学生時代に弾いて以来、古びた黒いハードケースの中に入れっぱなしになっていたアコースティックギターを、ちょいと弾いてみようという気になったのは、社会人になって十数年たった頃だった。結婚してからも手許に置いてはいたものの、ベッドの下の見えないところでほこりをかぶったままになっていたのだ。
きっかけは、当時SMAPが歌って流行り始めていた「セロリ」を見知らぬ青年が歌うライブ映像だった。その映像を何気なく眺めていて、思わず身を乗り出した。それは、山崎まさよしの演奏に初めて触れた瞬間だった。僕はその新しい才能を感じる新人ミュージシャンの映像を見て、とても高揚した気分になり、同時になんだか無性にギターを弾きたくなったのだ。それまでも、様々な人のライブ映像を見てきたはずなのに、社会人になって以降でこういう気分になったのは初めてだった。
久しぶりに取り出したギターの弦はすっかり錆びていて音程もむちゃくちゃだったが、とりあえず音を合わせて...と、ペグを少し回したとたん、バチンと鈍い音を立てて、弦が切れた。その週末、本当に久々に購入した弦に張り替え、ようやく演奏できる状態になったのだった。
リリースされて間もない山崎まさよしの2枚目のオリジナルアルバム 『HOME』 を入手したのはそんな背景があったからだ。当時、僕の音楽的関心は日本の男性シンガーソングライターには向いていなかったが、何故かこのミュージシャンへの興味は大きく膨らんでいたということだろう。そのブルージーな声と雰囲気が全体を覆ってはいるものの、内容は聴く前の予想(音楽的志向が極端に偏っている?)と違っていて、そのバリエーションの豊かさに驚いたものだ。
その中に名曲「One more time, One more chance」は入っている。既にシングルカットされていた時期だったが、しっかり聴いたのはこの時が初めてだった。他の曲と毛色の違うこのラブ・ソングは、ギターの前奏で静かに始まり、その感情を込めた抑揚は聴き手の期待感にもしっかり応えてくれる。今でも、僕の大好きな曲で、時折ギターで少しなぞったりする。
この曲が「月とキャベツ」という、山崎まさよしが主演した映画の主題歌だったことを知ったのは、それから数年後のこと。たまたまお正月用にとまとめて買った中古DVDの中に含まれていた。歌を歌えなくなったミュージシャンと、突然現れた高校生の女の子のひと夏の奇妙な同居生活を描いたちょっと不思議なピュア・ラブ・ストーリーで、「One more time, One more chance」は、その少女との関わりの中で少しずつ立ち直り、再び曲作りに目覚め作り上げていく、まさにその曲だったのである。映画としてはストーリーに多少ひねりが少ないかな、と最初は思ったものの、僕はその映像を結構感動しながら追っていた。なんだか暖かい思いが長く残る映画で、地味ではあるが、大好きな映画になった。
この作品のヒロイン、高校生の女の子「ヒバナ」役は、当時CMなどにもよく出ていた女優の真田麻垂美で早くから決まっていたらしいが、山崎まさよしの演じたミュージシャン「花火」役は最後まで決まらなかったという。想定は30歳のかつて頂点を極めたミュージシャンで、映画ではリアルに演奏をしてもらう必要もあるし、曲も作ってもらわなければならない、となるとハードルは高い。予算のない超マイナーな映画だったこともあって、脚本も書いた篠原哲雄監督の思うミュージシャンからはすべて断られたらしい。そういう中で候補に挙がった当時の山崎まさよしは24歳の無名の新人ミュージシャン。設定に比べて若すぎたのだが、監督がライブを直接見に行って気に入り、役者として未知数ではあったものの最終的には決めたという。
そういう経緯に反して、映画の中での山崎まさよしは実にのびのびとしていて、自然で、輝いて見える。その演技も素晴らしいが、曲作りや演奏のシーンを見れば、奇跡のようなキャストだったと思えてくる。何よりも、このストーリーにぴたりとはまった、「One more time, One more chance」が秀逸で、この曲無しのこの作品は考えられない。
ちょっと奇妙なタイトルである「月とキャベツ」。元々は「眠れない夜の終わり」というタイトルだったらしい。しかし、今のタイトルの方がいいと感じるのは、山崎まさよしの演じる素朴でぶっきらぼうな感じと「キャベツ」とがしっかり結びついているからだろう。月はその少女の象徴であり、キャベツは主人公の象徴なのだ。月に照らされたキャベツがバサバサと羽ばたき始める物語は、希望に続く物語でもある。
さて、その後、この映画が流行ったという話は聞かなかったが、主題歌である「One more time, One more chance」は徐々に売れ始め、アルバム 『Home』 も話題になって、山崎まさよしは一躍、時代の寵児となった。印象に残っているのはそれからしばらくして、NHKのドキュメンタリーで何回かあった企画。アメリカの本場のブルースミュージシャンと一緒にブルースセッションをしたり、ナッシュビルの路上で一人弾き語りをする姿は印象的だった。とにかく演奏も音もカッコよかった。別にブルースを弾きたいわけじゃなかったけど、そのあたりから、常にリビングルームにギタースタンドを置いて、ギターをいつでも手に取れるようにしていた。件のギターは学生時代に友人から購入したGuild のD-40で、今や立派にオールドである。
当時は、まだ子供達は小学校の低学年で、置いているギターには目もくれなかった。そもそも小さい頃からあらゆるジャンルの音楽が流れている環境で、鍵盤楽器も常に弾ける状態にしていたにも関わらず、音楽には全く興味を示さず、迷うことなく小生意気なサッカー少年になっていった息子たちだったので、まあギターもそんな感じだろうと思っていた。
ところが不思議なもので、ちょうど声変わりをする頃、次男の方がギターに興味を持ち始め、時々手に取っているうちに、その生来の器用さからあっという間に上達し、自分のギターが欲しいと言い出して驚いた。確か高校に入った頃、自分のお小遣いで買うからということで、一緒に楽器店に行き、Ovation のエレアコを購入した。今も時々弾いているようだが、手に取るのはもっぱら僕のアコースティック・ギターの方であり、やはり生ギターがいいようである。
長男の方は昔からちょっと不器用で、中学・高校時代にこそギターには興味を示さなかったが、大学で家を離れる際に何故か僕が中学生の頃に購入して家に転がっていたヤマハのフォークギターを持って行くと言い出し、次に帰省して帰った時にはバリバリに弾けるようになっていて驚いたものだ。その翌年には、自分のギターを購入するというので、僕もついて行って色々弾き比べを決行。最終的に、K・Yairiのハンドメイドギターの音に惚れ込んで購入。今でも弾いているらしい。
先日息子が、立てかけたギターを軽く手に取って弾いているのを、何気なく聞いていた。ポロポロと弾きだしたのが「One more time, One more chance」の前奏だった。20年の時を経ても、それほど懐かしさは感じない。でも、なんだかとても不思議な、ふわふわした気分になっていた。
<追記>
そういえば、後年、パシフィコ横浜の国際展示場に仕事で用があって出かけたとき、初めて桜木町の駅に降り立ちました。ホームで、あーここが「One more time, One more chance」に出てくる桜木町か、と感慨ひとしお。でも国際展示場に向かう道すがら、大阪で桜木町なんて言われてもわからへんなー、やっぱり大阪やったら・・・・・・中崎町やね、まあ、弁天町でもええけど、などと考えてにんまり。
気が付けば、「いつでも捜しているよ どっかに君の姿を 明け方の街 中崎町で こんなとこに来るはずもないのに・・・」と、鼻歌交じりに歩いていました。そっちもええやん。
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