Jerrio’s Cafe ~ 気がつけば音楽が流れていた

 店主 Jerrio の四方山話と愛聴盤紹介。ジャンルの壁を越え、心に残った音楽について語ります。

夏への扉

 「夏への扉」という小説のタイトルは、これまで何度か目にしたことがあった。それは、読書をテーマにした雑誌の特集記事でのことだったと思うが、日本の小説ではなく外国文学であるということを知ったくらいで、特に触手が動いたわけでも、内容を確認したわけでもなかった。

 タイトルからは、夏の海が舞台の青春小説のようなものを漠然と思い描いていた。そういえば、夏がばっちり似合う山下達郎の古いアルバムの中にも「夏への扉」という曲があったなあ・・・あれ?「夏の扉」だったっけ。あ、それは松田聖子か・・・なんてことも思った。

 そういう記憶がまだ残っていた今年の春、NHKの番組 『プロフェッショナル 仕事の流儀』で、またまた「夏への扉」に遭遇した。その回のタイトルは、「運命の一冊、あなたのもとへ ~ 書店店主・岩田徹」。北海道砂川市の小さな書店の店主・岩田さんが、予算1万円で客に合った本を選ぶ「1万円選書」を行っていて、今や全国から注文が殺到、3000人待ちになっているという。その超人気店主に密着したものだった。

 その中のワンシーン。店内に山積みされている本の中に、表紙に猫の後ろ姿をあしらった文庫本「夏への扉」があるのが目に留まった。と、岩田さんはおもむろにそれを手に取って、「こういう古い本をね、入れるんですよ。」「いい本だから、こういうのを読まないで過ごしちゃうのは非常にもったいない。」と、熱っぽく語っていた。うーん、そこまで言われると読むまで死ねません・・・

 その言葉によって暗示にかけられていたのだろうか。先月、夏用に何冊か本を買っておこうと思いたった時、最初に頭に浮かんだのが「夏への扉」だった。今やそう決めると後は早い。スマホでポチッとやると、翌日には手元にあるのだ。

 なんと「夏への扉」は全くの予想外、アメリカのSF作家、ロバート・A・ハインラインが1956年に発表した古いSF小説だった。SFの本なんて滅多に読むことが無い。別に意識しているつもりはなかったが、「SF」しかも「海外モノ」というだけで、無意識に敬遠してきたジャンルだったのだろう。恐らく遥か昔、まだ中学生に成りたての頃、その手の海外モノに何度かトライしたような気もするが、細かくて理屈っぽくてすぐに嫌になったような記憶が微かにあった。

 でも考えてみると、子供の頃、読書の習慣がほとんど無かった僕が本を読むようになったのは、星新一のSF短編からだったし、その後、筒井康隆眉村卓SF小説をワクワクしながら読んだことも思い出した。そうそう、NHKで夕方放映されていた少年ドラマシリーズの「タイムトラベラー」や「なぞの転校生」を楽しみにしていた時代。別にSFと無縁だったわけではないのだ。ただ子供の頃の一時期に親しんだジャンルだっただけに、大人になって読むのは少し抵抗があったのかもしれない。

 

 さて、そういう経緯で読んだ「夏への扉」は、確かにとてもいい本だった。最初慣れるまでは少し戸惑うところもあったが、1章が終わったあたりからは、俄然スムーズに読み進められるようになり、どん底の主人公が自ら行動を起こし続けてどんどん事態が好転、最後のハッピーエンドに向かうあたりではそのまま読み終わるのが惜しいような心持ちになった。

 この古典的SF小説は、海外よりも日本での人気が高いということも後で知ったのだが、恐らくは、冷凍睡眠(コールドスリープ)とタイムトラベルを絡めたSF的なアプローチではあるものの、その時空を超えたピュアでロマンティックなストーリーがジャンルを超えて受け入れられたことが要因なのだろう。それに加えて、勧善懲悪のスカッとする話の流れ、さらにはピートという主人公の愛猫が随所で物語に絡み、タイトルにもつながる重要な役回りを演じていることも、その人気を後押ししているのかもしれない。

 それとは別に、僕が大変興味深かった点がある。この小説では、その想定社会の社会構造やシステム、登場するモノやそれを利用するシチュエーションについて、随所に詳細な記述が成されている。恐らくかつて、海外SFに感じていた細かさはこういう点だったのだろうが、実はこれこそがこの種の小説の醍醐味なのだろうと理解した。しかし、これが実に面白いのだ。というのも、書かれたのが1956年。舞台は近未来の1970年と、その30年後の2000年である。作者は、その恐らくは自分自身生きていないであろう21世紀の始まりをいろいろ想像し、僕たちは、そこからさらに18年後の2018年の視点で、現社会の実像を知りつつ小説を読む。

 例えば、まだまだフェイルセイフ方式が十分でないため、自動車の自動運転装置を時に手動に切り替えながら運転している近未来(1970年、早い!)の記述や、現在のロボット掃除機にあまりにも似ているハイヤード・ガールと呼ばれる自動掃除機など、60年以上前にそれらのアイデアだけでなく、その実現における問題点や考察点が既に語られていたことに、新鮮な驚きがあったのである。

 現代の視点からこういう古典的SFを読むことの面白さを実感し、毛嫌いせずに、もう少し読んでみようと思わせる内容だった。

 

 ということで、今日の一枚。小説「夏への扉」が、ハヤカワ文庫として気軽に読めるようになったのが1979年。その翌年、僕が大学に入った1980年に発売されて大人気になったアルバム。ということで、冒頭に書いた山下達郎の「夏への扉」が入っている僕の長らくの愛聴盤 『Ride On Time』 にしようと、引っ張り出してじっくり聴きなおしてみたわけだけど・・・

 う~ん。なんとも迂闊だった。いままで38年間、何度も聴いたはずなのに。「ボ~っと聴いてんじゃねえよ!」と、チコちゃんに叱られそうだが、この山下達郎の「夏への扉」は、なんとハインラインの「夏への扉」のストーリーそのものだったのである。

 実はこの曲は、キーボードでも参加している難波弘之のアルバムのために吉田美奈子が詞をつくり山下達郎が書き下ろした曲らしい。難波氏はSFマニアで、そのアルバムは名作SFのイメージソング集ともいうべき何ともマニアックな企画盤だったという。即ち、「夏への扉」は、そのタイトルの通り、ハインラインSF小説のストーリーをもとに作られた曲であり、その曲を作曲者の山下達郎が新譜に合わせて新たにレコーディングし直したものだったのである。

  ☆ Link:Door in to summer / Hiroyuki Namba

 よく聴けば、猫のピートも登場し、主人公が同僚の義理の娘・リッキーを呼ぶときの言葉遊び「リッキー・ティッキー・タビー」(キップリングのジャングルブックに登場するマングースの名前)まで、印象的なサビの部分に何度も出てくるではないか・・・今まで一体何を聴いていたのだろう。

 と、気を取り直し、改めてこのアルバムを聴くと、やはり輝きを失うことのない超名盤であることを実感する。当時は、普段テレビに登場しない動く山下達郎がマクセルのカセットテープのCMにいきなり登場して驚いたが、そのバックに流れる楽曲「RIDE ON TIME」は大ヒットした。この曲が山下達郎の初めてのヒット曲だったが、その後しばらくして発売されたアルバム『RIDE ON TIME』は、その時代を象徴するアルバムとなり、僕も心躍らせながら聴いたものである。ビートのしっかりした弾むようなドラムス、ベース、エレクトリックギターに、これまた弾むような厚めのブラスセクション、多重録音も含めたコーラスが重なる今も聴けば山下達郎とわかるサウンドの特徴は、あの頃から変わらない。

 「夏への扉」の小説と音楽にこんな接点があったなんて思いもよらなかったが、よくよく聴けば、この「RIDE ON TIME」も、「夏への扉」の世界を歌っているようにも聞こえてくる。時を駆けて時を超える。希望に向けて今動き出す世界・・・・・・案外、「RIDE ON TIME」の起点も、「夏への扉」だったのかもしれないね。

 

 

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