Jerrio’s Cafe ~ 気がつけば音楽が流れていた

 店主 Jerrio の四方山話と愛聴盤紹介。ジャンルの壁を越え、心に残った音楽について語ります。

ブルーに生まれついて

 「チェット・ベイカーの音楽には、紛れもない青春の匂いがする。ジャズ・シーンに名を残したミュージシャンは数多いけれど、「青春」というものの息吹をこれほどまで鮮やかに感じさせる人が、ほかにいるだろうか?  ベイカーの作り出す音楽には、この人の音色とフレーズでなくては伝えることのできない胸の疼きがあり、心象風景があった。」

 和田誠がジャズ・ミュージシャンの肖像を描き、村上春樹が愛情に満ちたエッセイと共に、自ら所蔵している愛聴盤LPを紹介したジャズ・ブック「ポートレイト・イン・ジャズ」は、冒頭の書き出しで始まる。単行本だと2巻構成、それぞれ26人ずつのジャズ・ミュージシャンをとりあげているのだが、文庫になる際に3人加えられ、一巻のみで合計55人を取り上げたイラスト・エッセイ集となった。その最初に描かれたミュージシャンがチェット・ベイカーであり、やはり気になるミュージシャンの筆頭だったのかもしれない。

 「青春の匂い」と言われると、確かに若い頃のチェット・ベイカーはそういう感じだったかな、と思ってしまう。まっすぐで溌剌としたトランペットと、ソフトで中性的なささやくようなボーカルは、不思議にマッチしていた。もちろんその頃のチェット・ベイカーも好きだが、70年代半ば以降の、老成し、より憂いを増したチェットも、独特の味があって捨てがたい。それはまるで、モノクロームの「青春の記憶」を慈しむような音楽とも言えるだろうか。思えば、「青春」には「胸の疼き」がつきものであり、その言葉そのものにも、うっすら憂いを含んでいる感触がある。

 

 このチェット・ベイカーを題材にした伝記映画「ブルーに生まれついて」が公開されると知り、11月最終の土曜日、封切りに合わせて観に行った。例によって関西では2館上映のみというマイナー感だが、梅田スカイビル・タワーイーストにあるシネ・リーブル梅田の100席ほどの館内は、初日にも関わらず観客は4割程度だった。

 チェット・ベイカーの映画と言えば、1987年に製作されたドキュメンタリー映画「レッツ・ゲット・ロスト」が思い出される。以前このブログでも触れたことがあるが、僕もジャズを聴き始めて数年目、チェット・ベイカーのアルバムもいくらか聴いていた頃で、当時毎月読んでいたスイング・ジャーナルで、その撮影はそれなりに話題になっていたと思う。その年には日本公演も重なって、年齢以上にくたびれた風貌のチェットの姿は、頻繁に誌面を賑わわせていた。チェットはその翌年、滞在中のアムステルダムのホテルの窓から転落死するのだが、直後に日本でも公開されたこの映画は、アカデミー賞のドキュメンタリー部門にもノミネートされた。

 今思えば不思議なのだが、僕はこの映画を観ていない。ここまで条件が揃えば、何が何でも封切を観ていてもおかしくないんだけれど・・・。後年、サウンドトラックのCDは入手したものの、DVDは輸入盤のPAL方式のものしか出ておらず、通常のプレイヤーでは再生できないようで、いまだに観ることができていない。

 映画「レッツ・ゲット・ロスト」は、最後までドラッグへの依存を断ち切ることができず、多くの問題を抱えながら生きてきた悪名高きジャンキー、チェット・ベイカーの人生を、本人も含め、彼に関わったたくさんの人達へのインタビューと音楽で紡いだもののようだ。「ブルーに生まれついて」で主役のチェットを演じているイーサン・ホークは、このドキュメンタリー映画を観てチェットのことを大好きになり、その音楽もまた深く愛するようになったと言う。俳優の道に進んでからも、チェットのことを色々調べる中で、いつしかチェット・ベイカーを演じてみたいと思うようになっていた。それがようやく叶ったのだ。同じく、「ブルーに生まれついて」の監督であるロバート・バドローもまた、長年チェット・ベイカーにこだわってきた。映画学校時代にはチェットのエピソードをモチーフにした短編映画「Dream Recording」を、2009年にはチェットの転落死の謎に迫った短編映画「チェット・ベイカーの死」も製作している。そういう背景の中で、チェットに取り憑かれた二人が出会い、今回の映画にたどり着いたという。

 映画「ブルーに生まれついて」は、チェットの生涯を描いたものではなく、60年代末から70年代初頭の、彼が最も苦しかった一時期だけを描いた物語である。麻薬に溺れ、演奏で滞在中のイタリアで捕まったチェットは、保釈中に自伝映画に出演する。そこで、別れた妻エレイン役を演じていた駆け出しの女優ジェーンに魅かれ始める。ジェーンは噂に聞く問題児のチェットを警戒しながらも二人は恋に落ちていく。その後チェットは、麻薬がらみの揉め事で襲われ、前歯を失ってまともな演奏ができなくなる。このトランペッターとしては致命的な状況で、借金もかさみ仕事仲間からも見放され、どん底の状態のチェットに、ジェーンは寄り添い、少しずつ回復していく彼を支える。二人三脚の努力で再起したチェットは、ディジー・ガレスピーの後押しもあり、再びチャンスを得て、バードランドの舞台に立つ。

 この映画は、どん底チェット・ベイカーが再起に至るまでのラブ・ストーリーなのだが、実はチェットを支えたはずのジェーンは実在しない。これは監督であるロバート・バドローが、実際は契約で揉めて撮影に至らなかった自伝映画が、実は撮影されていたという想定から作り上げたフィクションなのだ。しかし、自伝映画が撮影されていたこととジェーンの存在以外は、ほぼ事実に沿っている。

 そこに描かれているチェット・ベイカーは、人間的な弱さを随所にさらけ出してはいるものの、懸命に生きようとしている。ちょっと小心者で、常に不安で、ある意味素直な憎めないやつだ。ロマンティックで愛すべきチェットが、とても人間臭いチェットがそこにはいる。監督のロバート・バドローも主演のイーサン・ホークも、これまでの書物や映画で描かれてきたチェットの虚像を壊したかったのだろう。死ぬまで麻薬と縁を切れなかった、どうしようもないダメ人間としか映らなかった虚像を、彼ら自身がチェットの周辺にいた人達と接して感じた方向に修正するために、フィクションという手法で、真のチェットの姿を描きたかったのだと思う。

 

 映画の非常に重要なシーンで、主演のイーサン・ホークは実際に2曲フルで歌っている。俳優であるイーサン・ホークにとって、それは大きな挑戦だったに違いないが、長い間、チェット・ベイカーを演じる準備をしていたと言うだけあって、さすがだった。

 一曲目はチェット・ベイカーの代表曲とも言えるスタンダード・ナンバー、「マイ・ファニー・バレンタイン」だ。この曲はチェット・ベイカー自身、最もお気に入りだったのではないだろうか。生涯を通じて、様々な演奏と歌が残されている。以前にも紹介した1954年の大ヒットアルバム『Chet Baker Sings』に入っているものもいいが、やはり僕は多少問題はあっても晩年の東京公演(1987年)の演奏あたりでのにじみ出る滋味の方に軍配を挙げてしまう。あるいはそれは、僕自身がそういう年齢に近づいてきたからなのかもしれないが・・・

 二曲目は同じく『Chet Baker Sings』にもあった曲、「I’ve never been in love before」で、実は僕自身、チェットが歌う中で最も好きなナンバーだ。この切なく響くロマンティックなラブソングには、確かに村上春樹の言うところの「青春」をストレートに感じさせるものがある。

 その2曲に比べ、この映画のタイトルにもなっている「Born to be blue」は、チェット・ベイカーの演奏や歌では、あまり馴染みが無い。アルバムとしては1964年にリリースされた『Baby breeze』に入ってはいるが、目立たない。僕も映画を観るまで、チェットの演奏は知らなかった。歌手のメル・トーメがロバート・ウェルズと共作したこの曲で頭に浮かぶのは、圧倒的にヘレン・メリルの歌にクリフォード・ブラウンのトランペットが重なる名演である。(アルバム『Helen Merrill (with Clifford Brown)』に収録)

 

 実は、最初に紹介したジャズ・ブックの姉妹本とも言える村上春樹和田誠の共著に、「村上ソングズ」というソング・ブックがある。ジャズ、スタンダード、ロックの名曲を29曲選び、その訳詞とエッセイにイラストと名演のCDジャケットを添えた本で、その中の一曲に、偶然にも「Born to be blue(ブルーに生まれついて)」が選ばれているのだ。

 その歌詞を深く読めば、この映画のタイトルにこの曲を選んだ理由がわかってくる。それはまさにチェットの心情を歌っているような内容であり、そういえばチェット自身もBlueを自らのテーマカラーと認識していたのではないかと思えてくる。

 英語の「Blue」は、日本人が思う「青」の感覚と違い、「憂い」の感情を多分に含んでいるのだろう。今や「ブルーな気分」と言えば、日本人でも「憂鬱なんやな」とわかる。日本語の「青」には、「未熟」の色合いが強く、「憂鬱」な感じは薄い。この文章の冒頭の「青春」という言葉だって、誰が最初に考えたのかは知らないが、「未熟」さを表しているのだろう。もちろん、「青春」だからと言って「blue spring」なんて訳しても全く伝わらない。youthでいいのだ。

 そういえば、チェットは晩年、ライブで「Almost Blue」という曲を定番のように歌っていた。先に紹介したドキュメンタリー映画「レッツ・ゲット・ロスト」のサントラ盤では、アルバムの最後を飾っている曲だが、これは1982年にエルヴィス・コストロがチェットの歌う「The thrill is gone」に触発されて書いたという。その歌詞は、まさにBlue。チェット・ベイカーのイメージを歌ったような内容だ。この曲をチェットも気に入り、ジャンルは違うが、ライブや録音でもエルヴィス・コストロとは交流があったようだ。

 こう書いて行けば、とことんブルーな気分になる映画のように感じるかもしれないが、そんなことは無い。決してハッピーには終わらないが、それでもなんだか気分は優しくなっていた。

 上映館を探しているときに、ネットでたまたま見たこの映画の評点はあまり芳しくなくて、観にいくのを躊躇してしまうほどだったが、僕にとってはとてもいい映画だった。映画が終わって、梅田スカイビル周辺で行われている、夜のクリスマスマーケットに繰り出し、ホットワイン(グリューワイン)とソーセージで体を温めたが、その時感じたホカホカした余韻は、決してワインのせいだけではなかったんじゃないかな。 

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<おまけ>

 エルヴィス・コステロの「Almost Blue」もぜひ。

 そうそう、そういえばエルヴィス・コステロの奥様である、ダイアナ・クラールもこの曲、歌ってました。そちらもぜひ。

 

 

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