Jerrio’s Cafe ~ 気がつけば音楽が流れていた

 店主 Jerrio の四方山話と愛聴盤紹介。ジャンルの壁を越え、心に残った音楽について語ります。

海から山へ

 いつから海よりも山が好きになったのだろう。子供が手を離れて、帰省の理由が子供がらみではなくなった頃からだろうか。山と言っても登山をする山ではない。緑あふれる森や高原も含めた、海と対極を成す広義の山のことだ。

 子供の頃は夏といえば海一色だったし、四季の中では夏が一番好きだった。夏休みになれば毎日のように泳ぎに行き、背中の皮がひと夏に何度もむけた。めくれかけた皮膚をピリピリと剥がすのは気持ちよかったが、手に取った分身を見るといつも蛇の脱皮を思い描いて少しぞっとした。夏休みが終わって学校に行くころにはみんな真っ黒になっていたが、瀬戸内海に面した小さな街に生まれ育った僕にとってそれは当たり前のことだったし、紫外線は危ないので日焼けをしてはいけない、なんて言う大人は一人もいなかった。

 成人してからは、それほど泳がなくなったが、夏のそうしたイメージはずっと付いて回った。福岡と愛媛出身の僕達夫婦にとって、長期のお休みは帰省するためものであり、そういう中で子供たちを連れて遊びに行く対象として思いつくのは、まずは海だった。

 ただ考えてみれば山へのあこがれはずっとあったのかもしれない。結婚後しばらくして四輪駆動車を購入し、夏休みにキャンプ道具を満載して九州へ帰省したことがある。四国に渡る際、大分の佐伯から高知の宿毛に向けたフェリーを利用し、まだオートキャンプブーム前の閑散とした四万十川を、河原にテントを張ってキャンプしつつ、源流を探って上っていった。子供の生まれる前の二人だけの最後の夏休みだったが、四国山地の奥深くに車で入り、狭い林道を走って山越えをした記憶は今も鮮明だ。まだ四国に高速道路も無いし、本四架橋も一本も通っていなかった頃の話だ。

 流れる水は冷たく澄んでいて、忘れかけている自然を思い起こさせてくれるには十分だったが、そこで目に入るうっそうとした緑の山も森も、分け入って行きたい衝動を起こさせる類のものではなかった。西日本のそうした自然にはずいぶん触れてきたが、さすがに大山と阿蘇は少し違ったものの、あとはどこも似たような感じだった。

 2年前、子供も手を離れ、夏休みを帰省以外に初めて使って北海道に行ったが、山裾にあったホテルや車で走りまわった自然の中で感じた清々しさは、西日本では感じ得ないもので、欧州を思わせるどこかほっとするものだった。その時思った「次は信州に行きたい」を、今年の夏休み、実行に移した。

 

 安曇野、白馬、松本、上高地を巡る4日間だったが、日本中とんでもなく暑い4日間で、安曇野や松本も例外ではなかった。暑い。とにかく暑い。日陰に入ると涼しいのだが、気温は35℃近くあったのではないだろうか。安曇野では美術館やギャラリーなど、気になるところをいろいろ回ったが、やはり異常気象だったのか、冷房が完備されていないところもあったりして、その異常ぶりを体感できた。でもまあ、大阪で感じるような逃げ場のない暑さではない。直接日が当たってさえいなければ、まあ、こういうこともあるよね、なんて笑っていられる暑さだった。

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 一転、白馬五竜の山上や上高地は、そこからどれほども遠くないのにとても涼しい。午前中の気温にして21~22℃というところだっただろうか。目を山に向ければ、雪渓が残っているのだからびっくりする。日差しは強いがひんやりした空気はどこまでも澄んでいる。そして西日本の森とは明らかに違う木々たち。ブナやミズナラシナノキ...白樺も見える。そうした森や、高山植物の生える高原の景観は、西日本では見られないものだ。カメラを向ければ、まるで絵葉書のような一枚が、簡単に手に入る。そんな自然の中にたたずむと、とても落ち着いた気分になれる。僕も変わってきたのかな。

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 安曇野を色々巡る中で最も気に入った場所は「安曇野ちひろ美術館」だった。いわさきちひろの子供の絵はもちろん誰もが知っているだろうと思うが、彼女の人生についてはほとんど知らなかった。身近に感じる絵ではあるのに、彼女がいつの時代の人かすら知らなかったのだ。今回、1974年に55歳で亡くなったと知ったとき、僕は彼女の絵をいつから知っていたのだろうと疑問を持った。ずっと展示を見ながらそのことを思っていたのだが、高校時代に友人か誰かから借りたアルバムの音楽の中に「ちひろの子供の絵のような~」という歌詞があって、それを「いわさきちひろ」の絵のことだな、と思ったことを不意に思い出していた。その頃、すでに僕は「いわさきちひろ」の絵を認識していたことになる。ずっと考えていたが、それ以上のことはついに思い浮かばなかった。

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 いわさきちひろは、戦前20歳で三姉妹の長女として婿養子を貰い結婚、そのまま夫の勤務地の旧満州・大連に赴くが、翌年21歳の時に夫は自殺している。しかし、日本に帰国後もバリバリの軍国女子を貫き、25歳の時には女子義勇隊の一員として再び満州に渡った。ところが一転、戦後、日本共産党に入党。31歳の時にその活動の中で知り合った、後に国会議員となる松本善明氏と結婚し32歳で男の子を授かる。

 ある意味壮絶な人生と、それと不釣り合いな優しい絵の間を、この信州の山懐にある自然が埋めていることを、僕はこの場所だからこそ実感できたように感じた。初日の夕刻の数時間をそこで過ごしたが、中の展示だけでなく、美術館周辺の景観がとても素晴らしかった。花壇や広い芝生の先に、晩年好んで過ごした山荘を模した建物があり、その周辺に佇んでいると、夕日に照らされた一帯の空気が少しずつ翳ってきた。何とも言えない懐かしい気分に包まれて、とても満足してその場を後にした。

 

 というところで、今日の音楽。二日目の午後、絵本美術館に行った後で、近くの「七ヶ月」というカフェ兼雑貨屋さんにうちの奥さんの要望で尋ねたんだけど、そこにはずっと、アコースティック・デュオの「羊毛とおはな」の曲が流れていた。このグループは名前は知っていたし、以前タワーレコードで試聴したこともあったんだけど、しっかり聴いたことは無かった。

 レジ横には「羊毛とおはな」のアルバムがたくさん並んでいる。店員さんに、「このお店、何か彼らと関係あるんですか?」と尋ねると、特に関係あるわけではないが、ここでは好んで彼らの音楽だけを流していて、来月には彼らを迎えてお店の中でコンサートを開くとのことだった。狭いお店だったので、こんなところで大丈夫かな、とも思ったが、流れている音楽ととてもマッチした店内は、その音楽にふさわしい気がした。

 僕もその音楽にとてもいい気分になっていたので、そこで最新盤の 『Live In Living’13』 を購入し、早速車で聴きつつ、安曇野をうろうろしたのだが...その音楽がとにかく素晴らしく、完全にはまってしまった。翌日もう一度あのお店に寄って、あと何枚か購入しようかとも真剣に考えたが、目的地と方向が違ったため、それは断念した。 

 「羊毛とおはな」はボーカルの千葉はなとギターの市川和則のデュオで、この「Live In Living」のシリーズは、リビングルームでライブをしているように、というコンセプトで毎年発売されているシリーズだ(スタジオ録音ですが...)。中には彼らのオリジナルのほかに吟味され選曲された名曲のカバーが詰まっている。

 実は最初お店で聴いた時、彼らのオリジナル曲での少女っぽい歌声が聴こえていただけだったので、カフェブームに乗った軽めのデュオくらいにしか思っていなかったのだが、このボーカルを担当する千葉はな、実はタダモノではないことがアルバムを通して聴くにつれてわかってきた。微妙ではあるが曲によって声も歌い方も変化している。しかもその曲だけを聴いていると、何ともベストマッチングな音楽へと変貌しているのだ。とても上手いし感がいい。しかもオリジナル曲がいい。カバーの選曲がいい。これはしばらくはまりそうだ。

 一曲目の「ホワイト」でしっかり自分達の世界に導入し、2曲目の「はだかのピエロ」につなぐ。この曲が本当にいい。こういう音楽がもっと売れなきゃね。

 プロモーションされている「うたの手紙 ~ありがとう~」もその線のオリジナル曲だが、一方でジョニ・ミッチェルの「Both Sides Now」のようなカバーでは、とても斬新なアレンジで、その世界を作っている。

 とにかく今回の信州の旅の音楽は、途中からこのアルバムが完全に占拠してしまった。しばらくは過去に遡り聴くことになるのだろう。その音楽の中に安曇野の情景を思い浮かべられるのは、とても幸せなセッティングなんだろうな...

 

 今回の旅行まで、信州はとても遠い感じがしていたが、実際に車を走らせれば四国に帰省するのと変わらない。早朝に出れば昼頃には着いている。案外近かったのだ。しかしそこを流れる水はどこまでも冷たく、西に向かって走ったのでは出会えない自然に包まれる。今しばらくは、意識は東に向かって進みそうで...次はいつにしようかな。

 

<おまけ>

 ちひろ美術館では、色々本も買い込みましたが、今この一冊、「ラブレター/いわさきちひろ著」を大事に読んでいます。それを原作とした「いわさきちひろ ~27歳の旅立ち~」という映画が去年公開されたとのことで、これもぜひ観てみたいと思っています。

 

<追記>

 本文に書いた「そんな”ちひろ”の子供の絵のような...」という歌詞のついた曲は、さだまさしの4枚目のソロアルバム 『夢供養』 の中の一曲、「歳時記(ダイアリー)」の2番であることがわかりました。当時、このアルバムはむちゃくちゃ売れたはずです。確か従兄から借りたのだと思いますが、その後僕の嗜好が違う方向に行ったので再度聴くことはなかったと記憶しています...しかし音楽の記憶って、しっかりと残るものだなー。

 

 

<関連アルバム&Book>

LIVE IN LIVING’13

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