Jerrio’s Cafe ~ 気がつけば音楽が流れていた

 店主 Jerrio の四方山話と愛聴盤紹介。ジャンルの壁を越え、心に残った音楽について語ります。

カレンの歌声が聴きたい

 カレンの歌声が聴きたい...そういう思いに駆られるときがある。その頻度は数年に1度というところだろうか。そのたびに僕は、カーペンターズの旧譜を1枚、また1枚と買い足してきた。

 カレン・カーペンターの歌声は、僕にとっては精神の安定剤のようなものだ。女性の歌声にしては少し低めの音域がしっかりと伸び、安心感をもたらせてくれる。素直な音楽の上にストレートに乗ってくる声の感触が、とても心地いい。いつ聴いても同じように落ち着いた気分になれる。

 そういう風に感じる歌声は人によって違うのだろう。ある人にとっては、「相対性理論」のやくしまるえつこの声かもしれないし、あるいはノラ・ジョーンズや「いきものがかり」の吉岡さんだったりするのかもしれない。いや、そりゃあやっぱり「舟歌」を歌う八代亜紀やね、っていう人も、なんとなくいそうだ。

 でも、考えてみれば、それは単に声だけのせいでもないのだろう。その歌声をどういうシチュエーションで聴いてきたのかが影響しているような気もする。

 十代の前半に深夜放送を聴き始めた頃、彼らの音楽は、それはそれはよく流れてきた。調べてみると僕が中学生の頃が、カーペンターズの日本での全盛期と重なっている。「シング」も「イエスタデイ・ワンス・モア」も「トップ・オブ・ザ・ワールド」も「ジャンバラヤ」も、全てその時代の曲だ。

 「シング」に至っては、音楽の教科書にまで日本語で登場し、カーペンターズ自身が一種の「文部省推薦ポップスグループ」みたいになっていたので、当時よく耳には入ってきたものの、ちょっとひね始めていた僕のライブラリーには当然の如く入っていなかった。

 そんな中で、1枚だけLP盤で持っていたアルバムが1975年リリースの 『Horizon(緑の地平線)』 だ。今や彼らのオリジナルアルバムはほぼ全てCDで手元にあるのだが、その中で僕が一枚挙げるとすれば、やはりこのアルバムだ。

 『Horizon』 は、常にビルボードのアルバムチャートで5位以内に入ってきた彼らの人気に陰りが見え始め、初めて10位にも入らなかったアルバムである。それ以降彼らがTOP10に返り咲くことは二度となかった。そういうアルバムを何故購入したのか。それは当時高校受験の只中で、そのアルバムからシングルカットされた「Solitaire(ソリティアー)」に、何故か心惹かれたからだった。

 シングル曲しか聴いていなかったカーペンターズだったが、このアルバムにはそれまで感じなかった彼らの「愁い」を強く感じた。それが当時の僕の気持ちともマッチしていたのだろう。このアルバムは結構聴いた気がする。

 3曲目にはイーグルスの「Desperado」のカバーが入っている。この曲には、原曲とは別種の感慨がある。当時特に好きだったナンバーだ。

 5曲目の「I Can Dream, Can't I?」などを聴くと、今、もう少し時代を生きたカレンに、ジャズのスタンダードナンバーを歌わせることができたとすれば、さぞや素晴らしい音楽を聴かせてくれるんだろうなあ、なんて思わせてくれる。

 9曲目の「Love Me For What I Am?(愛は木の葉のように)」のように、シングルカットされていない名曲も多く、下降気味の時代のアルバムとはいえ、その底に流れるものに強く惹かれるのだ。

 その後の、カレン・カーペンターの辿った道を思うとき、僕はどうしてもこのアルバムから立ち上る愁いの香りとリンクさせてしまう。彼女の持つ愁いは、既にその声の中にあった。そしてその愁いを払拭することは、生涯できなかったように思う。

 

 そういえば、その翌年発売されたシングル盤、「I Need to Be in Love(青春の輝き)」を僕は大好きだった。後で知ったのだが、この曲はカレン自身が最も愛した曲だったらしい。自らの思いを代弁しているような内容であり、毎回冷静に歌うことができないくらい感情移入したのだという。

 しかしその曲はラジオでもあまり流れることなく消えていった。既にカーペンターズの時代は終わりを迎え、時代の求める音楽も変わっていたのだ。

 常に幸せな家庭を持つことを夢見ていた、どこにでもいるようなアメリカン・ガールだったカレンは、その後結婚をしたものの決して幸せとは言えなかった。自ら抱えた重荷を下ろすこともできず、拒食症による合併症で、1983年、32歳の若さでこの世を去った。

 

 僕が再び彼女の声に目覚めたのは単純なきっかけだった。恐らく多くの人が同じような状況だったろう。彼女が亡くなって12年後、テレビドラマの主題歌・挿入歌として彼らの曲が大々的に取上げられ、日本でカーペンターズの企画ベスト盤がチャートトップを獲得、一気に300万枚を売り上げるという、世界的にも例が無い快挙が生まれたのだ。

 1995年、野島伸司脚本のテレビドラマ「未成年」は、その製作者の仕掛けたカーペンターズの音楽へのオマージュではないかと思えるほど、思い入れをもって音楽が配置され、同じようにその音楽とともに10代を過ごしてきた僕たちに、特別な思いをもたらせてくれた。そのエンディングテーマこそが、前述の、「I Need to Be in Love」だった。

 このドラマで僕が感じたこと。それは、ドラマの内容云々ではなく、いよいよテレビの世界でも、僕と同世代の人たちが、自らの意志を表面化し活躍する、そんな年齢になったんだな、ということだった。

 実は僕も、その時期にカーペンターズの2枚組みのベストアルバム(カレンの死後、1985年に全米で発売されたもの)を購入している。それ自体はあまり聴かなかったが、その頃から、ポツリポツリとオリジナル・アルバムを入手し始めた。何かあるたびに一枚ずつ増えていった、いまここに山積みされているアルバムたちは、僕の愁いの足跡と言えるのかもしれない。

 カレンの歌声が聴きたい。その思いは少しずつ満たされ、やがて満ち足りた気分になっていることだろう。

 

 

<関連アルバム>

緑の地平線~ホライゾン

緑の地平線~ホライゾン

Amazon
見つめあう恋

見つめあう恋

Amazon

 

にほんブログ村 音楽ブログ 音楽のある暮らしへ にほんブログ村 音楽ブログ 好きな曲・好きなアルバムへ

上のブログランキングもポチッとお願いします!