Jerrio’s Cafe ~ 気がつけば音楽が流れていた

 店主 Jerrio の四方山話と愛聴盤紹介。ジャンルの壁を越え、心に残った音楽について語ります。

大地に海に響く歌声

 このコンサートには絶対行かなきゃ。なにがなんでも行かなきゃ。そう思っていた。開催はラッキーなことに金曜日。緊急を要する案件さえなければ、何とかなるだろう。そう踏んで、今月に入って周りにはジャブ打ちを始めた。「17日は夕方消えるのでよろしく。」

 そして昨日、2月17日、夜7時。僕は大阪心斎橋、アメリカ村のライブスペース、“BIG CAT”の客席に座っていた。僕の手持ちのCDでしっかり予習をしていた俄かファンのうちの奥さんも隣にいる。開演時間を10分ほど過ぎて、ようやく照明が落ち始めた。

 畠山美由紀の音楽に初めて触れたのは、10年くらい前だろうか。Soul Bossa Trioをはじめ、様々なユニットで活動していた彼女が、ソロとして出した最初のアルバムにたまたま出会い購入した時からだ。それは静かな始まりだった。

 それ以降、特に意識したわけでもないのだが、新しいアルバムが出るたびに入手して聴いてきた。そして何故か、全く別の流れで新しく聴き始めた音楽の中でも、彼女がゲストボーカルで参加しているものに多数行き当たる。少しずつ僕自身の音楽の方向が収斂されていくように感じるその束の中に、彼女の声は常に存在していた。

 「シンガーソングライター・畠山美由紀」と言われても、どうもピンと来ない。もちろん彼女の作る音楽は詞も曲も素晴らしいし、彼女の雰囲気にフィットしている。しかし畠山美由紀を思うとき、僕は「歌い手」という言葉を思い浮かべてしまう。それは彼女が自分の作る音楽と同様に、いわゆる「スタンダード」になっている様々な楽曲に、常に愛情と執着を持って取り組み、自分の音楽として聴衆にその思いを伝えようとしていること。そして、今もソロ活動だけではなく、様々なユニットで、あるいは他のアーティストの作品の中で、パフォーマーとしての役割を十二分に果たしていることも影響しているのだろう。どんな曲も彼女の手にかかれば「畠山美由紀の音楽」になってしまう。彼女は歌が好きなんだな、そう納得してしまう。

 その声は、包容力があって温かく、僕がアルバムを買い続けるミュージシャンの中では、めずらしく極めてノーマルだ。音域的には中域から低域にかけて安定感があり魅力的、ちょっとカレン・カーペンターを彷彿とさせるところもある。その中に彼女独特の節回し、抑揚があり、英語の歌を好んで歌う彼女だが、何故かその印象は「少し昭和的」...なんて思ってしまうのは僕だけだろうか。

 そして、いつも感じていたのは、「この人は、恐らくライブの人なんだろうな」ということだった。CDは素晴らしいのだが、ライブではその魅力が出てこない人もいる。反対に、CDで聴く以上に、ライブで聴いたとき、直に伝わる表現力に圧倒されてしまう人もいる。彼女の音楽を生で聴いてみたい、それはずっと思い続けてきたことだった。

 

 昨年末、最新アルバム 『わが美しき故郷よ』 を購入した。それまでのアルバムと少し雰囲気が違うこのアルバムを聴き、その中に入っていたコンサートツアーの案内を見て、冒頭の思いとなる。ツアーメンバーは、ピアノにあの中島ノブユキ!ギターが小池龍平、ドラムスが栗原務。一度生で聴いてみたいと思っていた人達ばかりだ。しかしそれは副産物に過ぎない。やはり、僕はこのコンサートで、昨年3月11日の大震災で大きな被害を受けた彼女の故郷・宮城県気仙沼をはじめ、被災地各地で歌い続けた彼女の思いや、その影響を感じる音楽を直接体感したかったのだ。

 始まるまでは、このコンサートの色合いを推し量りかねた。アルバムには、タイトルの「わが美しき故郷よ」と題する7分を超える朗読がある。その後、それに続く同タイトルの楽曲。やはりこの二つのインパクトが強く、そこには、震災をきっかけにして引き出された、彼女自身の故郷に対する視点の変化と思いが詰まっている。そういった基調のしんみりとしたコンサート、なんてこともありうる。しかし一方でソロ10周年という節目を迎えた彼女の、音楽に向かう新たな思いを見るアルバムでもあるのだ。そこには自ずと躍動するものがある。

 コンサートはピアノの幻想的な演奏と、ギター、ドラムスの発する効果音ではじまった。中島ノブユキの、かすめるようなタッチで微かな響きだけをすくい上げる演奏は、まだ暗いステージ上、いくつかのライトが導く光の筋の中、あたかも朝もやのかかった森にわずかに差し込む光の情景を表現しているかのように響いた。え?YAMAHAのコンサートグランドでこんな音出せるんだっけ、と思ってしまうような何ともいえない硬質で軽やかな音が発せられ、直線的で澄んだ余韻が広がる。それが導入となり、アルバムと同様、楽曲「その町の名前は」でしっとりと幕を開けた。

 しかしその後のメンバー紹介を経て突き進む世界は、明るくて楽しい雰囲気、アップテンポで軽快。うん、いい感じ。バックメンバーを交えた、曲の合間の会話も楽しいものだったが、その中でひときわ面白かったのは中島氏の語るエピソードだった。生真面目で面白い人なんだな、その飄々とした雰囲気のどこから、あの感覚の研ぎ澄まされたピアノの演奏が湧き上がってくるんだろう、なんて思ってしまった。

 中盤、少し唐突という感じで、畠山美由紀が大きめの冊子を手にしながら震災の話に入っていった。もちろん「わが美しき故郷よ」の朗読のコーナーに入るのだ。そこで話されるエピソードは、地元の友人たちの話や被災地のコンサートの話だったが、必要以上に感傷的にはならず、むしろその現場で彼女の目に映り、彼女が感じた故郷の素晴らしさを明るく伝えてくれた。恐らく彼女の思いはその朗読や音楽の中に全て詰まっている、だから言葉にそれ以上の感傷はいらない、そういうことなんだな、と思った。

 被災地のコンサートでも歌ってきたんだろうな、と思わせる楽曲たち。その中に含まれるいくつかのスタンダードとも言える曲、力強さを感じるアップテンポナンバー。

 彼女の声には、包み込まれるようなおおらかさがある。それは気仙沼の自然の中で培われたものだ。その声は大地の声であり海の声なのだ。その豊潤な表現と声に包まれて、僕たちは音楽の素晴らしさ、楽しさ、力強さを得る。幅広い年代の人達でいっぱいになった会場。その誰もが寒さの増した外の様子を忘れ、やさしくホットになれるコンサートだった。

 ちなみにロビーでは、気仙沼で被災された人達が作ったジャムや、救援のための募金箱に並んで、コンサート会場でしか入手できないライブCDが売っていて、迷わず購入し、終演後サインをいただいた。その声質や映像からは大柄な人を想像していたが、実際の畠山さんは、小柄で素敵な人。わずかに交わした会話と共に握手していただいた手は、とても小さくてあたたかかった。

 明日が岡山。23日が最終日で東京とのこと。彼女の声はまた明日も、時空を越えてその大地に海に響くことだろう。

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<関連アルバム>

わが美しき故郷よ

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