続けていたある日、スタッフから出た「歌謡曲を歌う高山厳を見てみたい」という要望に対し、路線を変更して歌うのだったら、自分なりに歌の心を伝えられる形でやりたいと、その形をコツコツと確立していったようだ。それはまさに東大阪の職人気質「どないかします」の精神であり、職業人としての進化だったのかもしれない。

 しかし、矢野顕子と話すのは、ニール・ヤングやジェームス・テーラーキャロル・キングの話題であり、あー、彼の嗜好はやはり変わっていないんだ、と思った。彼は市場が求める職業としての「歌い手」を、朴訥に務めているのである。

 今の彼の音楽を聴くことはない。しかし、あの頃の彼の音楽はよく聴く。彼が演歌で売れたおかげで、若い頃の2枚のベストアルバムがCD化され、僕もその恩恵を受けたのだが、未だ6枚のオリジナルアルバムがCD化されたという話は無い。今も通用する素晴らしい音楽が詰まっているので、もっとたくさんの人に聴いて欲しいと思っているんだけど...

 

 

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