Jerrio’s Cafe ~ 気がつけば音楽が流れていた

 店主 Jerrio の四方山話と愛聴盤紹介。ジャンルの壁を越え、心に残った音楽について語ります。

今更ながら米原万里

 今更ながら米原万里にはまっている。立て続けに4冊読んで、ついに手持ちが無くなった。禁断症状が出る前に早急に補給しなくては...ハアハア...

 訃報に接してもう9年。そんなに経った印象は無いのだが、今や日めくりのスピードが確実に加速しているので致し方ない。調べてみると2006年5月。確か日曜朝のTBSのニュース番組でそのことを知った。その少し前まで時折コメンテーターとして出演していただけに、あまりに早い死にショックを受けた。同時に、「あー、結局この人の本、読まなかったなー」という、後悔にも似た思いが胸に残ったのだった。

 ロシア語の同時通訳にして文筆家でもあった米原万里は、僕よりひと回りほど年上だが、ちょっと気になる人だった。ペレストロイカからソビエト連邦の崩壊に繋がる大激動の中で、日本にもゴルバチョフエリツィンが次々と来日したが、その通訳として側にひかえていた彼女の姿は印象的で、僕の記憶にも残っていた。それからしばらくしてテレビ番組にも出演するようになり、「魔女の館」か何かで占いでもやっていそうな雰囲気と、肝っ玉かあさんばりの包容力を感じる姿は、その冷静沈着な言葉とも相まって、なかなか魅力的だった。米原万里の本は面白い、という評判も既に聞いていたので、機会があれば読もうとずっと思っていながら、結局生前に読むことはなかった。

 

 それからあっという間に月日は経ち、今年の春。梅田ハービス・エントの3階にある雑貨店アンジェのブックコーナーで、欧州の様々な国に関わりのあるエッセイをセレクトした特設展示に行き当たった。この店の約二千冊ある本のセレクトはなかなかいい感じなので、僕も以前からちょくちょく利用していたのだ。

 欧州と言っても、さすがに英国やフランス、ドイツ関連のものが多かったが、その中の一角、ロシア本が集まっている場所で久々に「米原万里」の名前を見かけた。目に付いたのは、表紙にマトリョーシカをあしらった「ロシアは今日も荒れ模様」という文庫本で、ほかにも数冊あったが、まずは手にとってぱらぱらと中身を確かめ、とりあえずこの一冊を読んでみようと、レジに向かった。

 実際に読み始めるまでにはさらに時間がかかったが、このエッセイが抜群に面白い。内容は、ロシア語通訳・米原万里によるロシアとロシア人にまつわるエピソードをベースにした爆笑エッセイなのだが、仕事柄たくさんのロシア人と付き合い、ロシアの地にも数多く訪れた経験を持つ彼女の言葉は、僕の持っているロシア人のイメージを軽々と覆した。

 彼女自身があとがきにも書いている、次の一文が全てを物語っている。

「ロシアとロシア人は退屈しない。おしなべて人懐っこい上に、人種的偏見が少ない。生のままの自分をさらけ出したまま、直接相手の魂に語りかけてくるような気取らないタイプが多い。大人のたしなみとしてひとり平均500話ぐらいの小咄の蓄えを持っていて、たえず更新しているから、歩く話題とユーモアの宝庫みたいな人種である。(中略)それに、奇人変人の含有率がかなり高い国ではないか。」

 そして何より、ソビエト連邦の崩壊という歴史的な大転換期の中、たくさんの要人に請われ多くの時間を共にすることで得られた彼女自身の視点は、貴重な時代の証言にもなっている。特にゴルバチョフエリツィンに対する人物評は、彼女の経験でしか得られない目からうろこの内容だったし、世界的なチェリストであるロストロポーヴィッチがいかに愛すべき人物であったかなど、実に興味深い記述が満載だ。一方で、軽妙な語り口と、こんなこと言ってしまっていいの?と思うような内容にもズバッと切り込む大胆さ。さらには、不意に現れる決して下品でない下ネタ(彼女の下ネタ好きは有名だが)にも惑わされ、あれよあれよという間に読み終わるのである。

 「ロシアは今日も荒れ模様」の後、彼女の処女作にして読売文学賞を受賞した通訳論、「不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か」を、3冊目は、彼女が亡くなった直後に上梓された、それまでに様々なところで発表された短文を集めたエッセイ集「心臓に毛が生えている理由」を読んだ。まずは最初と最後を押さえたい、と思ったのだ。

 この3冊を読んだ段階で、すぐにでも読みたい一冊が生まれた。2001年の大宅壮一ノンフィクション大賞をとった「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」だ。この本は米原万里が9歳から14歳までの5年間、チェコスロバキアの首都プラハにあった外国共産党幹部子弟専用のソビエト大使館付属学校で共に過ごし、その後音信不通になった3人の級友(ギリシャ人のリッツァ、ルーマニア人のアーニャ、ユーゴスラビア人のヤースナ)の消息を、ソビエト連邦崩壊後の1996年に捜索し再会した記録である。

 彼女のエッセイを読んでいると、色々なところにこの子供時代を過ごしたソビエト学校の話や、その時代の友人達の話が出てくる。彼女の原点はこの5年間に詰まっているのではないかと思えてくる。そして、3冊目に読んだ「心臓に毛が生えている理由」の中には、「『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』を書いた理由」という短文もある。さらには、ドイツ文学者の池内紀との対談や、最後に解説文を寄せている池澤夏樹の文章の中にも、この本に関する記述があるのだ。

 この本が書かれる5年前に、米原万里のもとに、テレビマンユニオンの女性プロデューサーからNHKの「世界・わが心の旅」という番組の旅人になって欲しいと依頼が入った。彼女はソビエト学校時代の親友で、今は音信不通になってしまった3人の友人に会いたいと思い、あまり期待はせず、彼女のもとにあった3人に関する情報を全て手渡す。そして、テレビ番組の中で実際に3人の友人を捜索し、再会を果たすのだ。その過程は、推理小説のようでスリリングだ。3人は個々に様々な事情を抱えていたが、この時代の大きな転換期に、それぞれに国や民族に対する複雑な思いを抱えながら生きてきた姿を描き出している。

 テレビ番組はそれで終わっているようだが、その文章によると、実際には子供時代にいっぱしの愛国者だったルーマニア人のアーニャの変節を、出来上がったテレビ番組を見た二人の友人は「胸くそ悪くてアーニャの発言のところでスイッチを切ったわ」とまで言ったという。

「どうして二人の優秀なテレビウーマンが納得し、多くの日本人視聴者が感動したアーニャの発言に、わたしや他の級友たちが欺瞞と偽善の臭いをかぎ取ったのか、そこに、日本人の考えるグローバル化と本来の国際化のあいだの大きな溝があるような気もした。」

 米原万里は「『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』を書いた理由」の中で、そう語っている。その疑問への思いもあったのだろう。その後数度にわたり、3人の級友のもとを訪問、取材し、この放送から5年後に『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』は出版された。

 僕の興味は極限までふくらみ、すぐに4冊目として「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」を入手した。そして、その本を読む前に、YouTube米原万里の出演している「世界・わが心の旅」がアップされていることを知り、その動画を見たのだ。

  ☆ Link:世界わが心の旅 プラハ 4つの国の同級生 米原万里 (1)

  ☆ Link:世界わが心の旅 プラハ 4つの国の同級生 米原万里 (2)

  ☆ Link:世界わが心の旅 プラハ 4つの国の同級生 米原万里 (3)

 感動的だった。とても重い動画だった。1996年といえば、東西冷戦が終結し、中・東欧の国々の体制が崩壊し、ボスニア内戦がまだ燻っている時期だ。その中で撮影されたこの番組の意味は、本来の番組の意図以上に大きなものになっている。

 そして、直後に読んだ「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」で、その感動は倍増した。映像では決して表せないものと、映像でしか表せないものが厳然とある。さらに両者が合わさることで、映像の存在が助けとなり、文章がより生き生きと息づく。もちろんその逆もある。

 それにしてもこの本の中の4人の少女達は、何と生き生きと描かれているのだろう。そしてその中に生きている人達の歴史が、そのままその時代の激動ぶりと直結し、様々な思いを僕達にも起こさせてくれるのだ。

 まだまだ彼女の著作はたくさんある。今更なんて言わずに、もっともっと読んでみたい。その正直で力強く、ユーモア溢れる文章から、さらにくっきりと人間・米原万里が浮かび上がってくるのだろう。それを確かめてみたいと思っている。

 

<追記>

 おーっと、またまた音楽を忘れていた。プラハといえばチェコチェコといえばスメタナドボルザーク。ここはひとつスメタナの連作交響詩「わが祖国」。その中でも最も有名な第2曲「モルダウ」でも聴きながら、彼の国を思い浮かべてはいかがでしょうか。CDは僕の愛聴盤、スメターチェク、チェコフィルで、ぜひ。(動画は、Orchestra Canvas Tokyoです。)

 

ドボルザークはチェロ協奏曲。米原万里も愛したロストロポーヴィッチのチェロを、カラヤンベルリンフィルの演奏で、ぜひどうぞ。

 

 

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