6月の夕刻。ずっと閉じこもっていた建物から一歩外に踏み出ると、一面低く垂れ込めた雲が視界を覆った。初夏の雰囲気さえ漂わせていた午前中の陽射しは完全に遮断され、梅雨であることを思い出させる舞台装置に、いくぶん気分も重くなる。
雲の流れは速い。雨は降っていないが、外気に触れた腕に湿気を感じる。そのとき、ふと鼻腔をくすぐる懐かしい匂いに気づいた。雨の匂いだ。
昼間の熱気に温められた足元のアスファルトには、まだ雨の痕跡はなかったが、それは時間の問題だった。「雨の匂い」を感じれば、じきに、ポツリ...ポツ、ポツ、と降り始めるはずだ。駐車場を足早に横切り、キーロックを解除して車に乗り込む。エンジンは掛けず、しばしじっとしていると、やがてフロントガラスに最初の雨のしずくがポトンと音を立てて弾けた。
こういう時に感じる微かな香りを、昔から何となく「雨の匂い」と呼んでいるが、それは正確ではないのだろう。雨に匂いは無いように思う。感じる匂いは土臭く、多少蒸れたような匂いだが、いやな匂いという感じではない。むしろ僕は好きかもしれない。
「雨の匂い」は、単に雨が当たった地面から湧き上がる土の匂いかと、ずっと思っていたが、雨が降り始める前に感じるのは不思議だった。しかも、今のようにアスファルトで固められた場所での「雨の匂い」と、かつて田舎の土の上で感じた「雨の匂い」の記憶とが、同質に感じられるのも、単純に土の匂いだけでは説明がつきそうにない。
そんな中で知った「ペトリコール」という言葉。この言葉は“日照りが続いた後の最初の雨に伴う独特の香り”のことを表した、ある鉱物学者による造語だが、その学者の見解では、特定の植物から生じた油が地面に落ちて乾燥し、それが雨や湿気によって空気中に放出されるときに出る香りである、とのことだ。
なるほど、植物の油の匂いがベースにあるとすれば、どこで感じても同質の匂いで不思議はないし、雨が降り出す前の急激な湿度の変化に反応することも考えれられるので説明がつく・・・・・・なんてことを色々考えてしまうのって、どうなんだろうね。そんなことはどうだっていいことで、「雨の匂い」を感じれば、じきに雨が降る。それを体感できていることだけで十分なんだろうな、と少し反省したのでした。
ということで、今日の一枚。今僕が一番「雨の匂い」にふさわしいと思うアルバムを取り上げよう。ジャズピアニストでボーカリストのダイアナ・クラールが、今年の2月にリリースした 『Wallflower』 だ。
いやはや、なんとも、これこそ理屈じゃない。素晴らしいアルバム、名盤入り間違いなしだ。実はこれまでダイアナ・クラールのジャズアルバムはたくさん聴いてきたし、この場で紹介もしてきたが、アルバム全体を繰り返し聴きたくなる、という感じでもなかった。彼女独特のハスキーボイスも、それほど僕の好みではなかったし、ごつごつした手触り感を感じていた頃も、ゴージャスで豪華な雰囲気を醸し出してからも、どこか気持ちに線引きをし、背筋をただして聴いていた感じだった。彼女自身も、ドレスにハイヒールで足組みをして、作り上げたキャラクターの上で歌っているようなところがあった(ピアノを弾くので実際は足組みはしないのですが...)。
ところがこのアルバムは、最初聴いたときからどこか違う感じが漂っていた。ちょっと親密な感じとでも言ったらいいんだろうか。彼女も素の自分を出して、まっすぐに歌っているように感じる。作った感がない。ただ正確に言うと、これはジャズアルバムとは言えないのだろう。ジャズで鳴らしたトップアーティストのダイアナ・クラールが、巨匠デイヴィッド・フォスターのプロデュース・アレンジで、彼女に影響を与えた60年代、70年代のポップスを中心に歌う、夢の企画盤なのだ。
そういえば、十数年前、仕事で訪れたバンクーバーの楽器店の店主が、「ここは昔、ダイアナ・クラールがよく来ていたんだよ」と、ちょっと自慢げに語っていたことを思い出した。なるほど、デイヴィッド・フォスターと同じカナダ人だったのだ。それが功を奏したかどうかはわからないが、このアルバムはミュージシャンとアレンジャーの思いがひとつに重なっている感じを、最初から受けたのである。
巷を眺めてみても、60年代から80年代にかけての音楽が多くの人に取り上げられ、ちょっとしたブームのようにもなっている。今の洋楽では少し希薄に感じる「曲そのものが持つ永遠性」のようなものを再認識するフェーズなのかもしれないが、そういう風に取り上げられたアルバムが、全ていいかというと話は別だ。
その音楽に対する当人の思い入れが強い分、聴衆を忘れてしまいがちだし、昔と同じ感じで演奏されても、ただの懐メロになるだけだ。さらにアルバムを一枚作り上げるとなれば、バリエーションも考えるようで、僕にとっても好きな曲だけが好みのアレンジや演奏で納まっているなんて事は、まずない。
ところが、である。このアルバムに収められた音楽は、どれも、はずかしくなるほどに、僕自身の琴線に触れてきた音楽ばかりなのだ。それをまた、はずかしくなるほど泣かせるアレンジ(まさにディビッド・フォスター流)でぐいぐいくる。彼女も久々に歌うことに徹した入れ込み様である。
アルバムは、パパス&ママスの名曲「California Dreamin’」でゆったりと始まる。彼女のピアノにオーケストラがかぶり、うん、やっぱりデイヴィッド・フォスターやね、と気持ちよく浸っていると、唐突にリズムボックスがテンポを刻み始め、ちょっとした肩透かし感があるが、反面ビンテージ気分は高まる。
そうか、あまり甘いアルバムは期待するな、ということかな、と思ったが、いやいや、そんなことは全くなかった。2曲目のイーグルス、「Desperado」。 3曲目のレオン・ラッセル、「Superstar」と、これらの泣きそうになるくらいに大好きな曲を、なんともオーソドックスに歌い、演奏し、泣かせてくれるのだ。もう、この段階で大満足状態に陥ってしまった。
4曲目は、ギルバート・オサリバンの「Alone Again (Naturally)」。ここでのマイケル・ブーブレとのデュエットは、意外にもこの二人の声の親和性を感じさせてくれる。ダイアナの少しごつごつした感じが、マイケルの発する男の色気に微妙に絡んで、とても心地いい。マイケル・ブーブレって、やっぱりすごいね。
その後もタイトル曲でもあるボブ・ディランの「Wallflower」、エルトン・ジョンの「Sorry seems to be the hardest word」、10CCの「I’m not in love」、ブライアン・アダムスとのデュエットを披露するボニー・レイットの「Feels like home」などなど、まあ、これでもかと大好きな名曲を並べ立て、じっくり歌い込んでくれるのだ。
中に一曲、ポール・マッカートニーから贈られた新作「If I take you home tonight」が入っているが、周囲があまりに名曲過ぎて、これが完全に霞んでしまっている。恐らくは3年前にポールがリリースしたジャズアルバムで、ダイアナ・クラールのグループがバックを務めたことに対する返礼なのだろうけど、あるいは余計だったかもしれない。
通常盤で最後の曲は唯一の80年代の曲、クラウディッド・ハウスの「Don't dream it's over」。この曲を最後に持ってくるというのは、それだけ思いが強いのだろう。聴いていると、彼女の思いが移り込み、こちらまで満たされるような気分になる。
聴き始めた瞬間、「これはいいなあ。」と感じたそのままを保って最後まで到達するアルバムなんて、そうそうお目にかかれない。しかもそれは恐らく、僕だけの感覚ではないだろう。僕と同世代に属するダイアナ・クラールが、自ら選曲した思いそのままに、共感を持って聴き入っている人はたくさんいそうだ。
「雨の匂い」を感じる、しっとりとした音楽。素晴らしい名曲たちが心の襞にそっと触れていく時間を、またじっくりと楽しみたい。過ごしやすい梅雨の休日、そんな幸せな気分にさせてくれるアルバムである。
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