Jerrio’s Cafe ~ 気がつけば音楽が流れていた

 店主 Jerrio の四方山話と愛聴盤紹介。ジャンルの壁を越え、心に残った音楽について語ります。

「てっぱん」と「さびしんぼう」の微妙な関係

 NHKの「てっぱん」を録画で見た。DVDレコーダーにうちの奥さんが録画しておいたものだ。先日新しく始まったこの連続テレビ小説は、見慣れた尾道の風景で始まる。同じ瀬戸内海の町を故郷に持つ僕にとって、特別な感慨が湧いてくる。それだけではない。尾道が舞台と聞くと、なんだか胸の奥のほうがざわざわするのだ。理由はわかっている。「さびしんぼう」のせいだ。

 「さびしんぼう」は尾道が舞台の日本映画である。1985年の公開だが、大林宣彦監督の「尾道3部作」のひとつとして今でも多くの人を尾道に集める原動力になっている。僕の思い入れの深さも半端ではない。パンフレットも原作本もシナリオ本も、さらには当時の大林監督の回想本だって持っている。DVDも購入して誰彼かまわず今までに観た邦画No.1と公言している。万人受けするかどうかはわからない。非常に個人的な感想だ。

 最初に観たのは公開の年、社会人になって2年目の春だったと思う。5月の連休を利用して、学生時代をすごした福岡の街に帰っていた。幸いなことに、大学が大好きな(!)友人のY君は大学6年目だったが、まだまだ学生として健在だった。僕は彼の部屋に泊めてもらいながら、一ヵ月後に行われる演奏会にOBとして出演するため、その集中練習に参加していた。・・・というのは口実で、夜な夜な色々な場所(飲み屋)で友人や後輩たちと旧交を温める(飲んだくれる)のが目的だったような気もするが・・・

 二日酔い明けのその日、練習は夕方からなので、Y君と映画でも観に行こうという話になった。ふたりとも映画は大好きで学生時代よく一緒に観にいったものだ。どちらからともなく「さびしんぼう」を観よう、ということになったが、一つハードルがあった。僕たちは気に入った映画は一回に二度観る、ということを以前からよくやっていた。しかしそれは、同時上映の松田聖子カリブ・愛のシンフォニー」(このカップリングはないやろ!)をどうしても観てしまうことを意味する。仮に二度観モードになった場合は、グッと耐えて再度本編が始まるのを待たなくてはならない。さて、結果は・・・。我々はみごとそのハードルをクリアし、なおかつそのことを忘れてしまうほど、二回観た後の満足感に満たされていた。児童向けの奇天烈な物語が原作のこの映画は、20代半ばのふたりを捕らえて離さなかった。その日以来、僕の邦画No.1になっているのだ。(ちなみに、その直後に当時の彼女(今の奥さん)とも観に行ったので、三度観したことになる。さすがにそのときは「カリブ~」は観ませんでしたが...)

 

 映画「さびしんぼう」を語るとき、ショパンの「別れの曲」を抜きにすることはできない。原作にはなかったこの音楽が存在しなければここまで魅力的な映画になっていなかったと断言できる。かつて僕も経験した高校生という多感な時期に常に心のどこかにある寂しさの心情・胸の痛みが、そのありえない物語の中にあふれんばかりに盛り込まれている。そこに、ヒロイン役の富田靖子の横顔と彼女の弾くピアノの余韻が絡み合い、もうパブロフの犬のように「別れの曲」を聴くだけで胸が詰まってしまう。それは今でも変わらない。

 「別れの曲」は正式には「12の練習曲(OP.10)第3番ホ長調」で、1934年にフレデリック・ショパンの若き日の愛と苦悩を描いたドイツ映画「別れの曲」に主題として使われたことからそのタイトルがついた、と言われている。僕はその映画を観たことはないが、恐らく「さびしんぼう」は映画少年だった大林監督が観たその映画が下地になっているのだろうと思う。映画の最後に主人公・ヒロキの声で入る次のナレーションが全てを物語っているのではないだろうか。

 「親愛なるフレデリック・ショパンさんよ。あなたが、あの傷ましくも輝かしい19世紀の青春に、命をかけて燃やした情熱の炎は、その肉体がほろんでしまった遠い今となっても、なおさら僕らの感情を激しくゆさぶらないではいない。思えばこれこそが、あなたが永遠に願った真実の恋の勝利というものではなかっただろうか・・・・・・」

 

 NHKの「てっぱん」に話を戻そう。隠しても無駄である。この番組の製作者は僕と同類の「さびしんぼう」フリークである、と言い切ろう。この「てっぱん」は、「さびしんぼう」からつながっているのだ。

 まず、「さびしんぼう」で主役をつとめた尾美としのりが、「てっぱん」でお寺の住職として脇を固めている。「さびしんぼう」フリークはここでにんまりするのだ。「さびしんぼう」の尾美役の高校生ヒロキの家は、この「てっぱん」の住職のお寺と同じお寺なのだ。「さびしんぼう」では最後のシーンでヒロキがそのお寺の住職となった将来の姿が映し出される。同じお寺の住職として、同じ鐘の横を掃除する「てっぱん」での住職の姿があるのだ。

 他にもたくさんの符合がある。例えば主人公のセーラー服。これは「さびしんぼう」のものとほぼ同じ。(白線が3本から2本になっているだけだ。)フェリーへのこだわり、主人公の音楽へのかかわり、弦楽合奏(BGM)の効果的な使い方、等々。あとは住職の妻として富田靖子が出てくるだけである。(って、そんなことあるわけないやろ!)

 話は尾道から大阪に舞台を変えたようだが、またちょくちょく尾道に話は戻るのだろう。久々に連続ドラマに出演した安田成美や富司純子がいい味を出していて、主役の瀧本美織の元気さと合わせればその高視聴率も納得だ。しかしやはり「さびしんぼう」フリークとしては、これからもどのような「しかけ」が出てくるのか、それを見破ることを楽しみに、休日に録りためた録画を見ることになるんだろうなあ...嗚呼!

 

<追記>

 ショパンの「別れの曲」は、僕の愛聴盤、ポリーニの完璧な演奏でぜひどうそ!

 

 

<関連アルバム>

 

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