Jerrio’s Cafe ~ 気がつけば音楽が流れていた

 店主 Jerrio の四方山話と愛聴盤紹介。ジャンルの壁を越え、心に残った音楽について語ります。

TPPと音楽の関係

 今日は、今まさに行われているTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)交渉のお話から、なーんて言うと堅苦しくて引いてしまうかもしれないけど、その中の僕がちょっと気になっている話題をひとつ。日本では著作者の死後50年の著作権保護期間が、米国同様70年になるかもしれないって話だ。まあ普通に考えれば、国によって保護期間が違うってのも変な気もするんだけど...

 音楽の世界では、この著作権切れは流行のトリガーになることもあるのでちょっと見過ごせない。たとえば1980年代の後半、何故かフランスの作曲家、エリック・サティーの大ブームが起こって僕も当時CDで初めてその音楽に触れたりしたけど、今考えればあれは著作権が切れた時期と重なっていた。あるいは「最近よくCMやドラマで使われてるよね」っていう音楽が、実は著作権切れ直後のものだった、ということも時々ある。演奏会だってそうだ。著作権が切れれば格段に演奏しやすくなるのだ。

 ということで、今年は2013年だから70年前の1943年に亡くなった作曲家といえば、セルゲイ・ラフマニノフが挙げられる。そうか、日本の著作権保護期間が70年だとすれば、あの叙情性溢れるラフマニノフの音楽はここまで露出してなかっただろうし、そうなると今年くらいからブームが始まったんだろうな、などとちょっと思ってしまった。ちなみに、日本には戦後のペナルティーで約10年の加算があるので、それを考えるとラフマニノフ著作権はまだ当分切れないってことになる。

 ところで僕がまだ十代の高校生の頃、もちろんクラシックになんて全く興味が無くラフマニノフという名前すら知らなかったのに、実は知らないうちにラフマニノフの音楽に魅了されていた、という話をしよう。

 その音楽に出会ったのは高校時代。従兄が持っていたリリースされて間もない無名の新人のセカンド・アルバムだった。歌手の名前は桑原野人。アルバムタイトルは 『野人Ⅱ』 。売り出し中のシンガー・ソング・ライターで、その後全く売れなかったのが不思議なくらい、演奏も歌も上手く、曲もよかった。CDも発売されていないので、今やご存知の方はほとんどいないだろう。(もちろんYouTubeにもありませんでした。)

 その中に、件の曲「ひとりで(All by myself)」が入っていた。オケ・アレンジとピアノが印象的な楽曲で、間奏にはコンチェルト風のピアノソロが入る。その他の曲とは明らかに温度差がある曲だったが、僕は一撃で魅了され録音させてもらったカセットテープのその曲の部分だけを巻き戻しながら何度も聴いた記憶がある。

 その曲が、実は彼のオリジナルではなく、その前年にアメリカで流行った曲を日本語でカバーしたものだったことを知ったのは、大学に入って洋楽を聴き始めてからだったと思う。その曲とは、エリック・カルメンの「All By Myself」で、1975年リリースの彼のソロ・デビューアルバム 『Eric Carmen』 に入っている。

 さらにその曲が彼のオリジナル曲ではなく、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番の第2楽章をモチーフに作られていることを知ったのは、後年のことだ。モチーフに、というと軽すぎるかもしれない。ほとんどそのものである。リリース当時、ラフマニノフの音楽はあまり紹介されておらず、知名度もなかったようだが、この「All By Myself」がビルボードのヒットチャートで全米2位にまでなったことは、その後のラフマニノフ人気と無関係ではないだろう。

 シングル盤の短い間奏とは違って、アルバムでの「All By Myself」の間奏は長く感動的だが、このピアノはエリック自身が弾いているようだ。ロックンロール・グループ出身とはいえ、子供の頃から恐らくクラシックに親しんできた彼が、まだあまり有名でないクラシックの楽曲の中にある魅力を、自身の音楽の中に持ち込みたいと考えたのだと思う。

 ところでエリック・カルメンはこの曲の著作権をどう考えていたのかが気になるところだ。というのは、当時アメリカでの著作権保護期間は、著作者の死後ではなく、楽曲ごとの公表年からの年限で仕切られていて結構複雑だった。一説には、彼はどうもラフマニノフの曲は著作権が切れていると勘違いして使ったらしい、とある。シングル発売された当初、作曲者はエリック・カルメンだけになっていたが、著作権がまだ切れていないことを指摘され、慌てて作曲をラフマニノフとの連名にして使用契約を取り付けたという。その勘違いがなければこの曲は生まれていなかったのかもしれない。

 ちなみにこのアルバムには、ラフマニノフ交響曲第2番のモチーフを使った曲、「Never Gonna Fall In Love Again」も入っていて、この曲もシングルカットされ、全米5位にランクインしている。まさにラフマニノフ人気の立役者だったわけだ。

 こんな風に、著作権がどうなるかは音楽の流行を左右する結構大きな問題なのだが、さてTPPでの交渉の行方はどうなるのだろう。日本で注目を集め表に出てくる農業分野等での譲歩を得るために、この知的財産分野は要求される条件を飲んでしまうのではないか、とも思ってしまう。案外米国の狙いは、決まれば巨額の収入につながるこの分野にあるのかもしれない。そうなると、ラフマニノフの音楽は露出が減るのか、ってことだけど、それはご心配なく。一度著作権が切れたものが戻ることはほとんど例が無いようなので、今まだ切れていない著作物の保護期間が20年延びるってことになるだけだと思う。

 ところで、かつて著作権なんて全く埒外だった僕が、突然著作権協会に追い回された経験がある。大学の3年の頃、オーケストラサークルの執行委員をしていた時の話だ。演奏会に向けた運営関係でばたばたしていたある日、僕の部屋の電話が鳴った。出てみると、どこでどう聞いてきたのか、著作権協会の人だという。内容は、僕たちが予定している演奏会の演目にストラビンスキーの小品があり、その曲はまだ著作権が切れていないので、使用料を支払ってもらわなければならない、というお話だった。確か入場料と集客の人数に比例した料金だったと思うが、結構しつこくかかってきて、まあ法律だし、仕方ないかな、ということで支払った記憶がある。

 その時びっくりしたのは、自分たちが予定している演奏会の話だけでなく、僕たちも知らないような以前の演奏会でも著作権料が支払われていないので、それも一緒に支払ってほしいと言われたことだ。そんな、何の情報も持ち合わせていないものは支払えない、と断ったような気もするけど、確かその時の担当の方の話では、調査ということで実際演奏会に行って入場料や集客状況をチェックしている、ということだった。たかが学生オケの演奏会で...お、恐るべし、日本著作権協会。ところで、著作権料に学割ってあったっけ...

 

<追記>

 前述の桑原野人のアルバム「野人Ⅱ」には、もう一曲、最高のカバー曲が入っている。それはビーチ・ボーイズの「ディズニー・ガール」のカバーで、彼はピアノ一本で歌っている。この曲も誰の曲かずっとわからずにいた。今日は当時のカセットテープを聴いてみたんだけど...やっぱり素晴らしい。このアルバムはデビューアルバム 『野人』 と合わせ、名盤の領域に入る。CDでぜひ発売して欲しいものだ。ちなみにこの桑原野人、現在はインパートメントというインディーズのレコードメーカーで代表取締役として活躍している桑原守夫氏と同一人物で、素晴らしい活動を展開しているらしい。権利を買い取って、そこから発売するとか...だめかな。

 ところで、桑原野人の「ひとりで」は、もちろんエリック・カルメン著作権使用料を支払っただろうけど、さて、ラフマニノフ分は支払ったんだろうか。考え始めると、夜も眠れません。。。

 

<追記2>

 ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番は、僕の愛聴盤、コチシュの演奏でぜひどうぞ。

 

 

<関連アルバム>

ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第2番ハ短調

ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第2番ハ短調

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