静かな白夜だった。いや、正確には白夜とは呼べないのかもしれない。フィンランドの夏至祭は6月21日だから、そこからすれば随分日は短くなっているはずだ。それでも欧州大陸の最北の首都であるヘルシンキは、夜の9時を過ぎてもまだ西日が差し、通りすがりのカフェのテラス席はどこも賑わっていた。人通りがまばらになったカイサニエミ通りを北に歩いてホテルに戻る。ピトゥカシルタ橋の袂にあるフライング・ダッチ・ビア・ガーデンでは、まだまだ人が減る気配はない。
橋を渡りきり、入り江に沿って左折すれば、レジャー船を係留している板張りの小さな桟橋に出る。少し薄暗くなった桟橋には、いくつかの人の輪が見える。恐らくは地元の人達が床板に座り込み、楽しく談笑しているのだ。翳り行く日の中で、時間はゆったり静かに流れている。こんな風に人が集まっている場所でさえ、僕は深い静けさを感じていた。脳裏には空港からの道すがら見た、白樺の森の情景が浮かんだ。
桟橋の脇を抜けて右に折れればホテルの入り口が見える。既に10時をまわっていたが、まだ戻るには名残惜しい気分だった。ただ旅程初日の疲労感が全身を包んでいることを感じていたので、グッとこらえて部屋に入ることにした。
関西国際空港を飛び立ったのはその日(8月8日)の午前11時。例のごとく2週間前に突如思い立って航空券を押さえホテルをネット予約したのだが、心配していた台風の動きは遅く、幸いまだ暴風圏には入っていなかった。ヘルシンキ・ヴァンター空港に着いたのは、6時間の時差を経て午後3時頃。満席の機内にはたくさんの日本人が乗っていたはずなのに、ヘルシンキの到着口に向かう人は思いのほか少なかった。タクシーで向かったホテルは、ヘルシンキ中央駅から地下鉄で一駅のハカニエミ駅近くにあって、一歩通りに出ればトラムもひっきりなしに行き交うとても便利なロケーションだ。荷物を置いてまずは街の中心まで歩いてみて、どこかで夕食をとろう、ということになる。時間は午後5時になろうとしていたが太陽は高く、とても夕方とは思えない。そこからヘルシンキ中央駅前広場までは初めての国を歩く喜びを全身で感じつつ散策。さらにアテネウム美術館の横をストックマン百貨店の方向に進む。地図を片手にその一帯をブラブラしながら、気になるお店を冷やかして回るのに、いつまでも沈まない太陽は、初日とは思えないほど充実した時間を与えてくれたのだった。
それにしても、そこかしこにあるテラス席の混雑振りには驚く。西日がしっかりあたったテラス席は、日本だと敬遠されるはずだ。からっとしているとは言え、晴れた日の昼間の気温は30度近くまで上がる。フィンランドも今年は異常気象で、冷房装置の無い場所が多いため扇風機があっという間に市場から消えたそうだが、そんな中を短い夏を惜しむかのように、人々は貪欲に太陽を求める。オープンテラスがいっぱいでも店内はガラガラだったりするのだが、その執着の裏には今の季節からは想像できない、冬の厳しさ、太陽への渇望があるのだろう。
そんなオープンテラスを尻目に、見渡す建造物や石畳の町並みは、まさしくヨーロッパ。古色蒼然とした、雰囲気あるものだ。しかし、どこか西欧のそれとは少し違った印象なのは、隣国ロシアの影響を受けているからだろうか。合わせて、いたるところに原色を基本としたモダンデザインが映える。街を歩く人々の衣類もまたカラフルだ。それでいて違和感が無いのは、その調和のイメージが社会に根付いているからだろう。フィンランドはモダンデザインの国でもあるのだ。
こういう場所にいれば、日本はどんなに気取っても、やはりアジアなんだと改めて思うわけだけど、目に見えるもの以外で特に感心した好ましい違いは、音への配慮である。まあ、この傾向は欧州全般にあるのだが、街がとにかく静かなのだ。
例えば百貨店。日本ならまずはBGMとして音楽が流れていたりする。エスカレーターでは乗り降りの注意が流れ、ちょっとしたジングルとともにひっきりなしに店内案内が流れ、地下に行けば販売員の勇ましい声がわんわん聞こえてくるのだが、そんなものは何一つない。実に静かだ。
例えば駅。日本ではこれから発着する電車のインフォーメーション、切符を買うときの案内のボイス音、あらゆる電子音、ホームでは、電車がもうすぐ来るぞ、どこ行きだ、ホームは危ないので下がれ、さあ、もうすぐ来るぞ、危ないぞ、下がれ下がれ・・・そんなことを、もう少し丁寧な言葉で連呼し、電子音がうるさい位に鳴り響くのだが、そんなものも一切無い。改札すらないのだ。
もちろんトラムや地下鉄、フェリーの中も同様で、どこに着くかは電子表示板で示されるだけ。案内は一切流れない。お店に一歩入ればドアの所で音が鳴るなんてことも無いし、BGMも鳴っていない。もちろんパチンコ屋もゲームセンターも無いわけで、平気で騒音を撒き散らすお店は見当たらない。
車の運転も穏やかでクラクションの音もほとんどしないし、街を縦横に走るトラムも走行音のみだ。唯一、信号機は青になればカタカタと音がするのだが、この音が実際にハンマーで板をたたいているような音だ。きっと電気的な仕掛けで物理的に叩いているのだろう。とにかく電子音を聞くことはまず無い。道を歩いていて、どこかで携帯の着メロが鳴ったり、大きな声で話すのを聞くこともない。この携帯電話世界第2位のノキアを抱く国ですらこうなのだ。
ここまで徹底的に静かだと、やはり音に対する国民のモラルの差が歴然とあるとしか考えられない。恐らく便利さの追求や安全性の確保の代償として暴力的で一方的に発せられる音を許容することは、ありえないのだろう。とにかく街中でじっと目を閉じ聞こえてくるのは、穏やかな人々の静かな声と足音、石畳をトラムが走る音、時々見かけるストリートミュージシャンの演奏、そしてカモメの声くらいだ。
そうそう、ヘルシンキで最初に歓迎してくれたのは、かもめだった。かもめは海岸沿いでなくても様々なところに姿を見せ愛嬌を振りまく。そのたびにヘルシンキは港町であることを実感するのだ。そういう意味では「かもめ食堂(ruokala lokki)」とはよく言ったものである。このタイトルは、この街を訪れた日本人の印象からすればぴったりくる。しかし、映画撮影後の実際のかもめ食堂は「kahvila suomi」、すなわち「カフェ・フィンランド」に名前を変えている。ヘルシンキの人にとっては、「かもめ食堂」って何か変、ってことなのかもしれない。
うーん、これが日本だったら、まず間違いなく、街を挙げてカモメッコなんていうゆるきゃらを作って、等身大のマリメッコ柄のずんぐりむっくりカモメッコが観光施設に出没し、カモメッコ・サブレやカモメ煎餅か何かを販売したりするところなんだろうけど、やっぱり日本のお子様文化とはちがうなー、などとちょっとフィンランドびいきになりかけて、ふと気づいた・・・・・・そういえば、等身大の微妙なムーミンに出会ってしまったんだっけ...失礼しました!
というところで今日の音楽。やはり、フィンランドと言えばシベリウス。僕も大好きな作曲家なので、これまでも何度か紹介してきたが、今日は演奏者泣かせの難曲、その何とも張り詰めた世界が魅力的な、シベリウスのバイオリン・コンチェルトにしよう。この曲を聴くと、ピリッと冴えたフィンランドの雪の大平原を、凛としたバイオリンの音がまっすぐ突き抜けるように鳴り響く様を想像してしまう。暑い夏にちょっといい、涼しくなる音楽だ。
大学3年の時、所属した学生オケの定期演奏会で、この曲がサブメイン曲だった。ソリストは数住岸子さん。もう随分前に若くして亡くなられたが、当時注目を集めつつあった人で、その年のN響とのレコーディングがレコードアカデミー賞を受賞することになる、弱体学生オケにとってはもったいないような夢のソリストだった。練習に数回来られたとき、お話をする機会もあったが、ちょっと浮世離れしたセンシティブな印象はまさに芸術家という感じで、ちょっと近寄り難かったのを覚えている。そんな数住さんの印象とこの曲はドンピシャという感じだったが、当時思い描いていたこの音楽の心象風景は、果たして今のイメージと合っていたのだろうか。もう少し寒々しかった気もするんだけど・・・
仕事であれプライベートであれ、海外に行けば、体は少々疲れても日本では経験できないリフレッシュされた感じになる。それは恐らく、五感で感じるあらゆるものが、日本での日常と違うために、体や頭が新しい反応をするからだろう。しかし同時にいやな思いの一つや二つ必ずするし、色々困ったエピソードもついてくるものだが、今回はそういうことがほとんど無かった。押し付けがましくなく理にかなった街のシステムと、素朴で優しく親切な国民性。特に突出した見所があるわけではないのに、とても魅力的な街。日本とは全く違った風景と、そこに暮らす人々の日常に埋没して数日間を過ごすには、最高の街だと分かるのに時間は必要なかった。
フィンランドは、日本からのイメージで言えば、もっぱらムーミンとマリメッコとアラビアやイッタラの食器、それに「かもめ食堂」といったところだろうか。さらに広範に見れば、森と湖とシベリウス、冬はサンタクロースとオーロラという感じだろう。しかし、首都ヘルシンキはそういうものを全て取っ払っても、一度住んでみたい、そんな気持ちにさせてくれる、魅力溢れる静かな街だった。
<※ 街で見かけたお定まり、ヘルシンキのマンホール。いい感じです。>
<おまけ>
シベリウスのバイオリンコンチェルトを、僕の愛聴盤でも、ぜひ。諏訪内晶子さんの演奏ですが、バックはオラモ指揮、バーミンガム市響です。
<関連アルバム>
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