もうずいぶん前に読んだ「思いがけない涙」という短いエッセイが何故か心に残っている。既に亡くなられたと思うが、当時俳優でエッセイストとしても活躍していた三國一朗さんが書かれたものだった。三國さんはその中で、日頃いかにも「泣かせます」あるいは「泣いてください」というような状況では決して涙することはないのに、思いがけないときに涙を流したエピソードを二つ書いている。
一つは、お通夜をしている見知らぬ家の供花に「孫一同」と書かれているのを通りすがりに見たときの話だ。日頃は俳句をひねったりすることはないのに、何故かそのとき「孫一同」で始まる句が思い浮かんだそうだ。ではそこで涙を流したのかというと、そうではない。それから何年もたって、その時思い浮かんだ句が突然頭に浮かぶようになり、思い浮かぶと同時に堰を切ったように涙が溢れてしまうというエピソードだった。
もう一つは、伊豆大島三原山の大噴火の時の話である。島民の移住やその後の帰島の情景を映し出した映像を見ても泣いたりしたことはないのに、帰島した島民を乗せるために待機していたバスの若い運転手が、まだ空のバスの運転席に慣れた物腰で座った次の瞬間、自分の帽子を正面を向いたままでさっとかぶったその手つきを見て、何故かほとんど号泣してしまったというエピソードだった。
そして最後に、「私の涙は、思いがけないときにだけ、いつもなにか悲愁とは一つずれた局面で私を襲うようである。」と結んでいた。今改めて読むと、恐らくあの頃以上にとても共感してしまうのは、僕にも似たようなことがあるからだろうか。そうそう、いかにも「泣いてください」という時には案外涙は出ないものだし、醒めた視点で第三者的に見ることもできたりする。あるいは「男は泣くものじゃない」などと言われて育った世代だからかもしれない。
でもそれは何も感じていないわけではないのだろう。要するに内部に「蓄積」されてしまうのだ。そしてひょんなことで、その「タガ」が外れてしまうことがある...単に歳のせいなのかもしれないけど...
そういうことを音楽で考えてみると、案外よくあることなのかもしれない。音楽はその時々の心境や境遇を図らずも演出してしまう効果があるため、あるときに聴いた音楽が思いがけず自分の境遇にピッタリきて、身に沁みて涙が出てしまった、なんて話はよく聞く。しかし今日書きたかった僕の体験はそれとは少し違う。そういう符合は全く無いのに、ある音楽を何気なく聴いたときに、思いがけず一瞬にして「人生の真実」を垣間見てしまったというような話だ。(う~ん、大げさかも...)
それは結婚して数年が過ぎた頃のことだった。僕達夫婦には結婚後しばらく子供ができなかった。お互い30歳を目前にして少しあせり始めた頃、ようやく病院で妊娠を告げられ、うちの奥さんのおなかも人より少し速く目立ち始めていた。(なんせ双子だったので...)
その頃僕達は大阪北部のT市にある古くて狭い賃貸マンションに住んでいて、音楽を聴くのもテレビを見るのも眠るのも、同じ部屋だった。恐らく土曜日の夜だったと思うが、そんな感じで少々疲れやすくなっていた彼女が眠っている横で、その日僕は深夜まで日頃買い溜めていたジャズのCDをいろいろ聴いていた。少し小さめの音量で音楽を流しながら、ライトも小さな灯りひとつだけにして、本を読みながら聴いていたのだと思う。
その日、まだ買ったばかりのジャズ・シンガー伊藤君子の1989年のアルバム 『フォロー・ミー』 を流していた。このアルバムは、彼女の3枚目のアルバムにして日米同時発売ということで当時話題になり、アメリカのラジオ&レコード誌のコンテンポラリー・ジャズ部門に、日本人として初めてランクインを果たしていた。プロデュースは天才ドラマーのスティーブ・ガッドと伊藤君子本人。演奏もベースにエディ・ゴメス、エレピにリチャード・ティー、サックスにジョー・ロマーノなど錚々たる顔ぶれで、ニューヨークのクラブで鍛えられた彼女の美しい英語と溢れる情感、そして伸びやかな声が印象的な一枚だった。
タイトル曲の「フォロー・ミー」はロドリーゴのアランフェス協奏曲の第二楽章、他にもジョン・レノンの「ラブ」や、ビリー・ジョエルの「ニューヨークの想い」、ポール・サイモンの「明日に架ける橋」などの有名曲がジャズに仕立て上げられ、なんとも豪華なアルバムに仕上がっている。
そのアルバムの8曲目に、全く聞いたことの無い「He’s Gone」という曲が入っている。当時はまだ僕も煙草を吸っていたころで、その音楽の記憶は煙と共にある。恐らく頭は無の状態で、目は煙草のけむりを追いながら耳だけはその音楽に向かっていたのだろう。ベースとピアノの音で静かに始まる穏やかなバラードを何も考えず聴いていた。いや、聴いている意識さえなかったのかもしれない。
途中、間奏のサックス・ソロに移りストリングスが入ってくる。そして後半のサビの部分へ。ベースのオクターブ音が、その前ぶれのように扉を叩いていた。やがてストリングスの上昇音階が始まる。その一段ずつ昇っていく音階を何音か聴いた次の瞬間、僕の思考は全く別の次元にすっと飛んでいった。
そこで僕は、とても懐かしく甘い記憶にさらされていた気がする。そして同時に、それは永遠に失われてしまったものの記憶であり、二度と元に戻ることはないこともわかっていた。物理的な時間で言えばその上昇音階は数秒間というところだろうか。しかし僕にはそれを超越した感覚が残り、とても重く長いものを経験した気分だった。戻ってきた目には静かに寝息を立てる彼女の背中が映っていて、耳にはその曲の終わりに向かう演奏が響いていた。
そのときに感じた感覚を一言で表すことは難しい。郷愁?少し違うような気もする。これがポルトガル語で言うところのサウダーデの感覚なのかもしれない。とにかく郷愁と合わさったある種の快感がいつまでも残り、それをもう一度味わいたいという思いが、すぐに湧いていた。
その無名の曲をあわてて確認。フリューゲル・ホルン奏者のチャック・マンジョーネの曲であり、スティーブ・ガットがこのアルバムのために推薦した曲のようだった。
☆ Link:He's Gone / 伊藤君子
チャック・マンジョーネといえば、まずはやはり「Feel So Good」だろう。ジャズやフュージョンの世界でフリューゲル・ホルン奏者として活躍しながら、ポップでメロディアスな楽曲を次々に書き上げ、1978年にはこの曲でビルボードのヒットチャートで4位となった。あわせてアルバム 『Feel So Good』 もヒットチャート2位を記録していて、僕の愛聴盤でもある。
なるほど、「He’s Gone」は、この稀代のメロディー・メーカーの曲なのかと思ってその後調べてみるも見つからない。インターネット時代に入った後も調べてみたが、チャック・マンジョーネ自身のアルバムの中では見つからず、もうずいぶん長い間、忘れたままになっていた。
先日、アメリカ在住の学生時代の友人S君が帰国して大阪に来るというので、当時の仲間を集めて飲みに行ったとき、トランペット吹きでもあるS君がチャック・マンジョーネのファンだという話を聞いた。え?そうだったの?知らなかった、などと言いながら、本当に久々にここまでの一連のエピソードを思い出していた。その後改めて調べてみてわかったのは...
この曲は、伊藤君子が歌って「He’s Gone」となっているが、原曲のタイトルは「She’s Gone」らしい。しかも、かなり初期(1970年)のライブアルバム 『A Friends and Love ... Chuck Mangione Concert』 に入っていて、CD化はされていないことを知った。このコンサートはオーケストラの指揮がチャック・マンジョーネ、歌をドン・ポッター、ギターを「She’s Gone」の作詞者バット・マクグラスが担当している。DVDでは発売されたことがあるようで、Youtubeで演奏を見てみたが、これがすごくいい。そして例の上昇音階もあり、伊藤君子の盤は案外原曲に忠実にアレンジされていたことを知った。
☆ Link:She's Gone / Chuck Mangione with Don Potter
20年以上前に、この体験をして以来、僕はその「思いがけない瞬間」を味わいたくて、何度も伊藤君子のアルバムを聴いてみた。確かに件の曲は僕の好みの要素をたくさん備えている。しかしあの時と同じ感覚に襲われることは無かった。その時点から今まで、たくさんのCDを買い、たくさんの音楽を聴いてきたが、あるいは僕はその瞬間をもう一度味わいたくて、そういうことを続けているのかもしれない、と思うこともある。
ところで最近になって、あれはいわゆる「パノラマ視現象」というものだったのでは、などと思ったりする。人が死ぬ直前に見るという、過去の記憶の走馬灯だ。そうだとすれば、僕は子供の顔を見ることもなかったことになるが、そんなことにならなくてよかった、なんて話しだけど...やはりもう一度あのときの心持を体験してみたい。結局、僕はこれからもずっと、様々な音楽の中にそのトリガーを捜し続けることになるんだろうな。
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