Jerrio’s Cafe ~ 気がつけば音楽が流れていた

 店主 Jerrio の四方山話と愛聴盤紹介。ジャンルの壁を越え、心に残った音楽について語ります。

キース・ジャレット 悟りの一枚

 

 今日紹介のアルバムはキース・ジャレットの 『The Melody At Night, With You』 。このアルバムにどれだけ救われたかわからない。そんな一枚だ。

 

 ミレニアムの年、5月8日に親父を亡くした。67歳だった。

 5月7日は日曜日だったが、翌日から連休明けの仕事が始まるということで10時過ぎには就寝準備に入っていた。まだ10歳になったばかりの子供たちも、久々の学校だったので、少し早めの「おやすみ~」を言いに来た。

 寝室に入ろうとしていた矢先に電話が鳴った。こんな時間に鳴る電話は不吉な予感を連れてくる。僕は少し躊躇しながら電話を取った。地元で僕の友人と結婚している妹の声だった。”お袋から電話があって駆けつけた。よくわからないが親父の意識がなく救急車で病院に運ばれた”、という内容だった。何かわかったらまた連絡する、ということで電話は切れた。特に命に関わるような病気があるわけでもなく、血圧や循環器系に問題があるわけでもない親父に、何が起こったというのだろう...

 僕は激しく動揺した。その1週間前、連休の頭に叔母が亡くなり、急遽ひとりで帰郷していた。こちらに戻る時、駅の改札口で、いつも最後まで見送ってくれる両親に、「今生の別れじゃないんだから見送らなくていいよ。すっと帰ってよ」と言って改札を抜けた。改札の奥の階段を上り、でも何か予感があったのか、少し振り返った。いつもならこちらを向いている親父の、少し丸い背中が見えた。

 この時間からは公共の交通手段は使えない。いざというときは車で帰るしかない。2時間後、義弟に当たる僕の友人から電話があった。いつも冷静な彼らしからぬその一声から、親父が亡くなったんだ、と悟った。直ぐに子供を起こし、喪服の用意をし、帰る準備に入った。何がなんだか分からない。でも受けとめなくてはならない。不思議に涙は出なかった。とにかく無事に実家に帰りつくことだけを考え、1時間後には家族を乗せて大阪を後にした。

 親父は、脳大動脈瘤破裂、いわゆるクモ膜下出血というやつだった。医者からは、交通事故のようなものです、と言われたという。直前まで何の問題もなく元気に普通に生活していた人間が、ある瞬間に突然命を奪われるのだ...

 高速道路を全速で抜け、福山から尾道を経由して開通したばかりの西瀬戸自動車道しまなみ海道)に入ったところで、夜が明け始めた。一度も休憩していなかったので、尾道を抜けたところの大浜パーキングエリアで車を止めた。次に止めるのは実家に着くときだ。車にエンジンをかけながら空を見上げると、雲ひとつない澄み切った快晴の夜明け。朝日が一筋、山間からのぞき始め、それを見ながら「これから大変な一週間が始まるんだ」と覚悟を決めたことを覚えている。

 それは公私共に転機となる年だったし、それまでの人生観が大きく変わり始める年でもあった。このときから、気持ちの芯の部分で「立ち直れた」と感じるまで2年はかかったと思う。その間、ずっとヘビーローテーションで僕の気持ちに付き合ってくれたのがこの一枚だ。

 購入したのは、この年の初めだったと思う。キースは慢性疲労症候群という病気のため、長らく活動を休止していた。本作は久々の復帰作、パーソナルな空間、自宅スタジオで録音したリハビリ作とも言えるアルバムで、彼にとっては異例のソロ・ピアノによるスタンダード集だ。

 ジャズの命であるアドリブの展開を極力押さえ、一音一音に思いをこめた渾身の楽曲からは美しいメロディーだけが浮き立ってくるのだが、きらびやかさや甘さはぎりぎりまで排除され、ひたすら誠実に、自らの精神の語りかけに忠実に従うキースの姿が見え隠れする。悟りさえも感じさせる音楽を聴くと、仕事面では大きな転換期を迎え、ともすれば折れそうになる気持ちも、プライベートでは親父の突然の死に直面し、大きな喪失感を抱えた不安定な気持ちも、すーっと静まって、ひたすら敬虔な心持ちへと昇華されていくのだ。

 あれから10年。今年のゴールデンウイークに、地元のキリスト教会で10周年の記念式を行った。子供たちも成人の日を迎える。時代は流れても、この音楽はあの時と同じように、ひたすら静かに、やさしく、僕に語りかける。

 

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