Jerrio’s Cafe ~ 気がつけば音楽が流れていた

 店主 Jerrio の四方山話と愛聴盤紹介。ジャンルの壁を越え、心に残った音楽について語ります。

草食系チェットがボサノバを生んだ?

 「草食男子」なんて言葉を聞くと、ヤギがもぐもぐ草を食んでいる映像が頭に浮かんできて、つい「肉食えよ、肉!」なんて、茶々を入れたくなってしまう。

 中性的とも言われるチェット・ベーカーの声は、今風に言えば草食系だ。決してがんばらない、アンニュイな雰囲気をふんわりとまとった、ささやくような歌声。初めて聴いたときから、その個性に強く惹かれた。成人したてのような初々しさを漂わせるオンリー・ワンの声だ。

 トランペッター、チェット・ベイカーの音楽をはじめて知ったのは、1987年頃だったと思う。当時、梅田を経由して通勤していたので、時間が取れれば梅田エストにあったレコードショップ・ワルツ堂に寄って帰るのが定番のコースになっていた。ちょうど、LPレコードからCDへの移行が始まったばかりで、ジャズのリマスターされた輸入CDが1,500円前後で出始めていた。僕は、ジャズを知るにはまず聴くしかない!と、20年以上前にリリースされた、モダンジャズが最も魅力的だった頃のリマスターCDを、せっせと購入して聴いた。チェット・ベーカーのアルバムも 『Chet』 を初め数枚購入したが、スタンダード曲をリリカルでありながら意外と骨太に吹くチェットのトランペットは、マイルス・デイビスのようなひねった感じはあまり無く、ストレートでスマートで、僕はいたく気に入った。

 その後購入したアルバム 『It Chould Happen To You』 で、初めて「歌うチェット」に出会うことになる。インパクトありました!男性ボーカル?と一瞬疑ってしまうような優しい声。大げさな表現を一切しない歌い回し。トランペットを吹きながら歌う、というスタイルも新鮮だった。しかし、その直後に思いがけず入ってきたのが、チェットの訃報だった。享年58。オランダのホテルでの転落死だった。その頃、あのジェームス・ディーンに少し似た色男はどこに行ったのか、というくらい、年齢よりもずっと老け込んだチェットが、ボロボロになりながらも精力的に活動していたことは知っていたので驚いたものだ。

 翌年、当時読んでいた今は無き「スイング・ジャーナル」に、「オリジナル・モノラルテープ発見。最良の音質でよみがえる」とにぎやかに紹介されて、早速購入したのがこのアルバム、『Chet Baker Sings』 だ。

 1956年に発売されたこのアルバムには、全盛期の歌うチェットの魅力が全て詰まっている。西海岸の香りを感じさせる軽快なリズムセクションは、盟友ラス・フリーマンのピアノが効いていて、ピリッと締まった中にも明るく自由な雰囲気が漂う。そこには、東海岸でのどこか窮屈な演奏とは違って、勝手知ったるホームグラウンドで古いラブソングを伸び伸び歌い、吹くチェットの姿がある。

 ここに収められた14曲は、そのバリエーションや並びから、まるで組曲のような印象を受ける。軽快なトランペットのオープニング「That Old Feeling」で始まり、スインギーな「Look For The Silver Lining」で終わるのだが、その間の曲のバリエーションがいい。

 エレクトリック・ピアノならぬチェレスタを効果的に用い、チェットが切々と歌う4曲目の「My Ideal」、ロマンティックなメロディーとチェットの声が混然となって胸に迫ってくる5曲目の「I’ve Never Been In Love Before」、ガーシュインの名バラードをスインギーに歌いこなす7曲目「But Not For Me」、と名演が続く。

 後半の圧巻はなんと言っても10曲目の「My Funny Valentine」だ。チェットのささやくような声は、この曲の叙情性を際立たせる。そして、13曲目「I Fall In Love Too Easily」での声とトランペットは、チェットの持つ魅力をフルに発揮したロマンティックなナンバーに仕上がっている。

 

 ところで、チェット・ベーカーのささやくような歌声がなければ、「ボサノバ」という音楽は生まれていなかった、という衝撃の事実(?)をご存知だろうか。ボサノバは、ジョアン・ジルベルトが、独自に生み出したギター奏法で作った音楽をアントニオ・カルロス・ジョビンの元に持ち込み、そのささやくような歌唱とギター奏法の斬新さを見て取ったジョビンが、楽曲「想いあふれて(Chega de Saudade)」をジョアンに提供し、リリースしたことに端を発している。

 ジョアン・ジルベルトはその数年前、音楽の世界に身をおきながらも、仕事も無くマリファナ中毒にもなり、どん底の生活を送っていた。そんな中、友人の勧めで一旦都会を離れることを決意。リオを遠く離れた姉の家に居候しながら、1年間ほど創作活動に専念する。そのスタイルは風変わりなもので、一日中、残響のあるバスルームに閉じこもって、歌唱法とギター奏法の実験に明け暮れるものだったという。その時の歌唱法こそが彼のアイドルだったチェットベーカーのささやくような歌唱法であり、その歌に合う独自のギター奏法を編み出し、それが「ボサノバ」の誕生へとつながっていった、ということなのだ。

 ジョアン・ジルベルトは、後に結婚するアストラッド・ジルベルト(「イパネマの娘」のボーカルで有名です)に、「君とチェット・ベイカーと僕の3人で、「ゼア・ウィル・ネバー・ビー・アナザー・ユー」を永遠に歌い続ける想像上のヴォーカル・トリオを結成しよう」と言って口説きおとしたという。この曲も今日紹介のアルバムに入っている。

 もしもチェット・ベイカーがトランペット・オンリーで歌っていなかったら。あるいは、熱唱型の歌い方をしていたら....うーん、歴史に「もしも」は無いって言うけど、間違いなくボサノバは生まれていなかっただろうなぁ。ボサノバが生まれていなければ、今の音楽世界は相当変わっていたんじゃないかな。少なくとも僕の愛聴盤はかなり減っているはずだ。

 そんなことを思いながらチェット・ベイカーのささやくような歌声を聴いていると、いつものチェットの声も少し重々しく感じてくる。そして、ますますかけがえの無い声に思えてくるのだ。

 あれ? チェット・ベイカーってボサノバの曲、演奏してたんだっけ...

 

 

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