Jerrio’s Cafe ~ 気がつけば音楽が流れていた

 店主 Jerrio の四方山話と愛聴盤紹介。ジャンルの壁を越え、心に残った音楽について語ります。

忘れることのない記憶

 今日は3月11日。あの日からもう1年になる。地震の起こった午後2時46分から数時間の間に、2万人近くの人が命を落とし、悲痛の内に暮れた一日だった。

 先週から一週間、テレビでも様々な映像が流されている。改めて、この災害の甚大さと深刻さ、さらには未だ遅々として進まない復興に、そしてそこに暮らす人々、避難している人々に思いを馳せる機会になっている。

 これまでも大きな津波被害をたびたび受けてきた日本には、その時代時代に大災害に見舞われながらも復興を成し遂げてきた人々がいたはずだ。そしてその教訓を後世に伝えるために、各地の沿岸部に建立した石碑に文字を刻み、書物に記し、子や孫に口承で伝えてきた。

 しかしその警告は正しく伝わっていたのか、というと甚だあやしい。人は時間と共に忘却する生き物だし、目に見えないものに切迫感を持って対処することも苦手だ。そういう点では、東日本大震災は、その犠牲の上に後世に残る貴重な記録を残したとも言えるのだろう。有史以来初めて、大津波の悲惨さが伝わる、空撮も含めた様々な映像が残されたのだ。「TSUNAMI」という世界に通じる言葉を生んだ国が、皮肉にもその恐怖の実像を初めて世界に伝えることになったことも、ある意味悲しいことだが...

 そんな中、先週放送されたNHKスペシャル「38分間~巨大津波いのちの記録」は特筆すべき内容であり、その映像に僕はただただ釘付けになった。それはあの日、NHK釜石報道室の記者が撮影した「38分間」の映像と、それにつながるドキュメンタリーだ。その映像は僕も昨年何度も目にした釜石の町が巨大津波に巻き込まれるところを高台から撮影したものなのだが、その画面に映る289人の住民の「生」と「死」、その後の一年間の苦闘を静かに捉えた、他に類を見ない「津波映像」だった。

 「忘れないでください。」震災後一年を迎え、被災地から発せられるこの言葉をよく耳にし目にしているが、まさにこの映像は、後世の人々に大津波の凄まじさと悲しさを伝える、「忘れることのない記憶」として、今後いつまでも生々しい映像のまま、世界中の多くの人に警鐘を鳴らし続けるのだろう。

 

 震災の二日後、僕はこのブログで音楽の全くない二日間の話を書いた。テレビでも流れない。聴きたいとも思わない。喫緊のリアルな現状の前では、残念ながら音楽は不必要なのではないか、ということも書いた。そして二日後に、ふと何か聴きたいと思い、選んだ一枚が坂本龍一の 『BTTB』(International盤)だったことも紹介した。その最初の曲は、アルバムの一曲目「Energy Flow」だったのだが、そこに戻ってみようと思った。

 ただ、今日は坂本龍一ではなく、ピアニスト・岡城千歳の2000年のアルバム 『坂本龍一ピアノワークス』 にしよう。ゆったりと感情を込めた坂本龍一の「Energy Flow」は、確かにその時のイメージに合っていたが、今はむしろ、いくつかのエチュードの中の一曲のように、流麗にさらっと演奏される岡城の「Energy Flow」の方が似つかわしい気もする。

 このアルバムは、ニューヨークを拠点に活動する彼女の坂本龍一作品集で、『BTTB』 に含まれる「Bachata」や「Tong poo」など数曲以外にも、坂本龍一自身も録音していないような、彼の習作時代の作品もあり、当時、坂本龍一という作曲家の創作のベースを垣間見たようで興味深く、何度も聴いた作品だ。

 ほぼ同時期に彼女はチャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」のピアノ・トランスクリプション(1927年ヴァルター・ニーマンによる)をリリースしている。この世界初録音のアルバムは、当時僕を狂喜させた。「悲愴」は僕の大好きな曲であり、その演奏もあまりに素晴らしく、聴き終わって、はーっとため息をついたものだ。昨年の震災からしばらくして、何故かチャイコフスキー交響曲を聴きたくなったことを思い出し、今日はこのアルバムもぜひ聴き返したい。

 

 さらにもう一作品、今日聴きたいアルバムがある。震災から一ヶ月近くたっても、まだ聴くことのできる音楽が限られていた頃、タワーレコードでよく訪れたコーナーが、アンビエントエレクトロニカ、ポストクラシカル、ニュー・ミュージックなどと呼ばれる店の隅の方の静かな一角。心象風景を音で表したような、印象的で抽象的な音楽がひしめくこのコーナーで弦楽奏者・波多野敦子の作品 『13の水』 に出会った。一聴して、その当時の気持ちにスーッと入ってきた音に感動し、迷わず購入した。

 彼女は元々バイオリニストでありコンポーザーなのだが、チェロもこなすため弦楽奏者となっている。また曲によってはアコーディオンやピアノも弾く。その弦楽器の音は存在感溢れる音だが、決して上手く聴かせるための音ではない。そこに表されたものは心象風景であり、彼女の内に流れる水の音なのだ。

 ある種の音楽は、するっと、ひとの心に入ってきて、内側から撫でたり揺さぶったり叫んだりする。そういう音楽だった。僕は確かこのアルバムを何度も聴いた後、少し高揚した気分で波多野さんに、この音楽を聴いて感じたことと、ぜひ今だからこそ、こういう音楽をたくさんの人に届けてあげて欲しいことを書いたメールをお送りした。数日後、ご丁寧にも返信のメッセージをいただいたが、その中で彼女は、震災後約一ヶ月音楽が聴けなかったこと、今でもまだムラがあることを伝えてくれた。ここまでセンシティブな音楽を生み出す人だからこそ、長引く停滞なのか、と思った。

 このアルバムのジャケットは布でできているのだが、これは造形作家吉田容子によるアートワークだ。ろうけつ染めされた布を手縫いして作るジャケットは唯一であり、柄は一枚一枚違う。ちなみに僕の持っているものはピンクからオレンジにかけてのグラデーションが美しいものだが、音楽とジャケットが一体となって迫ってくる作品だ。

 去年は、こうやって少しずつ音楽がもどってきた気がする。恐らく、被災地ではもっともっと時間がかかったのだろう。でも、たとえどんなに時間がかかろうとも、あるいはその傷の深さによって、人それぞれその時間が大幅に違おうとも、いずれ全ての人に確実に音楽は帰っていくのだろう。

 また明日から、しっかりと前だけを見て歩を早めていく新たな一年が始まる。その歩みに少しでも「力」が与えられることを信じて、鎮魂の一日を過ごすことにしよう。

 

< 追記 >

 坂本龍一演奏の、「Energy Flow」も、ぜひ。

 

 

<関連アルバム>

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13の水

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