Jerrio’s Cafe ~ 気がつけば音楽が流れていた

 店主 Jerrio の四方山話と愛聴盤紹介。ジャンルの壁を越え、心に残った音楽について語ります。

箸休め的「Like Someone In Love」に心安らぐ

 最近、新ショウガの甘酢漬けにはまっている。言ってしまえば、寿司屋のガリに近いのだが、多少甘みを抑え少し厚めにスライスしているので、サクサク食べられてどんなお酒にでも合う。本来は箸休めの一品なのだろうが、常に大量摂取の誘惑と戦っている。

 そういえば学生時代、友人と入った寿司も出す居酒屋で、大量のガリ(タダです)をお皿に乗せ、焼酎のアテにしている僕の姿に友人はあきれ顔で「・・・ガリ小僧なんやね」と一言。その記憶は何故かしっかりと定着し、その後、寿司屋で多めのガリをいただくときの免罪符として、「ガリ小僧」を自任するようになっていた。とはいえ、寿司の箸休めとしてのガリの「多め」は、常識の範囲内での「多め」にならざるを得ない。

 ということで、その常識の縛りから解放されたい一心で手作りするのだが、あまり大量に食していると口から食道にかけてヒリヒリしてきて、少しいけないことをしている気分になってくる。その罪悪感が適度な抑制となって、ガリ小僧といえども、一旦作るとしばらくは楽しめるのだ。

 

 「箸休め」といえば、日頃アルバム単位で聞いている音楽の中にも箸休め的な曲は存在する。例えば、ダンス系アルバムなどでよく「インタールード(Interlude)」という短い曲が入っているのを見かけるが、これは「間奏」という意味合いで、まさに「箸休め」が明示されているようなものだ。ただ、タイトルからはわからなくても、他の曲と一線を画すホッと一息つける箸休め的な曲には、わりとよく出くわす。

 前回紹介したブルーノ・メジャーのデビューアルバム『A Song For Every Moon』では、一曲だけ古いスタンダード曲が入っているが、この曲は明らかに箸休めだった(私見です)。その曲とは、1944年にジミー・ヴァン・ヒューゼンが作曲し、ジョニー・バークが作詞した名曲「Like Someone In Love」だが、あたかも少しへたりかけたプレイヤーで古いアナログ盤を再生しているかのように、周期的なピッチ変動とスクラッチノイズで演出している。そのジャジーなギター演奏や歌声の音響処理は、軽く一発録りしているようなライブ感を醸し出し、その上に重ねた打ち込み音がベッドルームミュージックの雰囲気を強調している。

 そんなゆるめの演奏を聞いていて重なってくるのは、チェット・ベイカーの歌う「Like Someone In Love」だ。確かバックはピアノトリオでギターは入っていなかったはずだけど、と思いつつ、この曲の収録されているアルバム『チェット・ベイカー・シングス』をひっぱり出してみる。なるほど、アレンジは違うし、わりとかっちりとしたバッキングなのだが、声の置き方や雰囲気はかなり近い。恐らくブルーノ・メジャーの意識の中には、この演奏があったのだろう。ただ、チェット・ベイカーの場合は、この曲が「箸休め」というわけではないかな。でもよくよく考えてみると、『チェット・ベイカー・シングス』は僕にとっては、アルバム自体が箸休め的だな、と納得してしまった。

 

 ところで、箸休め的「Like Someone In Love」といえば、忘れてはいけないもう一枚のアルバムが頭に浮かぶ。それは、アイスランドの歌姫、ビョークの1993年のアルバム『Debut (デビュー)』だ。

 タイトルの通り、ビョークはこのアルバムでソロとしての実質的なインターナショナル・デビューを果たしているが、いったい何人の人が、このちょっとかわいい雰囲気のジャケットにつられて、その魔の手に取り込まれてしまったのだろう。決してロックではくくれない革新的なサウンドと絞り出すようなハスキーヴォイスは当時から全開で、ビョークの独自世界は既に出来上がっている。この人の音楽には、そのサウンドと合わせて、もう引き返せないようなヒリヒリとした魅力があるのだが、ところどころに顔をのぞかせる「不穏」の影が、またその魅力に拍車をかけていたりもする。

 そんな、抜き差しならない雰囲気のアルバムにあって、5曲目に置かれているハープの伴奏だけで歌われる「Like Someone In Love」は、ふっと息継ぎができるような安堵感を与えてくれる。考えてみれば「妖精のよう」と形容されるビョークにふさわしい、少しふわふわした感じの歌詞であり、そのイメージにハープ一本の伴奏は合っている気もするが、アルバム全体から見れば、やはり箸休め的だ。

 

 とまあ、ここまで好き放題書いてきたが、スタンダードにもなっている名曲なので、「箸休め」などとあまり大きな声で言っていると、しまいにシバかれそうだ。もちろんジャズの大御所達の、決してそんなことは言わせない演奏も数多く残されている。特に、エラ・フィッツジェラルドがこの曲名をタイトルにまでした1957年リリースのアルバム『Like Someone In Love』は、彼女のこの時期を代表するアルバムで、フランク・デヴォールのオーケストラをバックに、スタン・ゲッツのテナー・サックスもフィーチャーした名盤だ。僕もジャズボーカルを聞き始めた最初の頃に購入し、これまで何度も聞いてきた。

 

 そういえば、エラ・フィッツジェラルドのこの演奏をテーマとして使い、タイトルもそのままの映画「Like Someone In Love」というのがあったはずだ。そう言われると、うんと古い映画なのだろうと思われるかもしれないが、それほど前の話じゃない。僕は見ていないのだが、忘れていたので調べてみると、2012年公開の日本・フランスの共同制作映画だった。監督はイランの巨匠アッバス・キアロスタミで、カンヌ映画祭コンペティション部門で正式招待作品となっている。

 キアロスタミ監督は、小津安二郎のファンを公言していて、一度は日本の地で日本の俳優を使って撮りたいという思いを実現した作品で、期せずしてこれが最後の作品となってしまった。84歳にして初主演の奥野匡や、若手女優だった高梨臨の抜擢も話題になり、そのレッドカーペットを歩く姿は当時注目を集めた。

 今回、少し見てみたい感じもしたんだけど、なんとなく先送り。まあ、「Like Someone In Love」だから「箸休め的」作品を期待したいところだけど、そうでもなさそうだし・・・・・・知らんけど。

 

 最初の話に戻すと、初夏を感じる頃、店頭でやたらと新ショウガが目につき始めて、それなら作ってみるかということで、こういう話に繋がっていったんだけど・・・実は新ショウガの旬は秋だと知って少しびっくりした。「夏にさっぱり新ショウガ」という感じで、そのさわやかな食べ物は夏が旬と思い込んでいたが、初夏のものはハウス栽培物だそうで、通常の露地栽培では10月下旬からが旬なのだそうだ。

 その頃には、また大量に仕込むことになりそうだが、さて二か月後、世間はどうなっているのだろう。緊急事態宣言も解除され、この何とも言えない重苦しい雰囲気は解消しているのだろうか。2年越しの忘年会や新年会・・・うーん、なんとなく期待薄のような気もするけど、そうなると必然的に家飲みの機会は増え、また新ショウガの消費量は増えることになるのだが。うーん・・・

 

 

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