学生時代は英語が苦手だった。語学自体に興味もなく、高校受験や大学受験のために必要最小限のことを渋々学んでいる感じだった。もちろん英語で会話なんてできる気がしなかったし、その必要性さえ感じていなかった。ましてや、英語以外の言葉なんてどこか別の世界の話だった。それでも大学に入れば英語だけではなく第2外国語の授業まである。僕の学科はドイツ語が必須だったが、そんな感じだったので単位が取れたのが不思議なくらいだった。
社会人になって、仕事の中で英語が必要な事態に直面して初めて、「しまった、もっと真面目にやっておけばよかった」と思ったが、もう遅かった。語学に対するセンスは一朝一夕で磨かれるものではない。周囲には英語だけでなくそれ以外の外国語を流暢に使う人もいて、日頃、礼節をわきまえた日本人然とした人が、いざ外国語を使い始めると、人が変わったように積極的な国際人に変貌して、ちょっとびっくり、なんてこともあった。
そんな中で、もう逃げ腰ではどうにもならない状態に何度か置かれ、最後は開き直って、とにかく「恥ずかしさ」を忘れて身振り手振りも交えてコミュニケーションをとるしかない、となって漸く、最初の一歩を踏み出すことができた気がする。その後、自分の仕事の範囲に関しては、何とか英語で必要最小限のコミュニケーションだけは取れるようになった。ただ最近は、仕事内容の変化から英語を使う機会がめっきり減ってしまって、今も以前のようにいくのかどうか不安なんだけどね。
英語ですらそんな感じだったので、もちろんフランス語なんて、さっぱりわからない。欧州は大好きなのだが、何故かこれまでフランスには縁がなかった。ただ10年ほど前に、「サヴァ?(Ça va?)」がフランス語で「元気?」という意味だと知ったときのことだけはよく覚えている。なぜならその言葉から、ある印象的な思い出が僕の頭をよぎったからである。
学生時代、よく行き来のあった近くの大学のオーケストラに「サバ子」と呼ばれる女の子がいた。最初にそう呼ばれているのを耳にしたとき、僕の頭の中には「サバ子=鯖子」という図式が勝手にでき上がり、なんて変わった呼び名なんだろう、と思った。どうしても思い出せないのだが、当然本名ではなかったはずで、何故この人が「鯖」なのか不思議だった。今なら、いや~、鯖寿司も味噌煮もいいし、しめ鯖できゅっと吟醸酒なんて最高やね、と好印象を持ちそうだけど、当時の僕の「鯖」に対する印象は、表面がてかてかと気味悪く青光りし、生臭くて触るのもいや、食べるのもできれば勘弁してね、というお子様感覚だったのだ。
同じ演奏会に何度か出演したこともあったし、同じ低弦パートに属していたんだから、一言くらい言葉を交わしたことはあったのだろうけど、サバ子さんとの会話の記憶は全くないので、当然、そのニックネームの由来を聞くこともなかった。
ところが、10年ほど前にフランス語の「サヴァ」の意味を知ったとき、何故か唐突に頭に浮かんできたのは、あの元気なサバ子さんの「サバ」は、魚の「鯖」ではなくフランス語の「サヴァ」だったんじゃないか、ということだった。卒業して20年もたってそんな疑問を持っても、よもや、ほとんど会話を交わしたことも無かった「サバ子」さんを探し出し、「サバ子さんは、実はサヴァ子さんだったのでしょうか」と聞くわけにもいかんわな、と一人大笑いしてしまったのだった。
さて、そんな僕が先日、なんと出会ってしまったのである。サヴァ子さんにではない。とても魅力的な「サヴァ缶」が、その素晴らしい人目を引くデザインで僕の目の前に現れたのである。ただの「サバ缶」じゃないの?と思われるかもしれないが、いやいや、ちゃんと「サヴァ缶」と書いてある。だいたい、サバ缶はサバの水煮であることが多いが、「サヴァ缶」はサバのオリーブオイル漬けなのだ。だから「サヴァ缶」でいいのだ、と妙に納得してしまった。
出会ったのは、我が家から少し離れたところにある某高級スーパー。あまり行く事は無いのだが、その日はたまたまその近くの駐車場に車を止めてJRを利用し、遅く帰ってきたため立ち寄ったのだった。家人が買い物をしている最中、手持ち無沙汰で一人ぶらぶら、陳列された珍しい食材などを眺めながらうろうろしていたときに、目が釘付けになってしまったのである。
サバの缶詰を購入すること自体が初体験だった。貧乏学生の頃、さんまの蒲焼やまぐろの缶詰は買った記憶があるが、サバは敬遠していた気がする。製造者は岩手県釜石市の岩手缶詰株式会社。「一般社団法人東の食の会」と「三陸フィッシャーマンズプロジェクト」は東日本産の缶詰製品をはじめとする商品のプロデュースを通し、東日本の水産業復興を支援しています、と書かれてある。僕はその魅力的な「サヴァ缶」を手に取り、溢れる衝動を抑えることができず、家人の押していた買い物用カートに、すきを見てそっと忍ばせたのだ。
さて、味の方は、と書きたいところだが、実はまだ食していない。ホームページには色々調理アイデアも載っていそうだが、まずはシンプルに食べてみたい。僕はオリーブの実もオリーブオイルも大好きなので、恐らく気に入るはずである。それにしても、ついつい手にとってしまうグッと来るデザインのこの缶詰。プロデュース力の勝利なのでしょうね。
ということで、今日の音楽。フランス語の話題なので、フランス語で歌われている愛聴盤でいくとしよう。そう思って見てみると、やはりそれほど多くはない。それはそうだよね。フランス語なので、何を歌っているのか、タイトルの意味すらもわからなかったりするのだから。実は今日紹介のアルバムも、例によって輸入盤(恐らくフランス盤)を買ってしまったので、どこを見てもフランス語だけで、そこに一体何が書かれていているのか、何を歌っているのかさっぱりわからない。でもまあそうであっても、インストのアルバムに比べれば、声による感情が表れている分だけ、伝わりやすかったりもするのだが...そのアルバムとは、10年ほど前に音楽雑誌の紹介記事で、元スーパー・モデルの驚異のデビュー作として紹介されて興味を持ち購入した、カーラ・ブルーニの 『ケルカン・マ・ディ~風のうわさ』 だ。
いかにも元スーパー・モデル的なジャケットを手にして、少しいぶかりながら聴いたこのアルバムは、いやはや、「色眼鏡で見て、すみませんでした!」と平謝りしたくなるほど素晴らしいアルバムだった。この人本物だなと感じさせる、自ら作り、歌い、演奏する音楽がぎっしり詰まっていたのである。そのちょっとかすれたハスキー・ボイスは魅力的で、味のあるギターも素晴らしい。当時はノラ・ジョーンズが出てきたばかりで、このちょっとけだるいフォーク・カントリー調の音楽は、時代の要求とぴったりマッチしていた。フランス語が醸し出す雰囲気も決め手ではあるが、当時は、これが英語だったら、ノラ・ジョーンズばりに全世界で大ヒットしたかもしれないな、と思った。
ところで、この人、僕の「英語で歌って全世界ブーム構想」を辿るまでもなく、その後全く別の道で全世界の注目を集めて、本当にびっくりした。2008年、なんと当時任期中のサルコジ仏大統領と結婚し、ファースト・レディーとなって、日本の報道でも頻繁に目にするようになったのである。
サルコジ元大統領は、2年前の大統領選で再出馬するも落選したため、もうニュースの中でカーラ・ブルーニの姿を見かけることは無いが、それにしても...天は二物も三物も与えるものである。
まあ、そんなことより、フランス語とまではいかないまでも、せめて英語くらい、もう少し使えるようにしておきたいかな。とはいえ、切実な事態に遭遇しなければ、なかなかそこに足を踏み入れない自分の性格もよくわかっているし...ということで、そろそろちょいと英語を使えるところへ行きたいところなんだけどね。
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