Jerrio’s Cafe ~ 気がつけば音楽が流れていた

 店主 Jerrio の四方山話と愛聴盤紹介。ジャンルの壁を越え、心に残った音楽について語ります。

『パリ・コンサート』でのキース・ジャレットは、最強の楽曲プロモーターだった

ひと月ほど前のこと。大好きな随筆家、須賀敦子の作品の中で、代表作とは知りながらも未読だった「コルシア書店の仲間たち」を読んだのだが、読了後に何故かキース・ジャレットのピアノソロアルバム『パリ・コンサート』がたまらなく聴きたくなった。40分近くある長いインプロビゼーションと2曲の小品から成るアルバムだが、その中でも特に2曲目の「The Wind」を聴きたかったのだ。

『パリ・コンサート』を入手したのは10年ほど前。キースの新旧録音が続々とリリースされ、正直、新たなアルバムを購入して聴く気も失せてしまっていた頃、たまたまネットで見かけた、異様に熱量の高い紹介文に誘われるように、まだ聴いたことがなかったこの古いアルバムに、ついつい手が伸びたのだった。

思えば『パリ・コンサート』は、数あるキース・ジャレットのピアノソロの中でも少し異質かもしれない。1990年にリリースされたアルバムだが、録音は1988年で、その前後にバッハの平均律クラヴィーア曲集ゴルトベルク変奏曲を録音している。その影響かどうかはわからないが、1曲目のインプロビゼーションでは、バッハの姿が見え隠れするバロック調の音楽が展開される。途中低域の固定音形に誘発される激しい曲調を挟みながらも、やがて天上の音楽とでも呼びたくなるような恍惚の世界へと導かれていく。和声的にも一貫してクラシカルで、決してジャズの方向には傾かない。

 

件の「The Wind」はそれを受けて始まるのだが、新たなインプロビゼーションがスタートしたのかと思わせる軽快な曲頭は、すぐに方向を転換し、徐々にテンポを落としつつ一旦終結。そこからゆったりとしたメロディーが満を持して始まる。澄み切った空間に広がるのは美しくも切ない、夢の中でたゆたうような音楽だ。静かに拡散する清新なピアノの旋律は、大きく形を崩すことなく、豊かな心情の起伏を捉えながら、物語をたどるように続く。幾度かの緩やかなうねりを越え、ようやく出口を見出した音の流れは、儚さをまとったまま、悲しみさえもいつくしむように最後の輝きを残しながら消えていく。直後に湧き上がる観客の歓声や拍手は相当なものだ。少し驚きもあったかもしれない。この6分ほどの音楽の中には、人の心に静かに訴えかける物語が詰まっているのだ。

「The Wind」は、ジャズ・ピアニストのラス・フリーマンが作曲し、1954年にリリースされたチェット・ベイカーのアルバム『Chet Baker & Strings』で初めて披露された古い曲だ。そんな曲がこの時期のキース・ジャレットのソロアルバムの中に入っていること自体、少しびっくりだった。当時の僕の認識は、キースは1999年にリリースした『The Melody At Night, With You』より前には、ピアノソロで他人の曲は弾いていない、というものだった。

それゆえに当初は、新たなインプロビゼーションを展開するはずが、その時の心情の変化から演奏中に方向転換を図り、異例中の異例でこの曲の演奏に至ったのではないか、ということも思った。しかもその曲は、他に演奏するジャズ・ミュージシャンが思い浮かばないようなマイナーな曲だったのだ。

ただ、聞き覚えのある曲だった。絶対にどこかで聴いているという確信はあったのだが、『パリ・コンサート』を初めて聴いた当時は、前述の『Chet Baker & Strings』も聞いたことがなかった頃で、誰のアルバムで聴いたのかは分からないままだった。

 

今回、あらためてこの曲の素晴らしさを再認識したのに合わせて、かつての疑問を少し追ってみることにした。そして行き着いたのが、これも予想外。マライア・キャリーのセカンドアルバム『エモーションズ』だったのだ。

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『エモーションズ』はリリース直後に購入したもので、当時何度か聴いたはずだった。ちょうど仕事でも時代を表現する新しい音を探っていた時期だったので、話題の新人のセカンドアルバムを聴き逃すはずはなかった。ただアルバムの最後の曲「The Wind」は、他の曲調とは全く違い、古いジャズの曲にマライア自身が歌詞をつけたもので、今思えば確かに新たな可能性が垣間見える曲だったのかもしれないが、当時の僕の興味は、そこには無かった。それでも、その音楽の断片はしっかりと頭の片隅に残っていたということだろう。

 

今回、気付いたのは『エモーションズ』のリリース日が1991年の9月で、『パリ・コンサート』の出た1990年4月と、絶妙な時間関係にあった事だ。それに関し、先日、マライアのデビューから7年間ほどの日々を綴ったクリス・ニクソンの「マライア・キャリーの選択」を読んでみたのだが、その中にセカンドアルバムで「The Wind」を取り上げた経緯が記されていた。

それによると、セカンドアルバムの制作を始めた頃、マライアとともにこのアルバムで多くの曲を共作しているウォルター・アファナシエフが、リリースされたばかりのキース・ジャレットの『パリ・コンサート』を持参し、「The Wind」をマライアに聴かせたという。彼女はそのメロディーに感動し、飲酒運転事故で亡くなった友人への想いを綴った歌詞を自ら書き下ろしたらしい。さらにマライアは、初挑戦となるジャズの作法の上では、この詞の内容が思い通りには伝わらないと判断し、彼女が歌を引っ張るのではなく、むしろビートに身をゆだねて、その揺れた調子に自分を合わせるという方法を取り、囁くような声でその想いを伝えたということだ。

 

いずれにしても、もうほとんど忘れ去られていた「The Wind」をキース・ジャレットが取り上げたことは、この曲にとって新たな転機になったのだろう。なにしろ、アルバム『エモーションズ』の販売は、全世界で1200万枚。ジャズのアルバムとは2桁ほどちがうのだから、ラス・フリーマンも桁違いにうるおったはずだ。(マライアのアルバムでの印税だけで家が建ったという話も・・・)そして何より、後年のラス・フリーマンは、ジャズ・ピアニストから映画スコアなどの作曲家に転身し、2002年に亡くなるまで多忙な日々を送ったようだ。若い頃から作曲で身を立てることを夢見ていたラス・フリーマンにとって、「The Wind」の飛躍は、夢に向けたビッグステップだったのかもしれない。

2002年の7月に行われたラス・フリーマンの追悼式では、通路まで人であふれた満員の会場で「The Wind」が演奏されたそうだ。その演奏者の中には、初出のチェット・ベイカーのアルバムで一緒だったバド・シャンクなど、1950年代にともにこの曲を演奏した面々もいたらしい。天空でラス・フリーマンも聴いたであろうその演奏はどういうものだったのか、聴いてみたい気もする。

 

ところで、今回色々見ている中で、僕の認識に大きな誤りがあることが分かった。それは、先述した「キースは1999年より前には、ピアノソロで他人の曲は弾いていない」という認識である。実は『パリ・コンサート』の前年の1987年4月14日、キース・ジャレットはスタンダード曲メインのソロ・コンサートを開催していた。場所は東京。できたばかりのサントリーホールで4日間行ったコンサートの最終日であり、その音源も残されていたことを知ったのだ。

4日間の初日の演奏はアルバム『Dark Intervals』としてリリースされていて、少し短めのインプロビゼーションが8曲入ったこの一枚は、僕もリアルタイムで購入していた。では4日目の演奏はいったい何処にあるのか・・・ 

実は当時、VHSとレーザーディスクで発売されていたのだ。日本語タイトルは『ソング・ブック ~ライブ・アット・サントリー・ホール ‘87』、ケース表面には、英語タイトルである『Solo Tribute ~ The 100th Performance In Japan』とあって、1974年の初来日以来100回目となる日本でのコンサート記念に、ジャズ・スタンダードを中心としたプログラムが組まれたものだった。後年、ビデオアーツ・ミュージックからDVDでも発売されたことを知り、今回何とかその中古品を入手。その中にも、ラス・フリーマンの「The Wind」が入っていたのだった。

両者を比べれば様々なことが分かる。導入部分と終結部分は明らかに違う。導入部分の違いは、前述の仮説もそれらしく感じるものだった。展開の大きな流れに違いはないものの、細かい音の取り方はかなり違っている。そこで分かったことは、パリ・コンサートでの演奏が、いかに完成されたものだったのか、ということだ。そぎ落とされた完成度と一音一音に込められた清廉さ。その純度や恍惚度合は、パリ・コンサートでの方が明らかに高い。両者の時間差は1年半。恐らく、当時キース自身が好きだったこの曲の完成度は、時間とともに高められていったのだろう。

 

須賀敦子の文章から思わぬ方向に進んでしまったのだが、いつも彼女の作品を読み終えた時に感じる「儚さへの憧憬」のようなものが、この曲とつながったのかもしれない。それに合わせて、今回はキース・ジャレットの『パリ・コンサート』の素晴らしさを改めて実感した。そろそろ身の周りの煩雑なものを色々整理していきたいところだけど、その中でも最後まで手元に残しておきたいアルバムの一枚になることを確信したのだった。

 

 

<追記>

マライア・キャリーが「The Wind」を選んだもう一つの理由があったようです。

マライア・キャリーの「Mariah」という名前は、とても珍しい名前だったようで、マライア自身、子供の頃は同じ名前の人にほとんど会ったことがなかったそうです。その名前はオペラ歌手だった母親のパトリシアが付けたそうで、マライアが生まれた頃、パトリシアも大好きだった当時の大人気ミュージカル「Paint Your Wagon」の中の「They call the wind Maria」という曲からとったとのこと。日本語に訳せば「風をマリアと呼ぶ」というところでしょうか。まあ、普通に読めばマリアなのでしょうが、そのミュージカルでは、Mariaをマライアと発音していました。何しろ相手は台風のような「風」なので「マリア」では可愛すぎたのでしょう。パトリシアは、より存在感のあるその発音に近づくように「Mariah」というつづりにしたとのことです。ジャズ研究家のジェームズ・ハロッドは、マライア・キャリーがこの「風をマライアと呼ぶ」から、「The Wind」を自分と結び付けた、と記しています。

ちなみに、マライア・キャリーがデビューして大成功を収めてからは、マライアという名前は超人気の名前となり、赤ちゃんの名前ランキングでは、常に上位に入るようになったとか。まあどこの国でも似たようなものかな。

 

<おまけ>

ついでに、「The Wind」の初録音『Chet Baker & Strings』での演奏です。これはこれでいいのですが、この演奏をマライアに聞かせて、同じような結果になったとはあまり思えないかな。まあキース・ジャレットの演奏は、素晴らしかったということですね。

 

 

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マライア・キャリーの選択

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