Jerrio’s Cafe ~ 気がつけば音楽が流れていた

 店主 Jerrio の四方山話と愛聴盤紹介。ジャンルの壁を越え、心に残った音楽について語ります。

「ボサノヴァ~撃たれたピアニスト」は極上のアニメーションドキュメンタリーだった

テノーリオ・ジュニオル。この名前を聞くと、反射的に、粗いペン画で描かれた男性ピアニストの後ろ姿が頭をよぎる。それは20年以上前に入手したアルバム『エンバーロ (Embalo)』のジャケットの記憶であり、その帯には「ジャズ系ボサノヴァの最高峰、伝説のピアニスト、テノーリオ・ジュニオル唯一のリーダーアルバム」とあった。

その時点では全く知らないピアニストだったが、ちょうどブラジル音楽に関心が高まっていた頃だったので、「伝説」などと言われると、その伝説具合を確かめてみたい衝動に駆られて購入したのだろう。こういう場合、一度聴いてポイとそのままになることもあるのだが、このアルバムは頻繁ではないものの、その後も時々聴くようになった。

6曲目にある「エルドラードでの週末(Fim De Semana Em Eldorado)」のような当時の熱気を感じさせる躍動感あふれる演奏は魅力的だったが、僕の中にある「ボサノヴァ」のイメージとは少し離れている印象で、「サンバ・ジャズ」と言われた方がピンとくる感じだった。ただ、全11曲中5曲を占める自作曲がよくできていて、この豊かな才能にして「唯一の」リーダー作というのは、不思議な気がしていた。

録音は1964年。ボサノヴァ・アルバムの金字塔『ゲッツ/ジルベルト』のリリースと同年で、この時、テノーリオ・ジュニオルは23歳。大学で医学を学ぶ学生だったようだ。そのライナーノーツには、ボサノヴァ・ムーブメントの黎明期、リオやサンパウロダンスホールやクラブでのジャムセッションから、サンバ・ジャズが誕生していった背景と、そこで活躍していたテノーリオ・ジュニオルが、当時のリオ・オールスターズとも呼べるメンバーと録音したのがこのアルバムであることが記されていた。さらに、リリース後、彼は気に入った仕事以外はせず、参加アルバムも多くはなかったこと、1976年にアルゼンチンでの演奏旅行中、消息不明になったことなどが書かれていたが、それ以上の記述はなかった。

 

そのことが記憶にあったからなのだろう。先日、新聞の映画評欄で「ボサノヴァ~撃たれたピアニスト」というタイトルを見た時、即座にテノーリオ・ジュニオルの名前が頭に浮かんだ。その内容に目を走らせると、やはり彼を題材にしたアニメーション作品のようで、強烈に観てみたい思いが湧き上がり、封切の翌週末、梅田スカイビルのテアトル梅田まで観に行った。

監督は、1994年「ベルエポック」でアカデミー賞外国語映画賞を受賞したスペインのフェルナンド・トゥルエバ監督が、「チコ&リタ」でもタッグを組んだアーティスト・デザイナーのハビエル・マリスカルと共同監督を務めていて、スペイン・フランス・オランダ・ポルトガルの合作とのこと。ブラジルやアメリカの作品ではなかった。

映画は米国の音楽ジャーナリスト、ジェフ・ハリスが語り部となって進行する。2010年、彼の書いたボサノヴァ誕生から50年の記事が「ニューヨーカー」に掲載され、その記事に魅了された編集者から、世界中の音楽に影響を与えたボサノヴァ・ムーブメントについて本を書くことを提案される。ジェフはそのプロジェクトのために取材を続ける中、今まで聞いたこともなかったピアニスト、テノーリオ・ジュニオルの存在を知る。取材する多くの関係者・ミュージシャンに絶賛されながらも、その後名声を得ることなく、アルゼンチンでの演奏旅行中に行方不明になったテノーリオ・ジュニオル。その存在が頭から離れなくなったジェフは、彼の足跡をたどるようになる。様々な糸口を手繰りながら精力的に取材を進めていくと、やがて南米の痛ましい歴史とその波に飲み込まれた「伝説のピアニスト」の悲劇に突き当たるのだ。

 

語り部であるジェフ・ハリスの存在自体はフィクションだが、他は全て実際の音声にアニメーションをあてている。脚本をスタートする段階で、当時を語るミュージシャンやテノーリオとつながりのある人たちへのインタビューは、実に150時間にも及んだというが、その顔触れがすごい。ボサノヴァやMPBのビッグネームが次々と現れ、ボサノヴァ期の思い出やテノーリオとの交流を語り、その才能を称賛し不在を惜しむ。映像はアニメーションだが、その思いはひしひしと伝わってくる。

最後のアルゼンチンでの演奏旅行は、当時ブラジルの軍政を逃れてブエノスアイレスに住んでいた詩人のヴィニシウス・ヂ・モライスとギタリストのトッキーニョのバックバンドメンバーとしてだった。ヴィニシウス・ヂ・モライスといえば、アントニオ・カルロス・ジョビンと共にボサノヴァ・スタイルを生み出した立役者だ。ボサノヴァは二人で共作しジョアン・ジルベルトが歌った「想いあふれて」で始まり、同じく「イパネマの娘」で頂点を極めた。ヴィニシウスはテノーリオの才能を認め、よく声をかけていたらしい。ツアー千秋楽の夜、ホテルに戻ったテノーリオが姿を消した後も、ヴィニシウスが中心となって捜索しアルゼンチン政府に掛け合って人身保護令状を申請したというが、不幸にもその翌日、アルゼンチンでは軍事クーデターが勃発したのだ。その数年後にヴィニシウスは亡くなるが、最後までテノーリオのことを気にかけていたという。

終盤、テノーリオの妻カルメンと、父親の記憶も乏しい残された子供たちや孫たちも含めた大家族へのインタビューもあった。遺体もない失踪事件だったので、家族は年金ももらえず苦労をしたというが、それでも、みんなとても明るく、救われた思いがした。時は少しずつその悲しみを洗い流してくれるのだろう。

 

最初は、インタビューも含め、ドキュメンタリーをアニメーション化することに少し懐疑的だったが、見終わった後の印象は180度変わっていた。途中、ボサノヴァ隆盛期に、リオで自らのコンサートを終えたエラ・フィッツジェラルドが、終演後にすぐさま飛び出してテノーリオもよく出演するクラブ「ボトルズ」のステージに飛び入り出演するシーンや、ビル・エヴァンスのファンだったテノーリオ夫妻がブラジル公演で来ていたビルやトリオメンバーと夕食を共にし、音楽談議に花を咲かせるシーンなども違和感なくはめ込まれていた。アニメーション映像はダイナミックな演出を可能にし、様々なエピソードを時空を超えてシームレスにつないでくれる。その豊かな色彩に彩られた映像は、テノーリオ・ジュニオルの人生と音楽、そしてその時代を、現代の空間に鮮やかに浮かび上がらせてくれていた。

 

<追記>

今まで気にしたことはなかったのですが、映画ではテノーリオ・ジュニオルの演奏する音楽を「ジャズ・サンバ」ではなく「サンバ・ジャズ」と呼んで区別しています。「サンバ・ジャズ」はブラジルのジャズ・ミュージシャンがボサノヴァを演奏する際にサンバ的2拍子のリズムをベースにジャズ的なアプローチを行ったものですが、「ジャズ・サンバ」はアメリカのジャズ・ミュージシャンがブラジルの楽曲を真似て4拍子で演奏することが多かったジャズベースのブラジル風音楽で、両者は全く別物なのだそうです。ふーーーん。

ちなみにこの映画の原題は「They shot the piano player」で、「Bossanova」なんてどこにもありません。なるほど~。日本だと付けるよね。しかも「Samba Jazz」じゃないよね。

 

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