ジョン・コルトレーンのアルバム 『バラード』 を聴く時はいつも、陽の降り注ぐ大窓のある明るめのジャズ喫茶で、冷めかけたコーヒーを前に片肘をつき耳を傾けている気分になる。そこには幾分抑え気味の話し声が響き、時折コーヒーカップとソーサーの発する陶器然とした音、あるいはティースプーンとカップの発する金属音が、不規則なパーカッションのようにまばらに降ってくる。人の出入りによって、小さなカウベルが軽やかな音を立てる。多少音楽を阻害しているようだが決して嫌な音ではない。それらのささやかな効果音たちが、そのシチュエーションには欠かせない。
とはいえ僕は、「ジャズ喫茶」という言葉に、いつも少し身構えてしまう。まだ10代の頃、たまたま訪れた京都のあるジャズ喫茶で目にした光景を、トラウマのように思い出すからだ。窓も無い、暗く照明を落とした空間に、実音よりはるかに大きな音量で流れる4ビート。そこここにうずくまり体を揺らす人たち。それはまるで、アングラの舞踏劇を見ているような、奇妙で空恐ろしい魑魅魍魎の世界のように感じたのだ。
しかし、このアルバムから連想するジャズ喫茶は明るく穏やかだ。どうも僕は、実家から車を10分程走らせた所にかつてあった一軒の店を雛形にしているようだ。学生時代から80年代が終わるあたりまで、帰省のたびに必ず一度は訪れた店だった。国道のバイパスに面したビルの一階、天井の高い広々とした空間の隅には、ウッドベースやグランドピアノが置かれていた。ただ、そこで実際に演奏が行われているのを見た記憶は無い。
僕の場合はこうなのだが、どうも一般的には、バーのカウンターか何かでウイスキーを飲んでいるところを連想するようである。理由は恐らく、あれだろう。もう20年以上も前になるが、このアルバムの一曲目「Say It」がサントリーのCMに使われ注目を浴びた。単純な話だが、要するにCMは大成功だったということである。
☆ Link:サントリーリザーブ 地球氷編 1987
そのCMが流れ始める少し前、社会人になってジャズの世界を覗き始めた頃、ガイド本に沿って数枚購入したコルトレーンの「代表作」と呼ばれるレコード盤を前に、僕は立ち往生していた。前にも後ろにも進めない状態だ。その難解な音楽は、その頃の僕の理解の外であり、「おまえにジャズを聴く資格なんて無い」と宣言されているような気分だった。
そんな中で見つけたのが、このアルバムだった。ちょうどCDが出始めた時代。「Ballads」というタイトルと、まるでレンブラントの肖像画のように光と影に彩られた小さなジャケットのコルトレーンが、僕に手招きをしている。新しい形態の音源であることもあり、「このCDはJAZZの門前で立ち尽くす僕を救ってくれるかもしれない」という思いで購入した。そして僕はたった一晩で、スタンダード曲を訥々と吹くコルトレーンが好きになった。
決して感情に流されないコルトレーンのバラード演奏は、その分誠実さに満ちている。どこか淡々としていながら、凡庸ではない。やはりコルトレーンなのだ。そして、その演奏には、マッコイ・タイナーのピアノが欠かせない。コルトレーンとピッタリ寄り添い、必要以上に飾り立てないテナーの音を、あでやかに縁取る。彼ならではの粒立ちのいいタッチで、決してでしゃばることなく精一杯華やかに彩っていく。エルビン・ジョーンズのブラシ・ワークも冴え、ジミー・ギャリソンのベースといい具合に絡む。
1曲目、「Say It」の雰囲気は、全編を通じて貫かれている。3曲目、「Too Young to Go Steady」、5曲目「I Wish I Knew」 、7曲目「 It’s Easy to Remember」 などは、やっぱり休日の午後、コーヒーを飲みながら聴く雰囲気なんだけどなー。
ただ、2曲目に入っている名曲 「You Don’t Know What Love Is」 は、少し毛色が違う。確かに多少アルコールの香りがするかも知れない。この曲の名演はたくさんあるが、この演奏もまた、間違いなくその上位に位置するだろう。ゆったりと自由に吹く前半と、インテンポで少し激しさの片鱗を見せる後半の対比。この曲がアクセントとなって、ちょっと穏やかになりすぎているこのアルバムを、きゅっと締めている。
いずれにしても、これほどくつろげるアルバムも珍しい。そして、僕がそうであったように、ジャズ初心者、コルトレーン初心者には、もってこいのアルバムだ。
コルトレーンはお好きですか?この質問に、あの頃の僕は間違いなく答えただろう。バラードを吹くコルトレーンが好きです、とね。
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