その音楽から様々な感慨を受け取って、たった一枚でファンになってしまった僕だが、そこからさかのぼり、2004年のアルバム 『Riot on An Empty Street』 、2001年のアルバム 『Quiet is the New Loud』 も入手し、繰り返し聴いた。そして、その内容は決して期待を裏切らなかった。
二曲目は同じく『Chet Baker Sings』にもあった曲、「I’ve never been in love before」で、実は僕自身、チェットが歌う中で最も好きなナンバーだ。この切なく響くロマンティックなラブソングには、確かに村上春樹の言うところの「青春」をストレートに感じさせるものがある。
その2曲に比べ、この映画のタイトルにもなっている「Born to be blue」は、チェット・ベイカーの演奏や歌では、あまり馴染みが無い。アルバムとしては1964年にリリースされた『Baby breeze』に入ってはいるが、目立たない。僕も映画を観るまで、チェットの演奏は知らなかった。歌手のメル・トーメがロバート・ウェルズと共作したこの曲で頭に浮かぶのは、圧倒的にヘレン・メリルの歌にクリフォード・ブラウンのトランペットが重なる名演である。(アルバム『Helen Merrill (with Clifford Brown)』に収録)
実は、最初に紹介したジャズ・ブックの姉妹本とも言える村上春樹と和田誠の共著に、「村上ソングズ」というソング・ブックがある。ジャズ、スタンダード、ロックの名曲を29曲選び、その訳詞とエッセイにイラストと名演のCDジャケットを添えた本で、その中の一曲に、偶然にも「Born to be blue(ブルーに生まれついて)」が選ばれているのだ。
そういえば、チェットは晩年、ライブで「Almost Blue」という曲を定番のように歌っていた。先に紹介したドキュメンタリー映画「レッツ・ゲット・ロスト」のサントラ盤では、アルバムの最後を飾っている曲だが、これは1982年にエルヴィス・コストロがチェットの歌う「The thrill is gone」に触発されて書いたという。その歌詞は、まさにBlue。チェット・ベイカーのイメージを歌ったような内容だ。この曲をチェットも気に入り、ジャンルは違うが、ライブや録音でもエルヴィス・コストロとは交流があったようだ。
その中に名曲「One more time, One more chance」は入っている。既にシングルカットされていた時期だったが、しっかり聴いたのはこの時が初めてだった。他の曲と毛色の違うこのラブ・ソングは、ギターの前奏で静かに始まり、その感情を込めた抑揚は聴き手の期待感にもしっかり応えてくれる。今でも、僕の大好きな曲で、時折ギターで少しなぞったりする。
この曲が「月とキャベツ」という、山崎まさよしが主演した映画の主題歌だったことを知ったのは、それから数年後のこと。たまたまお正月用にとまとめて買った中古DVDの中に含まれていた。歌を歌えなくなったミュージシャンと、突然現れた高校生の女の子のひと夏の奇妙な同居生活を描いたちょっと不思議なピュア・ラブ・ストーリーで、「One more time, One more chance」は、その少女との関わりの中で少しずつ立ち直り、再び曲作りに目覚め作り上げていく、まさにその曲だったのである。映画としてはストーリーに多少ひねりが少ないかな、と最初は思ったものの、僕はその映像を結構感動しながら追っていた。なんだか暖かい思いが長く残る映画で、地味ではあるが、大好きな映画になった。
そういう経緯に反して、映画の中での山崎まさよしは実にのびのびとしていて、自然で、輝いて見える。その演技も素晴らしいが、曲作りや演奏のシーンを見れば、奇跡のようなキャストだったと思えてくる。何よりも、このストーリーにぴたりとはまった、「One more time, One more chance」が秀逸で、この曲無しのこの作品は考えられない。
さて、その後、この映画が流行ったという話は聞かなかったが、主題歌である「One more time, One more chance」は徐々に売れ始め、アルバム 『Home』 も話題になって、山崎まさよしは一躍、時代の寵児となった。印象に残っているのはそれからしばらくして、NHKのドキュメンタリーで何回かあった企画。アメリカの本場のブルースミュージシャンと一緒にブルースセッションをしたり、ナッシュビルの路上で一人弾き語りをする姿は印象的だった。とにかく演奏も音もカッコよかった。別にブルースを弾きたいわけじゃなかったけど、そのあたりから、常にリビングルームにギタースタンドを置いて、ギターをいつでも手に取れるようにしていた。件のギターは学生時代に友人から購入したGuild のD-40で、今や立派にオールドである。
先日息子が、立てかけたギターを軽く手に取って弾いているのを、何気なく聞いていた。ポロポロと弾きだしたのが「One more time, One more chance」の前奏だった。20年の時を経ても、それほど懐かしさは感じない。でも、なんだかとても不思議な、ふわふわした気分になっていた。
<追記>
そういえば、後年、パシフィコ横浜の国際展示場に仕事で用があって出かけたとき、初めて桜木町の駅に降り立ちました。ホームで、あーここが「One more time, One more chance」に出てくる桜木町か、と感慨ひとしお。でも国際展示場に向かう道すがら、大阪で桜木町なんて言われてもわからへんなー、やっぱり大阪やったら・・・・・・中崎町やね、まあ、弁天町でもええけど、などと考えてにんまり。