Jerrio’s Cafe ~ 気がつけば音楽が流れていた

 店主 Jerrio の四方山話と愛聴盤紹介。ジャンルの壁を越え、心に残った音楽について語ります。

「あまちゃん」 熱かったよね

 遂に「あまちゃん」が終わってしまった。来週からは「あまちゃん」の無い一日の終わりを迎えることになるわけだけど...ううっ、なんて寂しいんだろう...

 平日は、夜ほとんど寝るためだけに家にいるような生活なので、連続もののドラマを見続けるというのはよほどの事である。それでも「本当におもしろいものは見逃したくない」という性格なので、今やBDレコーダーをフル活用し、なんとか最低限の視聴生活を維持している。とは言うものの、この半年で実際に観続けたテレビドラマといえば、「八重の桜」と「あまちゃん」くらいなんだけどね。

 それにしてもNHKの朝の連続ドラマに飽きることなく最後までハマるっていうのは珍しい。思いつくのは「カーネーション」くらいかな。夜帰宅後、就寝までにその日の「あまちゃん」の録画を観るわけだけど、魅力的な出演者が織り成す世界と全編にわたって仕込まれた「しかけ」に、僕は毎回胸を躍らせていた。

 恐らくこのドラマは、それぞれの世代なりの楽しみ方やひっかかりがあったのではないかと思う。秋元康とAKBを茶化したような設定は、僕等よりもうんと若い世代はもっと楽しんだだろうし、橋幸男を引っ張り出したあたりは、上の世代への配慮もばっちりだった。

 しかし60年代生まれの僕にとっては、何と言っても小泉今日子薬師丸ひろ子が絡むこの展開はたまらない。今回初共演のこの二人の存在は、ファンであったかどうかは別にして、僕にとっても少し特別だった。しかもこのドラマがおもしろいのは、彼女たちに女優として本人とは違う役を演じることを求めているようには思えないところだ。「天野春子」は現実の小泉今日子を通して透かし絵のように見られることを想定されているし、「鈴鹿ひろ美」は現実の薬師丸ひろ子を通すことで、何倍も楽しめるようにできている。

 以前ブログにも書いたことがあるが(Link: 2011年11月13日のブログ)、今や女優として大活躍するキョンキョンはいくつになっても「アイドル」である。そんな彼女に、アイドルになりたくてもなれなかった過去を持たせ、娘がアイドルになりたいと言えば、それがどんなに大変なことか具体的に挙げ徹底的に反対したそのくだりを聞いたとき、現実のアイドルだった彼女は一体どんなことを思いながらこのセリフをしゃべっているんだろうと思ってしまった。

 そして薬師丸ひろ子だ。僕が高校生のときに映画「野生の証明」で衝撃デビューしたまだ中学生だった彼女は、瞬く間に映画界のアイドルになっていった。学生時代に僕も「ねらわれた学園」や「翔んだカップル」は観た記憶がある。しかし何といっても、最も印象的だったのは社会人一年目に映画館で封切りを観た「Wの悲劇」だ。この映画は夏樹静子原作の「Wの悲劇」が劇中劇となっていて、それを三田佳子扮する大女優、薬師丸ひろ子扮する女優志望の劇団研究生がスキャンダラスな展開の中で演じきる。劇中劇の演出はあの蜷川幸雄だったが、映画の構成自体が非常に凝っていて、その展開にしっかり引き込まれた記憶がある。

 一方「あまちゃん」では薬師丸ひろ子の設定が「大女優」。そんな彼女の付き人で女優を目指すアキと共に劇中劇を演じる姿は、明らかに「Wの悲劇」へのオマージュだ。そう思えば、もう次から次へとそういった断片が発見されて、本当に楽しませてもらった。例えば、当時映画の予告にもなっていた「顔はぶたないで...私、女優なんだから」というなかなか流行ったせりふは、あまちゃんの中で、おにいちゃんにぶたれたユイちゃんが「顔はやめてよ...」というところで突然出てきたりする。ドラマだけ見ていると唐突な展開のように思うんだけど、大体このドラマでそういう風にちょっとひっかかるところは、何かが仕掛けられているようだ。

 それよりも何よりも、問題は鈴鹿ひろ美の歌である。鈴鹿ひろ美が実はとんでもないオンチだったという設定がこの物語の全ての始まりなのだが、最終週、第153話で薬師丸ひろ子扮する鈴鹿ひろ美は、「潮騒のメモリー」を被災地のあまカフェで全曲歌いきる。僕は、こんなところにこのドラマのハイライトが来るなんて予想していなかったのだが、その演奏が実に素晴らしかった。ピアノとギターと弦楽。ギターは「あまちゃん」の音楽を全編担当している大友良英が実際に登場して弾いている。ゆったりとした弦楽主体の編曲に、素の薬師丸ひろ子が歌っている。そうそう、薬師丸ひろ子はこういう歌い方だったな、なんて思いながらぞくぞくしてたんだけど、恐らく若い世代にはあまりなじみが無いだろう。

 脚本の宮藤官九郎自身が作詞した80年代の様々な流行歌のパロディーのような歌詞が、1番、そして2番とゆったりと歌われている。2番まで聴くことはこれまでほとんど無かったが、その冒頭をちょっと感動しながら聴いていてピンと来た。この「おいてゆくのね さよならも言わずに 再び会うための約束もしないで」という歌詞は、薬師丸ひろ子のデビュー曲、「セーラー服と機関銃」の主題歌の歌詞「さよならは別れの言葉じゃなくて 再び会うための遠い約束」とつながっていたんだな。

 ところで薬師丸ひろ子は、女優であって歌手は余技という印象が強い。映画の主題歌を歌うことがメインだったとは言え、ひょっとしたら小泉今日子以上にヒット曲を持っているかもしれない彼女に「歌手」の印象が薄いのは、僕の私見でいえば、歌っている姿の露出が少なかったことだけじゃなく、当時、コーラス部の女の子が歌っているみたいだな~と感じていた、歌謡曲のアイドル路線とは少しずれた歌い方にあったのだろう。

 僕は今回あまちゃんを観て、ひょっとしたら薬師丸ひろ子はあの頃自分の歌にコンプレックスがあったんじゃないか、それでも映画のプロモーションもあるので仕方なく歌っていたんじゃないか、なんて思ってしまった。そして、そんなものを吹っ切ってしまったような堂々とした歌いっぷりを観て、妙に感動してしまったのだ。

 しかし、こういう歌い方でヒットを飛ばしたアイドル(?)は、と考えると、今や大女優の吉永小百合くらいしか知らないなー、って思ったわけだけど...そういえば橋幸男と吉永小百合の「いつでも夢を」は、ドラマでの薬師丸ひろ子の最後の登場シーン(朝の拡声器での挨拶)でもバックに流れ、なるほど二人の歌い方ってかぶるなーなどと妙に納得させてくれることになるんだな、これが。

 さらに重要なシーン、アキにだけ見えている若い頃の天野春子がこの歌をステージ袖で見ながら笑顔で涙を流し消えていくという設定も、春子の夫役の尾美としのりが準主役を演じた僕の大好きな映画「さびしんぼう」を思い出させてくれる。宮藤さんも、あのころこの映画にコロッとやられた口かな、なんて思っているうちに、いつの間にか歌は終わり、その余韻は大歓声に包まれていた。

 やはり、宮藤官九郎の脚本は天才的に面白いし、その意思を活かしきった演出陣も素晴らしい。しかし...ああ、終わってしまったんだな。あとはオリコン初登場1位となった天野晴子の「潮騒のメモリー」が紅白歌合戦で歌われるのか、なんてこと位しか楽しみがなくなる。それならいっそ、鈴鹿ひろ美と潮騒のメモリーズがそれにどう絡むのか、はたまたGMTが出てくるのか、なんてことに楽しみを膨らませておこうか、なんて考えてるんだけど...

 まあとにかく今は少し気を静めて、先日しっかり入手した2枚のあまちゃんサウンドトラックでも聴いて、熱かった「あまちゃん」を思い出しながら、しばらくは余韻に浸っていることにしようかな。

 

 

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