Jerrio’s Cafe ~ 気がつけば音楽が流れていた

 店主 Jerrio の四方山話と愛聴盤紹介。ジャンルの壁を越え、心に残った音楽について語ります。

コロナ禍に沁みる「ファクトフルネス」と独りの音楽

 5月の後半。例年であれば、花粉に悩まされる季節がようやく終わって、さわやかな天候を満喫している一時期だが、今年は随分違う印象だった。快適さは早々に退散し、ここ近畿地方では観測史上最も早い梅雨入りを迎えたのだ。

 観測史上といっても1951年からという事なので、たかだか70年だが、これもまた「百年に一度」の異常気象ということなのだろうか。まあ最近は、色々なところで「百年に一度」や「千年に一度」がなんだかしょっちゅうやって来るし、「異常」がいつのまにか「日常」になったりもするので、あまり驚かない。

 そうは言っても、「百年に一度」の全世界を巻き込んだパンデミックに翻弄される日常だけは、そろそろ勘弁してほしいと今は誰もが思っているだろう。一時期、毎日のように報道されていた関西での医療体制の逼迫状況は、いったいどこの国の話なの、と耳を疑ってしまうようなものもあって、この医療先進国を標榜する国の、危機に対する脆弱さが日々露呈していた。

 ここにきてようやく、たくさんの人々の苦悩の上に立った対策が功を奏し、感染拡大が抑えられつつある。焦点はワクチン接種に移ってきた感があるが、その進展に合わせて、ようやく終息への道筋が見えてくるのだろう。しかしこればかりは「喉元過ぎれば熱さ忘れる」というわけにはいかない。「百年に一度」は、またすぐにやってくることを、僕たちは既に学習しているのだ。

 

 2019年の夏、まだ「コロナ」といえばライムを添えたコロナビールを思い浮かべてゴクリと喉を鳴らしていた頃、書店でたまたま手に取った本 「ファクトフルネス」を購入して読んだのだが、そこにひっそりと記されていた「パンデミックへの警告」を、当時僕はほとんど気にしていなかった。

 今や長らくベストセラーとなっているこの本の主題は「誰にでも陥る10の思い込みを乗り越えて、データを基に世界を正しく見る習慣を持とう」というもので、ビジネス書のフォーマットで項目立てをし、ユーモアを散りばめながらも、その考え方を真摯に説いている。冒頭には、世界の情勢に関するいくつかの簡単な質問が記されていて、僕も例にもれずチンパンジー以下の正答率となり、見事に思い込みの罠にはまっていた。

 著者のハンス・ロスリングはスウェーデンで自国における国境なき医師団を組織化した医師であり、教育者でもある。彼自身、何度も発展途上国や紛争地に駐在した経験もあり、WHOやユニセフのアドバイザーも務め、TEDカンファレンスでも活躍した。また、名前を連ねるオーラとアンナはハンスの息子夫妻であり、データの分析や提示のフォローを担っている。

 その読んで納得の「目うろこ本」が説く「ファクトフルネス」の考え方は、その後発生した新型コロナウィルスの拡大初期における情緒的混乱にも一石を投じる印象があったので、昨年コロナ禍でパラパラと再読したのだった。最初に読んだときは、「ファクトフルネスを実践するためのハウトゥー本」というとらえ方で本書の楽観的な側面が印象的だったのだが、再読では、それとは違う部分に目がいった。

 そこに挙げられている10の思い込みは、それに対応する人間の10の本能から発している。それぞれ、分断本能、ネガティブ本能、直線本能・・・と続く中で、体験談・失敗談が多数散りばめられているが、10番目の「焦り本能」の説明の最後に、2014年に西アフリカでエボラ出血熱が流行した時の話が出てくる。この時、患者数が倍々で増加していく状況を受けて、著者自身、このままでは大変なことになるとの思いから現場に駆けつけ、その混乱を目の当たりにする。そして、その中で、過去の失敗を繰り返すまいと、本能や恐れに動かされるのではなく正しいデータに基づいて行動することを誓い、その実践によって対策の有効性の判断も的確になされていった、というエピソードだった。

 そしてこの章の最後に、著者の考える心配すべき5つのグローバルリスクについてふれられている。その筆頭に「感染症の世界的な流行」が挙げられていて、まさに今、世界が直面している状況を言い当てていたのだ。最初に読んだ時は、一般的な総括リスクとして流してしまったので、印象には残っていなかったが、コロナ禍で読むこの指摘は重かった。

 その後にある、あとがきにあたる「おわりに」の部分を、最初は読んでいなかったので、再読時に目を通して驚いた。この部分は著者のハンスではなく、息子夫妻のオーラとアンナによって書かれていた。そこには、この本を書くことを決めた少し後に、ハンスが末期のすい臓がんで、余命2~3か月、緩和治療が奇跡的にうまくいっても1年、と宣告されたことが記されていた。

 ハンスはそこから残された時間をどう生きるかを考え抜く。そしてたくさんの講演、テレビ・ラジオ出演、映画製作もすべてキャンセルし、この本の執筆に賭けたそうだ。1年後、容体が急変した時も、書き込みだらけの原稿を手に持ったまま病院に運ばれ、その数日後に息を引き取ったという。すなわち、この本に書かれている内容は、著者の遺言とも言えるものであり、そこには、まさしく今、人類が直面している課題に対する心構えが明確に記されている。本編には、そうした自らの状況を匂わせる箇所は一切なかったが、思えば、ユーモアでくるまれてはいても、そこには、にじみ出る覚悟のようなものがあった。それは今困難の中にある我々へのエールのようにも感じるが、あるいは遠くない将来に必ず来る、新たに立ち向かうべき脅威への警告ではないかとも思えてくるのだが・・・

 

 さて、今日の音楽。今回、このコロナ禍で沁みた音楽を強いてあげるなら、と考えてみた。音楽を聞くことのできる機会は多かったが、言うほど聞いてはいなかった気がする。何でもいいから聞きたい、という事でもなかったのだろう。その中で頭の中に浮かんだのがロンドン在住のシンガーソングライター、ブルーノ・メジャーだった。2017年にリリースされたデビューアルバム『A Song For Every Moon』はコロナ前から入手していたのだが、腰を据えて聴いたのは昨年最初の緊急事態宣言下だったような気がする。

 ブルーノ・メジャーの音楽は、「独り」の音楽だ。「独り」といっても、さびしい音楽ということではない。確かに内省的ではあるが、むしろその雰囲気はパーソナルであたたかく心地いい。ソウル風味満載のメロウでジャジーな楽曲たちは、一人聞き入る心のうちに、ポッと小さな灯りをともしてくれる。すぐ横にいるような息遣いで歌われる憂いのある声は、力が抜けていて、多重録音によるコーラスや、様々な処理を施した楽器音もまた、その声とゆるく結びついている。いわゆるベッドルーム・ミュージック的なアプローチだが、そのことによるデメリットをしっかりとメリットに変え、とても親密な世界を作り上げている。

 このアルバムに入っている12曲は、2016年から17年にかけて、Spotifyで毎月1曲ずつ新曲として配信されたものだ。もともとセッションギタリストだったブルーノ・メジャーだが、その後ピアノも弾くようになり、楽曲づくりにも目覚めた。その中で、彼自身の嗜好もあったのだろう、古いアメリカン・ポップやジャズ・スタンダードからも多くを学んでいったという。そうした背景を持つバリエーション豊かな楽曲は、現代的なサウンドプロダクションを経てもなお、古き良き親しみやすさのようなものが残されている。

 

 最初に書いた「独りの音楽」は、「独り聞き入りたい音楽」と言い換えることもできる。独りきりでその音楽と向き合うとき、そこにはひそやかな対話があるのかもしれない。多くの対話や対面が制限されている今、僕たちは知らぬ間に、心通じる音楽を求めているのかもしれない。

 

<追記>

 昨年の夏、新型コロナウィルスの第一波がおさまり少し気が緩みかけていた頃、ブルーノ・メジャーのセカンドアルバム『To Let A Good Thing Die』がリリースされました。僕も入手してよく聞きましたが、前作の路線をさらに深化させています。心地いいです。よろしければ、ぜひ!

 

 

<関連アルバム & Book>

A Song For Every Moon

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