Jerrio’s Cafe ~ 気がつけば音楽が流れていた

 店主 Jerrio の四方山話と愛聴盤紹介。ジャンルの壁を越え、心に残った音楽について語ります。

The Moon is a Harsh Mistress

 前回、アメリカのSF作家、ロバート A. ハインラインの小説 「夏への扉」 を読んで、山下達郎の懐かしい同名の曲がその内容を歌っていたことに気づき、少しばかり驚いたことを書いた。実はこの話には続きがある。

 「夏への扉」 で俄然勢いづき、この流れで引き続き読んでみようとアマゾンサイトを物色中、ちょっとそそられるタイトルの本が目に留まった。「月は無慈悲な夜の女王」・・・うーん、意味わからんけど、何とも不思議なタイトル。おまけに、「ヒューゴー賞受賞のハインライン最高傑作」とある。おおっ、文庫本なのに1200円以上するなんて、きっと分厚い本に違いない・・・ふふっ、相手にとって不足はない・・・かも。

 少しひるみつつも、内容をもう少し知ろうと訪れたホームページには原題が記されてあった。「The Moon is a Harsh Mistress」・・・おいおい、なんだか見覚えがあるぞ。というか、前々回のブログで紹介したニルス・ラングレンのアルバムにも入っていた僕の大好きな曲のタイトルと同じだ。偶然の一致と思えるほど単純なタイトルでもないので、何か関係があるのだろう。ということで、またまたアマゾンでポチってしまった。

 送られてきたその本は予想通りの分厚さ、700ページ近くある大作だった。もし店頭で遭遇していれば、確実に戦意を喪失しそうな重量感だ。とはいえ、まだ 「夏への扉」 の余韻も残る中、海外SF小説を畳みかけて読むべし!読むべし!読むべし!と、「明日のために、その1」風に、早速とりかかったのだが・・・これがなかなかの曲者。一筋縄では行かなかった。

 原作は50年以上前に発表されたものだが、作品の舞台は2075年の人の住み着いた月世界社会である。地球での罪人の流刑地からスタートした月世界は、既に2世、3世もいる地球の植民地として、自治政府に管理されている。その中で、主人公であるコンピューター技術者・マニーと、自意識を持つAIコンピュータ・マイクが、月世界独立を目指す仲間と関わり、時期を得て独立戦争を仕掛け、地球からの独立を勝ち取るというストーリーだ。

 海外SFの初心者と言ってもいい僕にとって、この本を読み切るのは大変だった。単に長いだけではなくて、戦闘ものの要素もあり、そこに現代と全く作法の違う未来社会の詳細の描写が加わって、ある意味非常に読みにくい。エキサイトして前に進むところももちろんあったのだが、夜眠る前の読書では、ボーっ読んでいるとすぐに眠気が襲ってきて、遅々として進まない。結局ひと月近くかかって、なんとか最後までたどり着いた、というのが正直なところだ。

 感想は?と問われると、何とも複雑である。様々なところでAIが脚光を浴びている現在の視点からも興味深い部分が無くはない。しかし、SFに興味のない人に積極的にお勧めできるか、と問われると・・・なかなか難しいかな。マニアックな人にとってはたまらないんだろうけどね。

 本国アメリカでは「夏への扉」以上に、本作は人気で、今でもSF小説のオールタイムベストでは常に上位に位置しているようだが、日本ではいまいちというのは、分からなくもない。アメリカの独立戦争を思わせる戦いのストーリーは、彼の国の心の部分に訴えかける何かを持っているのだろう。

 

 ところで、今やスタンダードとも言える同名の曲「The Moon is a Harsh Mistress」との接点なんだけど、読んではみたものの、感じ取ることができなかった。小説の雰囲気がこの曲にあるのか、と問われても何とも言えないし、その歌詞もちょっと不思議な感じだけど、直接は結びつかない。

 曲の作者はソング・ライターとして有名なジミー・ウェッブ。アメリカンポップスの黄金時代、「ビートでジャンプ」や「マッカーサー・パーク」、「恋はフェニックス」などの作者として、何度もグラミー賞をとった人物である。

 この曲は、ジミー・ウェッブが1977年に発表した自身のアルバム 『エル・ミラージュ』 に入ってはいるが、その数年前からジョー・コッカーグレン・キャンベル、ジュディー・コリンズなどもアルバムで取り上げ、その後もリンダ・ロンシュタットケルティック・ウーマンなど、現在に至るまで本当に数多くのミュージシャンに採用されている。しかし、シングル曲としてヒットチャートに乗ったことは一度も無いというのだから不思議だ。

 この曲の日本語タイトルは、日本盤の 『エル・ミラージュ』 を見れば、「月はいじわる」とある。月を彼女に見立てて、近そうで遠い、温かそうで冷たくされる、そんなちょっと大変な恋を歌っているようであり、小説との共通点を見出すことはできない。

 調べていると、ある音楽誌のインタビューでウェッブ自身が語った記事を見つけた。それによると、ジミー・ウェッブは子供の頃から、学校で学ぶ以上にたくさんのことをSF小説から学んだと言えるほどのSFマニアだったようだ。そういう彼が、ハインラインの小説のタイトル「The Moon is a Harsh Mistress」を見て、これまで出会った中で一番のタイトルだ、と感じた。そのタイトルを使って曲を作りたいと思った彼は、ハインライン本人に確認をとり、タイトルの使用を許されて曲を作り、世に出したという。

 

 さて、僕はこの曲をいつ頃知ったのだろう。おそらくは、パット・メセニーチャーリー・ヘイデンのデュオアルバム、『ミズーリの空高く』 で初めて聞いたように思う。このアルバムは1997年の発売直後にかなりのめり込んで聴いていたので、特に意識することなく、そのアルバムの中の一曲として僕の中に定着した。しかし、タイトルを特定できるほど印象的だったわけではない。

 

 この曲が、そのタイトルと共に僕を完全にとらえたのは、北欧ノルウェーの伝説的女性シンガー、ラドカ・トネフとピアニストのスティーブ・ドブロゴスのデュオアルバム 『Fairytales』 での静かな歌と演奏である。

 このアルバムは、1982年のリリースだが、その直後にラドカ・トネフは自ら命を絶ち、30年という短い生涯を閉じたという。そうした悲劇的な結末を思い描くからだろうか、全般的に不安定さや線の細さを感じてしまう部分もあるのだが、そこでの魂の火を揺らすような静かな歌唱とクリアで静謐なピアノサウンドは、聴くものをしっかりと捉える。今でもノルウェーでのベストジャズアルバムに選ばれるほど、このアルバムの母国での評価は高いのだが、その冒頭を飾るのが、「The Moon is a Harsh Mistress」なのだ。

 近くに見えて遠い、温かな色なのに冷たい。この曲の持つ月の二つの表情を、彼女は自らと重ねていたのだろうか。数年前にこの演奏を聴いて以降、僕の中でのこの曲のイメージは、このアルバムと重なっている。

 

 同じハインラインSF小説が起点ではあっても、山下達郎の「夏への扉」の場合と違い、タイトルは借用したものの、内容は小説とは全く違っていた。その違いは、二つの日本語タイトル、「月は無慈悲な夜の女王」と「月はいじわる」にも表れているのだろう。

 でも、本当にそうなのかな。小説を読み終えてしばらくたつが、なんとなくその基調に流れるものは、音楽の印象と一致しているように感じ始めているのはどういうことだろう。それを確かめるには、再読しかないのだが・・・・・・うーん、やめておこうっと。

 

 

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