先日、義父の七回忌に出席するため、久々に新幹線を使って福岡に帰った。九州新幹線が開通して以降初めての帰省だったが、結局今回も博多駅で降りて在来線を使ったので、直接その恩恵を受けたわけではない。博多から快速で数十分のところにある実家近くにも九州新幹線の駅はできているが、帰り着くにはやはり在来線での乗り継ぎが必要となるため、結構面倒くさいのだ。
とはいえ、車で帰ると700キロ近くあるので一日がかりになるし、飛行機だとあっという間だけど、大阪空港までの行程と福岡空港からの煩雑さを考え合わせるとやはり新幹線を選んでしまう。日本のようにコンパクトな国だと、高速鉄道のメリットは大きいということだろう。
ところで、その変わりように驚いたのは博多駅の新幹線改札内である。学生の頃から数え切れないくらい利用してきたものの、改札内の様子はこれまでずっと代わり映えしなかったが、今回はさすがに見違えるようにきれいになっている。九州新幹線効果ってやつかな。しかし、一歩在来線のホームに降り立つと、そこにはかつてとあまり変わらない空気が流れていた。「ここは変わらないね。」などと言いながら快速の到着を待っていると、ふんわり風に乗って、どこからともなく懐かしい香りが・・・。「なに?このにおい。むっちゃ臭いよね。でも懐かしい。」
頭に浮かぶのは長浜ラーメン(=博多ラーメン)である。そうそう、今でこそ博多のとんこつラーメンなんて珍しくもなんとも無いし、大阪でもそれらしいラーメンはすぐに食べられる。でもそういうラーメンでここまで臭いと思ったことは無い。そうだったのか。博多ラーメンは全国区になるために、この強烈な匂いをカモフラージュしてきたんだな、なんてことを今更ながらに思い、感心してしまった。そういえば、今や全国区になっている博多由来の人気ラーメン店の名前は、僕が学生時代には聞いたことがなかった。恐らくそれ以降にできた店なのだろう。
学生時代、アパートから大学までの道沿いにもラーメン屋があった。入学当初はこの店の前を通るたびに、きっと何か変なものを煮込んでいるに違いないと思っていた。そう感じるほどの刺激臭で、息を止めて早足で通り過ぎたものだが、それこそが典型的な博多ラーメンの匂いだった。
でもそれもすぐに慣れてくる。オケの練習帰りにみんなで飲みに行くと、締めでよく「んめーら」というラーメン屋に行った。店のご主人が地元のおばちゃんと話している強烈な博多弁を、最初はまったく理解できず、とんでもなく遠くに来てしまったんだな、と実感した記憶がある。焼酎をたらふく飲んだ後のとんこつラーメンは、嗅覚が麻痺しかけていたのかすぐに慣れてきて、徐々に福岡での生活とは切り離せないものになっていった。3回生のときにできた「とん吉」にもよく行ったが、どちらもしらふでは一度も入ったことがない店だった。
天神に出たときによく行ったのは、名前がどうしても出てこないが(漢字3文字で、最初が「呉」だったような気がするんだけど思い出せない)大丸のある交差点の角に出る屋台で、ここでしか味わえない味噌をベースにしたとんこつラーメンは最高にうまかった。ラーメンを頼むと必ず「にんにくは入れますか?」と尋ねられる。入れると答えると、フレッシュなにんにくをひとかけらつぶして入れてくれる。これがまた味噌ベースのとんこつラーメンに合うのだ。僕はそこの暖簾をくぐったとたんに周りの迷惑など顧みない人間に豹変し、にんにくは必ず大量に入れてもらうのだった。
しかしやはり博多のラーメンで一番に思い出すのは、博多漁港近くの「元祖長浜屋ラーメン」だ。恐らく博多ラーメンの発祥の店なのだろう。僕が住んでいた場所からは10キロほど離れていたが、24時間営業だったため大学の寮に遊びに行ったときなど、夜中におなかすいたなー、なんてことになると誰かの車に乗って、天神をさらに越えたところにあるこの店までよく行ったものだ。
この店は、真夜中でも明け方でも、タクシーやトラックの運ちゃん達で混雑していた。それを素早く裁くために、テーブルにはラーメン鉢が常に大量に並べられていて、その前に突っ立ったタオル鉢巻姿で白いゴム長靴を履いたおっちゃんが店に人が入るなり、人数分のスープを入れ、ゆがいた麺を受け取りいれていく。席に座るだけであっという間にできあがったラーメンに僕たちは大量の紅しょうがを乗せて食する。まだ物足りなければ「替え玉」や「替え肉」を、ぱいたん(白湯)が真っ赤に染まったスープの中に、ぽちょんと入れてもらい、再度ずるずるやる。・・・今もあるのだろうか。あるとしても当時のスタイルのままではないのだろう。
真夜中の長浜ラーメン帰りに、車でよく訪れたのが福岡空港だった。と言っても、もう飛行機の飛んでない時間帯で、僕たちのお目当ては滑走路横にぽつんとあったゲームセンターだった。インベーダーゲームやギャラクシーが流行った直後であり、24時間営業のゲームセンターがそんなところにもあったのだ。今のように深夜に遊ぶところなんて無い時代だから、よく真夜中の暇つぶしに立ち寄った。
福岡空港は、福岡市内や博多駅に近接していて、今や地下鉄もできてむちゃくちゃ便利な空港だけど、当時はそんなことでしか訪れない場所だった。四国から福岡へは、高速艇で渡って新幹線に乗るパターンだったので飛行機には縁が無かったし、今では笑ってしまいそうだけど、何より飛行機に乗るのが怖かったのだ。あんな鉄の塊が空を飛ぶこと自体理解できなかったし、狭い空間に閉じ込められて後悔しながら墜落していく妄想がいつも頭をよぎり、乗らないに越したことはない、くわばらくわばら、などと思う小心者だった。
そんな僕だったが、実は空港は好きな場所だった。先にゲームセンターに入っていく友人たちを尻目に、僕はよくひとりで空港の滑走路に点々と並ぶランプや点滅する明かりをじっと眺めていた。そこにはなんともいえないドラマが隠されているようで、美しいと感じる見た目以上に、感慨を持って眺めていた気がする。飛行機は新婚旅行で初めて乗って以降、一度禁を犯せばなしくずしで、仕事も含めこれまでたくさん利用してきた。しかし今でも空港に感じる気分を、当時の未熟な僕も感じていたことを今さらながらに驚く。シンデレラエクスプレスが流行ったとはいえ、新幹線では到底追いつけないドラマ性を空港に感じるのは、その光と影の仕組まざる演出のせいかもしれない。
ということで今日の音楽。当時、そんな夜の空港の姿を眺めながら、しばしば僕の頭の中で鳴っていたのが、尾崎亜美の「さよならを言うために」だ。今聴けば、大学生が好んで思い描くにはちょっと大人すぎるような曲だが、僕は尾崎亜美の数ある作品の中で、今でもこの曲が一番好きかも知れない。この曲は彼女の2枚目のアルバム 『MIND DROPS』 のラストソングである。
尾崎亜美を初めて聴いたのは、高校時代の放送部の部屋に誰かが持ってきていたデビュー曲「瞑想」のEP盤でだった。その曲自体はあまり売れなかったと思うが、その音楽の持つ軽快さと新しさには目を見張ったものだ。
そして、デビュー翌年には、「マイ・ピュア・レディー」が資生堂のCMに使われ大ヒットし、尾崎亜美はあっという間に誰もが知るヒットメーカーになった。「さよならを言うために」の入ったアルバム 『MIND DROPS』 は、それとほぼ同時期に発売されたが、「マイ・ピュア・レディー」は入っていない。(この曲はオリジナルアルバムには収録されませんでしたが、CD盤の「MIND DROPS」にボーナスで入っているバージョンもあります。)
ちょうど松任谷正隆がユーミンと結婚した頃、尾崎亜美のデビューアルバムをプロデュースしていたこともあって、彼女はポストユーミンの最右翼とも言われたが、僕は当時ユーミンに感じていた「永遠の素人っぽさ」とは真逆の、「生まれながらのプロフェッショナル」の匂いを尾崎亜美には感じていた。当時のその感覚の通り、その後の尾崎亜美は、自らはあまり目立つことなく、たくさんの楽曲をアーティストに提供してヒット曲を連発し、さらに自らもカバーするという理想的なスタイルを貫いてきた。
「さよならを言うために」はデビュー翌年の、そうしたスタイルに入る前の音楽だが、今改めて聴けば、そのプロフェッショナルとしての天才性を十分に感じ取ることができる曲だ。くっきりと情景が浮かぶ歌詞。ありそうでなかなか無いドラマティックな楽曲展開。その声や編曲も含め、当時のニュー・ミュージックの枠を飛び越えた成熟した世界を演出している。
僕の福岡時代の感覚は、長浜ラーメンや屋台のような猥雑さと、この曲のような都会的なスマートさが渾然と溶け合っている。相反する世界が同居して違和感が無い。思えば、博多ってそんな街だったよね。
<追記>
“瞑想”の入っているデビュー・アルバム「SHADY」もぜひどうぞ。
<関連アルバム>
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