Jerrio’s Cafe ~ 気がつけば音楽が流れていた

 店主 Jerrio の四方山話と愛聴盤紹介。ジャンルの壁を越え、心に残った音楽について語ります。

人生は夢だらけ

 前回に引き続き、またもやCMから。こういう話題が続くと、ひょっとしてテレビばかり見ているの? なんて思われそうだが、日頃は毎週録画している何本かの番組をスキップしながら見る程度で、リアルタイムで見ることはあまりない。さらにはNHKのものが多いのでCMに遭遇する機会も少ないはずだが、そういう中でも時々気になるCMが現れたりするのだからおもしろい。

 そのCMの場合、まずは音楽だった。ほんのわずかな時間流れるミュージカル仕立ての音楽は劇的だ。僕は、一瞬にして人を惹きつける魔法のような音楽に心を奪われていた。画面を見ると、あの「とと姉ちゃん」が宙吊りで歌っている。ピーターパンはとっくに卒業したはずなのに「餅は餅屋」だな。そんなことを思いながら見ていたのだが、ひとつだけ注文をつけるなら、最後のところはそんな優等生的な歌い方じゃなくて、椎名林檎風に少しだけエキセントリックに盛り上げても面白かったのに、なんて思ってしまった。恐らくその音楽から椎名林檎のイメージが浮かび上がってきたからだろう。

 それは、「人生は夢だらけ」という、なかなか奥行きのあるタイトルの「かんぽ生命」のCMだったのだが、それから何度か遭遇するうちに、一体誰の曲だろうと思い始める。そうは思っても、そのうち忘れてしまうのは昔の話。今やネット時代で、ちょちょっとググれば、たちまちわかってしまうのだ。

 はたしてその音楽は、椎名林檎の書き下ろしだった。このCMの製作発表時の高畑充希のインタビュー映像では、椎名林檎から送られてきたデモテープを聞いて、その素晴らしさに「何も私が歌わなくても・・・」と思ったと、控えめに語っていた。

 いつしか、こういうミュージカル仕立ての音楽に「椎名林檎」を感じても違和感が無いくらい、多彩さが表面化していることに今さらながら驚く。様々なメディアに登場しても、今や貫禄さえ漂っていて、時の流れを感じて感慨深い。

 思えば、椎名林檎はデビュー当時から少し特別だった。デビューアルバムの『無罪モラトリアム』が発売されたのは1999年。確か宇多田ヒカルのデビューと重なり、その圧倒的な話題性と爆発的ヒットには及ばなかったが、いわゆるバンドサウンドにこだわっている点では方向性が違っていたし、まったく別種のセンセーショナルな感じを漂わせながら、演出した「あばずれ感」を客観的に見ているような冷めた雰囲気もあって、それがアルバムにも表れていた。僕自身は、その中の一曲、「丸の内サディスティック」のカッコよさに無条件にやられてしまっていて、そのアルバムの表面にうっすら透けて見える熱いものと、その裏側に見え隠れする多面的な才能をしっかりと感じていた。

 デビュー10周年の2009年にリリースされた通算4枚目のオリジナルアルバム『三文ゴシップ』にも、「丸の内サディスティック」の英語版が、EXPOバージョンとして再録されている。びっくりしたのは、ジャケットの裏面には13曲の曲名しか書かれておらず、14曲目に入っている「丸の内~」は記載されていなかったことだ。初めて聴いた時、最後の曲が終わった、と思った瞬間、突然ハープの音が流れ始め、いきなりア・カペラ伴奏の「丸の内~」が始まって思わず身震いしたものだ。今につながるマルチな方向性が定着した中でも、この曲はこだわりのある曲なんだと、少しうれしくなった。

 この曲も、聞きようによれば、「人生は夢だらけ」に通じる絶頂感がある。その部分につながるカッコよさこそ、椎名林檎的だと感じてしまうんだけど……そういえばもっと直接的に連想させる曲があったことを思い出した。その曲は、東京事変名義で出した「女の子は誰でも」で、東京事変のアルバム『大発見』に収録されている。

 しかもこのミュージカル仕立ての曲は、資生堂のコマーシャルで使われていたのだった。この辺りが、繋がった理由だったのだろう。

 

 さて、椎名林檎と言えば、僕自身は頭の中に、彼女の「顔」のイメージが定着しなくて、なんだか不思議な人だという印象をずっと持っていた。プロモーションなどを見るたびに違った印象を受けて、どれが本当の椎名林檎なのかわからない。時々そういう印象の人に実際に出くわすこともあるのだが、この人の場合、それが音楽とも結びついて、より一層神秘的な感じを持っていた。

 そんなよくわからない印象が一気に晴れてしっかり定着したのは、NHKEテレの「Switchインタビュー 達人達」での椎名林檎と作家・西加奈子の対談を見てからだった。これは、番組のテーマ曲を歌っている椎名林檎が「一生に一度はお目にかかりたい人」ということで希望し、まだ直木賞をとる前の西加奈子との対談を実現したものだが、西加奈子もまた、椎名林檎のライブにも行ったことがある、同世代のファンだったのだ。

 実は録画していた当日、半分くらい放送したところで地震が発生したため、途中から緊急放送が入り、後半部分が録画されていなくて悔しい思いをした。ところがその放送からしばらくして、対談でも紹介されていた小説「サラバ」で、西加奈子直木賞を受賞し、受賞記念のアンコール放送として、ようやく待ち焦がれていた全編を見ることができたのだ。この対談はとにかく面白かった。この二人にかぶせられていた覆いが、ぼろぼろと剥がれていくような、爽快な対談だった。

 その中で二人は、かなり正直に様々な創作の秘密や、その心情に踏み込んでいる。もちろんカメラが回っている範囲のことなので限界はあるのだろうけど、僕自身は、椎名林檎やその音楽にこれまで感じていた疑問を次々に解き明かしてくれるような受け答えに、正直感激していた。たとえば、日本語に曲を付けるとカクカクした音楽になってポップスっぽくないので、すべて英語の仮詞を付けて作曲し、後でその曲に日本語を当てはめていくという話もあって、なるほどね、と思った。

 恐らくデビュー周辺のことなど、一般に語られていることとはかなり違った話もあり、もう時効なのかな、なんてことも思ったし、好きな音楽ジャンルと今の音楽の違いや、それを仕事としてとらえている現状など、とても現実的な話も出てきた。一方で、椎名林檎が創作に行き詰った自分と重ね、号泣しながら読んだという西加奈子の短編「空を待つ」の話では、その真摯な姿勢も垣間見えたりして、興味深かった。この短編は、短編集『炎上する君』に収録されている。

 とことん裏方気質で仕事に対する完璧主義を求める少し冷めた印象の椎名林檎に対して、深い洞察の中にも常に希望をもって夢を追っている西加奈子はちょっと心配になったのだろう。対談の最後に椎名林檎に向かって、「夢は何ですか?」と尋ねる。その問いに椎名林檎は、「大人の遊び場を作ること。」と熱く答え、西加奈子は「夢があってよかった」、と笑顔で漏らす。その笑顔に、視聴者は共に安堵感を得ただろう。そして、二人の夢の実現を見てみたいと思ったのではないだろうか。

 

 最初に戻れば、「人生は夢だらけ」というのは、なかなかいいコピーだと思う。夢の大小を問わず、夢を意識してがんばっている人は輝いている。何よりも、その思いや姿は、周りを元気にしてくれる。自分もがんばらなきゃ、そう思わせてくれる。

 「夢は何ですか?」なんて、この年になればほとんど聞かれることもなくなった。でも、夢の大きさは現実的になってきたとはいえ、適切なスパンでの夢は常にあるものだ。ともすれば、「夢」という言葉とは結びつけられないささやかなことでも、ひとたび「夢」のタグをつければ、行動が変わってくることもあるだろう。そういう気持ちを忘れないように、小さな夢探しでもしてみようかな、そんなことも思っている。

 

<おまけ>

 今やCMでも引っ張りだこの高畑充希ですが、初CMがすごかった。CHOYAのウメッシュのCMでしたが、これも紹介しておきます。これ、いいです。CM女王の道、まっしぐらですね。しかも誰でもできるわけじゃないところもすごい。

 

 

<関連アルバム&Book>

三文ゴシップ

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Autumn

 そのCMは美しい。純日本的な背景の中、姿勢にも所作にも日本を体現する金髪の女性。たどたどしい日本語は彼女が外国人であることを明らかにする。だからこそ、より一層引き立つ日本の美がそこにはある。

 思わず見惚れてしまう映像には、おかしがたい気品が漂う。その印象は静寂そのものだが、音が鳴っていないわけではない。いや、むしろそこに流れる音楽は、映像をしっかり縁どり、その風情を演出している。

  ☆ Link:[JTのCM] 日本のひととき 茶道篇、和食篇、折り鶴篇

  ☆ Link:[JTのCM] 日本のひととき 水引篇、和歌篇、生け花篇

 「日本のひととき」と題される一連のJTのCMはこれまでに5篇出ている。あまりテレビを見なくなった僕でも全篇見たことがあるのは、金曜日の夜に放送されているJTの提供番組、「アナザースカイ」が結構好きで、時々見ているからだろう。

 

 初めてそのCMに遭遇したとき、「この曲、知っている」と思った。アレンジは違うのだろうけど、基本4小節のシンプルな音形を繰り返すその旋律を、僕はかつて何度も聞いたことがある。ただ、何の曲だったのかは思い出せない、というか、思い出したいという気持ちが残らないほど、その音楽は映像と一体となり、完結していた。

 人声を中心に様々な楽器音が混じる、各篇趣向を凝らした音楽は、それだけでも興味が尽きない絶品だが、決して出しゃばることはない。しかし、何度目かの遭遇の直後に、不意に頭の中にその旋律を奏でるもうひとつのピアノソロが鳴り始めた。そして思い出したのだ。かつてこの曲は、同じようにCMに使われ、鮮烈な印象を振り撒いていた。

  ☆ Link:トヨタ 新クレスタ CM(狼編)(1984年)

 僕はそのCMに触発され、この曲の入ったアルバムを早々に購入したはずだ。その曲はジョージ・ウィンストンの「Longing/Love (あこがれ/愛)」。アルバムはウィンダムヒル・レコードから発売された 『Autumn』 である。

 恐らく購入したのは1984年、85年頃だろう。84年は僕が社会人になった年で、その年末か年明けに、まだ一台10万円は下らなかったCDプレーヤーを購入した。再生機の価格が、ようやく手の届く範囲に入ってはきたものの、まだまだ高価だったため、コンパクトディスクそのものは普及期には至っていなかった。その時買った最初期のCDの中に、このアルバムは入っていた。

 『Autumn』 は、米国では1980年に発売されている。既にソロピアニストとしてデビューしていたジョージ・ウィンストンが、自然主義の趣の強いインディペンデント・レーベル 《ウィンダムヒル》 と契約を結び、初めてリリースしたものだ。本国でこのアルバムは予想外にヒットし、彼はそれを受けて北カリフォルニアの季節をテーマにした「四季4部構成」を明らかにする。その後約10年をかけて、『Winter Into Spring』 、『December』 、『Summer』 と、4部作を完結させることになるのだが、日本で 『Autumn』 がリリースされたのは本国から4年遅れ。まさに前述のトヨタのCMに合わせたリリースであり、鮮烈な印象と共に大ヒットしたのだった。

 透明感あふれるピアノの音で表現される音楽は、四季のスケッチとはいえ、その音の置き方や、テンポの取り方、空白の余韻に詩情が満ちていて、単純な情景描写とは言いがたい。冒頭を飾る曲、「Colors/Dance」は、格好のショーケースとして、このアルバムでジョージ・ウィンストンが表現したい音楽の方向性を全て物語っているように感じる。その透明で直線的なピアノサウンドは、北カリフォルニアの澄んだ空気を思わせる。そして、次々に現れ繰り返される親しみやすいテーマは、彼が自然に寄せる清新な思いとその深さを感じさせてくれるのだ。

 CMで流れていた曲、「Longing/Love」も含め、最初の3曲は恐らくLP盤のA面に当たるのだろう。その3曲をSeptember(9月)と分類し、後半の4曲(LP盤のB面)をOctober(10月)としている。その後半の中で一曲挙げるとすれば、5曲目の「Moon」だろうか。

 メロディアスな旋律が、次々に現れては次に受け渡される。日本人の感性に合うメロディーラインは、このアルバムが日本でも爆発的に売れたことを納得させる。静かな空間に広がる音楽は、30年以上たった今でも、当時感じた新鮮な響きを失っていない。

 

 今でこそ「ウィンダムヒル・レコード」と言えば、音楽ジャンルは「ニューエイジ」に属するレーベルだが、当時はそういうジャンル分けは存在しなかった(グラミー賞ニューエイジ部門が創設されたのは1986年のことである)。ビルボードのアルバムチャートでもジャズのジャンルで括られていて、日本で 『Autumn』 が発売されたころ、本国では3作目の 『December』 が既にリリースされ、ビルボードのジャズ・アルバム・チャートで3位に入っていた。

 恐らく僕もジャズのレコードの認識で買ったはずだ。その頃ジャズに目覚め始めていた僕は、モダンジャズの名盤といわれるアルバムを、少しずつ聴き始めていた。覚えているのは、その時レコードショップのジャズコーナーで同時に買ったCDが、ビル・エバンスジム・ホールのデュオアルバム 『アンダーカレント』 であり、その当時の僕は、「ジャズはかくあるべし」と言わんばかりの変幻自在の演奏の魅力に取り込まれていた。かくして、CMでの音楽が気になって購入したはずの 『Autumn』 は、そのピュアな和音構成とかっちりした演奏がいつしか物足りなくなり、あまり聴かなくなっていったのだった。当時僕の意識の中には、「シンプル=単純」という方程式があったのだろう。ジャズの棚に並んでいながら、即興的な部分も感じられず、コード音もシンプルなこの音楽を、少し低く見ていたのかもしれない。

 30年近い時を経て、今そうした意識は全くない。いやむしろ、シンプルでありながら心に響く音楽にこそ、研ぎ澄まされた魅力を感じるし、それこそが自分が最後に求めるものという感覚がある。ジャンルや演奏に関係なく心に響くもの、それを拾い集める旅はまだ終わらせるべきではないのだろう。過ぎ去った時間との思いがけない邂逅にさえ、新しい気づきがあるのだから。

 

 もう9月も下旬。あのCMは、その映像にふさわしい季節を迎える。もちろん、その音楽にふさわしい季節とも言えるのだろう。恐らく京都であろうその映像のロケ地でも探索してみようか。台風が近づきつつある休日、そんなことをつぶやきながら、頭の中で秋の音楽を反芻しているのだった。

 

 

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月とキャベツ

 学生時代に弾いて以来、古びた黒いハードケースの中に入れっぱなしになっていたアコースティックギターを、ちょいと弾いてみようという気になったのは、社会人になって十数年たった頃だった。結婚してからも手許に置いてはいたものの、ベッドの下の見えないところでほこりをかぶったままになっていたのだ。

  きっかけは、当時SMAPが歌って流行り始めていた「セロリ」を見知らぬ青年が歌うライブ映像だった。その映像を何気なく眺めていて、思わず身を乗り出した。それは、山崎まさよしの演奏に初めて触れた瞬間だった。僕はその新しい才能を感じる新人ミュージシャンの映像を見て、とても高揚した気分になり、同時になんだか無性にギターを弾きたくなったのだ。それまでも、様々な人のライブ映像を見てきたはずなのに、社会人になって以降でこういう気分になったのは初めてだった。

 久しぶりに取り出したギターの弦はすっかり錆びていて音程もむちゃくちゃだったが、とりあえず音を合わせて...と、ペグを少し回したとたん、バチンと鈍い音を立てて、弦が切れた。その週末、本当に久々に購入した弦に張り替え、ようやく演奏できる状態になったのだった。

 

 リリースされて間もない山崎まさよしの2枚目のオリジナルアルバム 『HOME』 を入手したのはそんな背景があったからだ。当時、僕の音楽的関心は日本の男性シンガーソングライターには向いていなかったが、何故かこのミュージシャンへの興味は大きく膨らんでいたということだろう。そのブルージーな声と雰囲気が全体を覆ってはいるものの、内容は聴く前の予想(音楽的志向が極端に偏っている?)と違っていて、そのバリエーションの豊かさに驚いたものだ。

 その中に名曲「One more time, One more chance」は入っている。既にシングルカットされていた時期だったが、しっかり聴いたのはこの時が初めてだった。他の曲と毛色の違うこのラブ・ソングは、ギターの前奏で静かに始まり、その感情を込めた抑揚は聴き手の期待感にもしっかり応えてくれる。今でも、僕の大好きな曲で、時折ギターで少しなぞったりする。

 この曲が「月とキャベツ」という、山崎まさよしが主演した映画の主題歌だったことを知ったのは、それから数年後のこと。たまたまお正月用にとまとめて買った中古DVDの中に含まれていた。歌を歌えなくなったミュージシャンと、突然現れた高校生の女の子のひと夏の奇妙な同居生活を描いたちょっと不思議なピュア・ラブ・ストーリーで、「One more time, One more chance」は、その少女との関わりの中で少しずつ立ち直り、再び曲作りに目覚め作り上げていく、まさにその曲だったのである。映画としてはストーリーに多少ひねりが少ないかな、と最初は思ったものの、僕はその映像を結構感動しながら追っていた。なんだか暖かい思いが長く残る映画で、地味ではあるが、大好きな映画になった。

 この作品のヒロイン、高校生の女の子「ヒバナ」役は、当時CMなどにもよく出ていた女優の真田麻垂美で早くから決まっていたらしいが、山崎まさよしの演じたミュージシャン「花火」役は最後まで決まらなかったという。想定は30歳のかつて頂点を極めたミュージシャンで、映画ではリアルに演奏をしてもらう必要もあるし、曲も作ってもらわなければならない、となるとハードルは高い。予算のない超マイナーな映画だったこともあって、脚本も書いた篠原哲雄監督の思うミュージシャンからはすべて断られたらしい。そういう中で候補に挙がった当時の山崎まさよしは24歳の無名の新人ミュージシャン。設定に比べて若すぎたのだが、監督がライブを直接見に行って気に入り、役者として未知数ではあったものの最終的には決めたという。

 そういう経緯に反して、映画の中での山崎まさよしは実にのびのびとしていて、自然で、輝いて見える。その演技も素晴らしいが、曲作りや演奏のシーンを見れば、奇跡のようなキャストだったと思えてくる。何よりも、このストーリーにぴたりとはまった、「One more time, One more chance」が秀逸で、この曲無しのこの作品は考えられない。

  ちょっと奇妙なタイトルである「月とキャベツ」。元々は「眠れない夜の終わり」というタイトルだったらしい。しかし、今のタイトルの方がいいと感じるのは、山崎まさよしの演じる素朴でぶっきらぼうな感じと「キャベツ」とがしっかり結びついているからだろう。月はその少女の象徴であり、キャベツは主人公の象徴なのだ。月に照らされたキャベツがバサバサと羽ばたき始める物語は、希望に続く物語でもある。

 

 さて、その後、この映画が流行ったという話は聞かなかったが、主題歌である「One more time, One more chance」は徐々に売れ始め、アルバム 『Home』 も話題になって、山崎まさよしは一躍、時代の寵児となった。印象に残っているのはそれからしばらくして、NHKのドキュメンタリーで何回かあった企画。アメリカの本場のブルースミュージシャンと一緒にブルースセッションをしたり、ナッシュビルの路上で一人弾き語りをする姿は印象的だった。とにかく演奏も音もカッコよかった。別にブルースを弾きたいわけじゃなかったけど、そのあたりから、常にリビングルームにギタースタンドを置いて、ギターをいつでも手に取れるようにしていた。件のギターは学生時代に友人から購入したGuild のD-40で、今や立派にオールドである。

 当時は、まだ子供達は小学校の低学年で、置いているギターには目もくれなかった。そもそも小さい頃からあらゆるジャンルの音楽が流れている環境で、鍵盤楽器も常に弾ける状態にしていたにも関わらず、音楽には全く興味を示さず、迷うことなく小生意気なサッカー少年になっていった息子たちだったので、まあギターもそんな感じだろうと思っていた。

 ところが不思議なもので、ちょうど声変わりをする頃、次男の方がギターに興味を持ち始め、時々手に取っているうちに、その生来の器用さからあっという間に上達し、自分のギターが欲しいと言い出して驚いた。確か高校に入った頃、自分のお小遣いで買うからということで、一緒に楽器店に行き、Ovation のエレアコを購入した。今も時々弾いているようだが、手に取るのはもっぱら僕のアコースティック・ギターの方であり、やはり生ギターがいいようである。

 長男の方は昔からちょっと不器用で、中学・高校時代にこそギターには興味を示さなかったが、大学で家を離れる際に何故か僕が中学生の頃に購入して家に転がっていたヤマハのフォークギターを持って行くと言い出し、次に帰省して帰った時にはバリバリに弾けるようになっていて驚いたものだ。その翌年には、自分のギターを購入するというので、僕もついて行って色々弾き比べを決行。最終的に、K・Yairiのハンドメイドギターの音に惚れ込んで購入。今でも弾いているらしい。

 

 先日息子が、立てかけたギターを軽く手に取って弾いているのを、何気なく聞いていた。ポロポロと弾きだしたのが「One more time, One more chance」の前奏だった。20年の時を経ても、それほど懐かしさは感じない。でも、なんだかとても不思議な、ふわふわした気分になっていた。 

IMG_1316.jpg

 

<追記>

 そういえば、後年、パシフィコ横浜の国際展示場に仕事で用があって出かけたとき、初めて桜木町の駅に降り立ちました。ホームで、あーここが「One more time, One more chance」に出てくる桜木町か、と感慨ひとしお。でも国際展示場に向かう道すがら、大阪で桜木町なんて言われてもわからへんなー、やっぱり大阪やったら・・・・・・中崎町やね、まあ、弁天町でもええけど、などと考えてにんまり。

 気が付けば、「いつでも捜しているよ どっかに君の姿を 明け方の街 中崎町で こんなとこに来るはずもないのに・・・」と、鼻歌交じりに歩いていました。そっちもええやん。

 

 

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長い休日

 久しく書いていなかった。いや、書けなくなっていたというのが正確だろうか。気がつけばそこから一年近くたっていた。

 先日思い立って、これまで書いてきた内容を、最初からぱらぱらと追ってみた。だんだん先細りしてはいるものの、毎月必ずアップしてきた文章は膨大だった。紹介した愛聴盤も300枚近くはあるだろうし、楽曲はさらに多いはずだ。区切りの年齢を目前に、様々な思いの中で書き始めた文章には、その時々の感情がベールに包まれ、そっと置かれていた。そこで紹介した音楽も含め、その文面を振り返ることで、表現の外にある当時の思いが手繰り寄せられ、この5年間の自らの意識の変遷を思いがけず認識した。

 何故書けなくなったのか、よくわからなかった。でも今ならその背景にあった複合的な理由を読み解くことができる。とてもパーソナルことなのだが...

 やめてしまうことは簡単だったが、どこかで再開したいと思っていたのだろう。頭の中には、再開時に紹介したい音楽が溢れ始めていた。その中の一つが、今日のアルバムだ。タイトルは「日曜日」。休日の終盤のけだるさを漂わせつつ、その終わりを惜しむかのようなダウナーな雰囲気のアルバムであり、長いお休みを抜けるときの最初の一枚はこれかな、と何となく思っていた。でも、そうは思っても、何も前には進まなかったんだけど...

 

 そんなことも忘れていた先週の土曜日。午前中、何気なくリオ五輪の開会式を眺めていた。とは言っても見始めたときには既に選手入場が始まっていたので、開会式の前半は完全に見逃していたようだ。選手入場も終わって、聖火ランナーが現れる前にリオらしくサンバが始まったのだが、そこでなんと、あのカエターノ・ヴェローゾが歌っているではないか。しかも歌姫アニッタを挟んで、盟友ジルベルト・ジルと一緒に、である。

 白髪のカエターノも、既に74歳。それはそれでびっくりするが、こういう場に登場するということにも少し驚いた。リオといえば、やはりジョビン。トム・ジョビンアントニオ・カルロス・ジョビン)がフィーチャーされた出し物があるのかな、とは思っていたんだけど。

 広大な会場の円いステージの上で、懸命に歌うカエターノを見ていて、なんだか少しうれしくなった。そして、前述のアルバム 『Domingo』 (ポルトガル語で「日曜日」の意味)を引っ張り出し、その奇跡のような音楽をしばらくぶりにじっくり聴いた。1967年にリリースされ、12曲がコンパクトに納まったこの一枚は、いい気分で聴いているとあっという間に終わる。最後の曲のあと、空白の時間の中で、ああ、もう終わってしまった、と思った時、それこそが「日曜日」の持つ寂しさに近い気がした。そしてその瞬間、何かがつながった。

  アルバム 『Domingo』 は、25歳のカエターノ・ヴェローゾと22歳のガル・コスタのデュオ・アルバムであり、二人のデビュー作でもある。初めてこのアルバムに出会った時、その意外な内容に驚いた記憶がある。若い頃のカエターノ・ヴェローゾと言えば、サイケデリックで前衛的で、既成概念をぶち壊す尖がった才人という印象が強かったので、そのアルバムから立ち上るやさしい雰囲気が、あまりに予想外だったのだ。

 当時のブラジルは、クーデターによって軍事独裁政権に突入していた頃であり、カエターノ・ヴェローゾは1968年にリリースした自らの初のソロアルバムで「トロピカリア」と呼ばれる音楽ムーブメントを提唱、ビートルズの先進性に触発され、ブラジルの伝統音楽の再評価と共に、ロックをベースにしたブラジル・ポピュラー音楽の新たな進化をぶち上げた。その流れは様々な芸術活動や言論活動とも結びついて軍事政権下での火種となり、その年末には盟友ジルベルト・ジルと共に逮捕され、翌年二人はロンドンに亡命する。1972年に帰国して以降は、常に国際基準の新しいブラジル音楽を発信する存在として、ブラジルのポピュラー音楽界を引っ張ってきたのだろう。

 そんな流れと一線を画すデビューアルバム 『Domingo』 は、意外にもとてもオーソドックスなボサノヴァアルバムのように見える。しかし考えてみれば、1967年にはもうブラジル本国ではボサノヴァはほとんど廃れていた頃で、ブラジルを離れ、欧米でイージーリスニングやジャズと結びついて発展していた。しかし、彼が信奉していたのは頑固なまでに自分の音楽を貫くジョアン・ジルベルトであり、欧米の安易な流れに迎合するボサノヴァの変節を許せなかったようだ。

 即ち、このアルバムの音楽はボサノヴァの原点回帰、ジョアンが生み出した頃の心を取り戻すボサノヴァを実現して見せたアルバムでありながら、その直後に自らブラジルのポピュラー音楽界に大激震を起こすことを思えば、まさにリアルタイムな流れでの最後のボサノヴァ・アルバムだった、と言うことができる。

 その一曲目、「コラサォン・ヴァガブンド」は、それにふさわしいボサノヴァの名曲であり、僕の大好きな曲だ。

 ガル・コスタカエターノ・ヴェローゾが重なることなくワンコーラスずつ囁くように歌うこの曲は、何故か妙になまめかしい。この音楽を、「情事の後のけだるい雰囲気」とはよく言ったものだが、明らかにジョアン・ジルベルトを意識したような音楽に、思わずにんまりしてしまう。

 もう一つの特徴は、「アヴァランダード」や「カンデイアス」、「ケン・ミ・デーラ」などで感じられる、まるで古い欧州映画でも見ているような音楽とその表現である。それが、ガルやカエターノの声とマッチして、とてもいい雰囲気を作っているのだ。

 二人の名義のアルバムなのに、決して二人の声は重ならないし交わらない。それが、最後の曲「サベレー」で初めて、重なるのだが、そのハッピーな感じも、やはりうんと控えめである。

 ジャケットには、発表当時「ガル・コスタによるカエターノ曲集」と書かれていたそうだが、このアルバムを聴いたトム・ジョビンはカエターノに対し、「君はコンポーザーとしてではなく、歌手として歌っているじゃないか」と絶賛したらしい。それは、恐らくカエターノ自身の意識が大きく変わった瞬間だったのだろう。

 当時カエターノ・ヴェローゾはこのアルバムのことを、「ノスタルジックにボサノヴァを考えているのではなく、未来への展望として考えている」と語ったという。彼にとっては、当時のこのアルバムでの表現も、その後のトロピカリアの展開も、同じ方向を見据えたものだったということなのだろう。

 オリンピックの開会式で目にした映像から、僕の中で何かが動き出した。止まっていた時計のネジを再び巻くように、止まっていた日付を更新しよう。長い休日は終わりを迎えたようだ。新しい一歩が、また今日から始まる。

 

<追記>

 ジョアン・ジルベルトを熱烈に信奉していたカエターノ・ヴェローゾは、それから33年後の2000年に、ジョアンの新しいアルバムをプロデュースしています。そのアルバム 『声とギター』 は、ジョアン・ジルベルトがギター一本で弾き語るアルバムで、現時点でジョアンの最も新しいスタジオ録音盤です。

 ジョアンはその中で、アルバム 『Domingo』 の一曲目、若きカエターノ・ヴェローゾが最初に世に出した「コラサォン・ヴァガブンド」を演奏しています。譜割をジョアン流に変えた変幻自在の演奏は、自由溢れる音楽に仕上がっていますが、これはカエターノ・ヴェローゾにとって、若い頃に見た夢の実現だったのかも知れません。

 

 

<関連アルバム>

 

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今更ながら米原万里

 今更ながら米原万里にはまっている。立て続けに4冊読んで、ついに手持ちが無くなった。禁断症状が出る前に早急に補給しなくては...ハアハア...

 訃報に接してもう9年。そんなに経った印象は無いのだが、今や日めくりのスピードが確実に加速しているので致し方ない。調べてみると2006年5月。確か日曜朝のTBSのニュース番組でそのことを知った。その少し前まで時折コメンテーターとして出演していただけに、あまりに早い死にショックを受けた。同時に、「あー、結局この人の本、読まなかったなー」という、後悔にも似た思いが胸に残ったのだった。

 ロシア語の同時通訳にして文筆家でもあった米原万里は、僕よりひと回りほど年上だが、ちょっと気になる人だった。ペレストロイカからソビエト連邦の崩壊に繋がる大激動の中で、日本にもゴルバチョフエリツィンが次々と来日したが、その通訳として側にひかえていた彼女の姿は印象的で、僕の記憶にも残っていた。それからしばらくしてテレビ番組にも出演するようになり、「魔女の館」か何かで占いでもやっていそうな雰囲気と、肝っ玉かあさんばりの包容力を感じる姿は、その冷静沈着な言葉とも相まって、なかなか魅力的だった。米原万里の本は面白い、という評判も既に聞いていたので、機会があれば読もうとずっと思っていながら、結局生前に読むことはなかった。

 

 それからあっという間に月日は経ち、今年の春。梅田ハービス・エントの3階にある雑貨店アンジェのブックコーナーで、欧州の様々な国に関わりのあるエッセイをセレクトした特設展示に行き当たった。この店の約二千冊ある本のセレクトはなかなかいい感じなので、僕も以前からちょくちょく利用していたのだ。

 欧州と言っても、さすがに英国やフランス、ドイツ関連のものが多かったが、その中の一角、ロシア本が集まっている場所で久々に「米原万里」の名前を見かけた。目に付いたのは、表紙にマトリョーシカをあしらった「ロシアは今日も荒れ模様」という文庫本で、ほかにも数冊あったが、まずは手にとってぱらぱらと中身を確かめ、とりあえずこの一冊を読んでみようと、レジに向かった。

 実際に読み始めるまでにはさらに時間がかかったが、このエッセイが抜群に面白い。内容は、ロシア語通訳・米原万里によるロシアとロシア人にまつわるエピソードをベースにした爆笑エッセイなのだが、仕事柄たくさんのロシア人と付き合い、ロシアの地にも数多く訪れた経験を持つ彼女の言葉は、僕の持っているロシア人のイメージを軽々と覆した。

 彼女自身があとがきにも書いている、次の一文が全てを物語っている。

「ロシアとロシア人は退屈しない。おしなべて人懐っこい上に、人種的偏見が少ない。生のままの自分をさらけ出したまま、直接相手の魂に語りかけてくるような気取らないタイプが多い。大人のたしなみとしてひとり平均500話ぐらいの小咄の蓄えを持っていて、たえず更新しているから、歩く話題とユーモアの宝庫みたいな人種である。(中略)それに、奇人変人の含有率がかなり高い国ではないか。」

 そして何より、ソビエト連邦の崩壊という歴史的な大転換期の中、たくさんの要人に請われ多くの時間を共にすることで得られた彼女自身の視点は、貴重な時代の証言にもなっている。特にゴルバチョフエリツィンに対する人物評は、彼女の経験でしか得られない目からうろこの内容だったし、世界的なチェリストであるロストロポーヴィッチがいかに愛すべき人物であったかなど、実に興味深い記述が満載だ。一方で、軽妙な語り口と、こんなこと言ってしまっていいの?と思うような内容にもズバッと切り込む大胆さ。さらには、不意に現れる決して下品でない下ネタ(彼女の下ネタ好きは有名だが)にも惑わされ、あれよあれよという間に読み終わるのである。

 「ロシアは今日も荒れ模様」の後、彼女の処女作にして読売文学賞を受賞した通訳論、「不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か」を、3冊目は、彼女が亡くなった直後に上梓された、それまでに様々なところで発表された短文を集めたエッセイ集「心臓に毛が生えている理由」を読んだ。まずは最初と最後を押さえたい、と思ったのだ。

 この3冊を読んだ段階で、すぐにでも読みたい一冊が生まれた。2001年の大宅壮一ノンフィクション大賞をとった「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」だ。この本は米原万里が9歳から14歳までの5年間、チェコスロバキアの首都プラハにあった外国共産党幹部子弟専用のソビエト大使館付属学校で共に過ごし、その後音信不通になった3人の級友(ギリシャ人のリッツァ、ルーマニア人のアーニャ、ユーゴスラビア人のヤースナ)の消息を、ソビエト連邦崩壊後の1996年に捜索し再会した記録である。

 彼女のエッセイを読んでいると、色々なところにこの子供時代を過ごしたソビエト学校の話や、その時代の友人達の話が出てくる。彼女の原点はこの5年間に詰まっているのではないかと思えてくる。そして、3冊目に読んだ「心臓に毛が生えている理由」の中には、「『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』を書いた理由」という短文もある。さらには、ドイツ文学者の池内紀との対談や、最後に解説文を寄せている池澤夏樹の文章の中にも、この本に関する記述があるのだ。

 この本が書かれる5年前に、米原万里のもとに、テレビマンユニオンの女性プロデューサーからNHKの「世界・わが心の旅」という番組の旅人になって欲しいと依頼が入った。彼女はソビエト学校時代の親友で、今は音信不通になってしまった3人の友人に会いたいと思い、あまり期待はせず、彼女のもとにあった3人に関する情報を全て手渡す。そして、テレビ番組の中で実際に3人の友人を捜索し、再会を果たすのだ。その過程は、推理小説のようでスリリングだ。3人は個々に様々な事情を抱えていたが、この時代の大きな転換期に、それぞれに国や民族に対する複雑な思いを抱えながら生きてきた姿を描き出している。

 テレビ番組はそれで終わっているようだが、その文章によると、実際には子供時代にいっぱしの愛国者だったルーマニア人のアーニャの変節を、出来上がったテレビ番組を見た二人の友人は「胸くそ悪くてアーニャの発言のところでスイッチを切ったわ」とまで言ったという。

「どうして二人の優秀なテレビウーマンが納得し、多くの日本人視聴者が感動したアーニャの発言に、わたしや他の級友たちが欺瞞と偽善の臭いをかぎ取ったのか、そこに、日本人の考えるグローバル化と本来の国際化のあいだの大きな溝があるような気もした。」

 米原万里は「『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』を書いた理由」の中で、そう語っている。その疑問への思いもあったのだろう。その後数度にわたり、3人の級友のもとを訪問、取材し、この放送から5年後に『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』は出版された。

 僕の興味は極限までふくらみ、すぐに4冊目として「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」を入手した。そして、その本を読む前に、YouTube米原万里の出演している「世界・わが心の旅」がアップされていることを知り、その動画を見たのだ。

  ☆ Link:世界わが心の旅 プラハ 4つの国の同級生 米原万里 (1)

  ☆ Link:世界わが心の旅 プラハ 4つの国の同級生 米原万里 (2)

  ☆ Link:世界わが心の旅 プラハ 4つの国の同級生 米原万里 (3)

 感動的だった。とても重い動画だった。1996年といえば、東西冷戦が終結し、中・東欧の国々の体制が崩壊し、ボスニア内戦がまだ燻っている時期だ。その中で撮影されたこの番組の意味は、本来の番組の意図以上に大きなものになっている。

 そして、直後に読んだ「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」で、その感動は倍増した。映像では決して表せないものと、映像でしか表せないものが厳然とある。さらに両者が合わさることで、映像の存在が助けとなり、文章がより生き生きと息づく。もちろんその逆もある。

 それにしてもこの本の中の4人の少女達は、何と生き生きと描かれているのだろう。そしてその中に生きている人達の歴史が、そのままその時代の激動ぶりと直結し、様々な思いを僕達にも起こさせてくれるのだ。

 まだまだ彼女の著作はたくさんある。今更なんて言わずに、もっともっと読んでみたい。その正直で力強く、ユーモア溢れる文章から、さらにくっきりと人間・米原万里が浮かび上がってくるのだろう。それを確かめてみたいと思っている。

 

<追記>

 おーっと、またまた音楽を忘れていた。プラハといえばチェコチェコといえばスメタナドボルザーク。ここはひとつスメタナの連作交響詩「わが祖国」。その中でも最も有名な第2曲「モルダウ」でも聴きながら、彼の国を思い浮かべてはいかがでしょうか。CDは僕の愛聴盤、スメターチェク、チェコフィルで、ぜひ。(動画は、Orchestra Canvas Tokyoです。)

 

ドボルザークはチェロ協奏曲。米原万里も愛したロストロポーヴィッチのチェロを、カラヤンベルリンフィルの演奏で、ぜひどうぞ。

 

 

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雨の匂い

 6月の夕刻。ずっと閉じこもっていた建物から一歩外に踏み出ると、一面低く垂れ込めた雲が視界を覆った。初夏の雰囲気さえ漂わせていた午前中の陽射しは完全に遮断され、梅雨であることを思い出させる舞台装置に、いくぶん気分も重くなる。

 雲の流れは速い。雨は降っていないが、外気に触れた腕に湿気を感じる。そのとき、ふと鼻腔をくすぐる懐かしい匂いに気づいた。雨の匂いだ。

 昼間の熱気に温められた足元のアスファルトには、まだ雨の痕跡はなかったが、それは時間の問題だった。「雨の匂い」を感じれば、じきに、ポツリ...ポツ、ポツ、と降り始めるはずだ。駐車場を足早に横切り、キーロックを解除して車に乗り込む。エンジンは掛けず、しばしじっとしていると、やがてフロントガラスに最初の雨のしずくがポトンと音を立てて弾けた。

 こういう時に感じる微かな香りを、昔から何となく「雨の匂い」と呼んでいるが、それは正確ではないのだろう。雨に匂いは無いように思う。感じる匂いは土臭く、多少蒸れたような匂いだが、いやな匂いという感じではない。むしろ僕は好きかもしれない。

 「雨の匂い」は、単に雨が当たった地面から湧き上がる土の匂いかと、ずっと思っていたが、雨が降り始める前に感じるのは不思議だった。しかも、今のようにアスファルトで固められた場所での「雨の匂い」と、かつて田舎の土の上で感じた「雨の匂い」の記憶とが、同質に感じられるのも、単純に土の匂いだけでは説明がつきそうにない。

 そんな中で知った「ペトリコール」という言葉。この言葉は“日照りが続いた後の最初の雨に伴う独特の香り”のことを表した、ある鉱物学者による造語だが、その学者の見解では、特定の植物から生じた油が地面に落ちて乾燥し、それが雨や湿気によって空気中に放出されるときに出る香りである、とのことだ。

 なるほど、植物の油の匂いがベースにあるとすれば、どこで感じても同質の匂いで不思議はないし、雨が降り出す前の急激な湿度の変化に反応することも考えれられるので説明がつく・・・・・・なんてことを色々考えてしまうのって、どうなんだろうね。そんなことはどうだっていいことで、「雨の匂い」を感じれば、じきに雨が降る。それを体感できていることだけで十分なんだろうな、と少し反省したのでした。

 

 ということで、今日の一枚。今僕が一番「雨の匂い」にふさわしいと思うアルバムを取り上げよう。ジャズピアニストでボーカリストダイアナ・クラールが、今年の2月にリリースした 『Wallflower』 だ。

 いやはや、なんとも、これこそ理屈じゃない。素晴らしいアルバム、名盤入り間違いなしだ。実はこれまでダイアナ・クラールのジャズアルバムはたくさん聴いてきたし、この場で紹介もしてきたが、アルバム全体を繰り返し聴きたくなる、という感じでもなかった。彼女独特のハスキーボイスも、それほど僕の好みではなかったし、ごつごつした手触り感を感じていた頃も、ゴージャスで豪華な雰囲気を醸し出してからも、どこか気持ちに線引きをし、背筋をただして聴いていた感じだった。彼女自身も、ドレスにハイヒールで足組みをして、作り上げたキャラクターの上で歌っているようなところがあった(ピアノを弾くので実際は足組みはしないのですが...)。

 ところがこのアルバムは、最初聴いたときからどこか違う感じが漂っていた。ちょっと親密な感じとでも言ったらいいんだろうか。彼女も素の自分を出して、まっすぐに歌っているように感じる。作った感がない。ただ正確に言うと、これはジャズアルバムとは言えないのだろう。ジャズで鳴らしたトップアーティストのダイアナ・クラールが、巨匠デイヴィッド・フォスターのプロデュース・アレンジで、彼女に影響を与えた60年代、70年代のポップスを中心に歌う、夢の企画盤なのだ。

 そういえば、十数年前、仕事で訪れたバンクーバーの楽器店の店主が、「ここは昔、ダイアナ・クラールがよく来ていたんだよ」と、ちょっと自慢げに語っていたことを思い出した。なるほど、デイヴィッド・フォスターと同じカナダ人だったのだ。それが功を奏したかどうかはわからないが、このアルバムはミュージシャンとアレンジャーの思いがひとつに重なっている感じを、最初から受けたのである。

 巷を眺めてみても、60年代から80年代にかけての音楽が多くの人に取り上げられ、ちょっとしたブームのようにもなっている。今の洋楽では少し希薄に感じる「曲そのものが持つ永遠性」のようなものを再認識するフェーズなのかもしれないが、そういう風に取り上げられたアルバムが、全ていいかというと話は別だ。

 その音楽に対する当人の思い入れが強い分、聴衆を忘れてしまいがちだし、昔と同じ感じで演奏されても、ただの懐メロになるだけだ。さらにアルバムを一枚作り上げるとなれば、バリエーションも考えるようで、僕にとっても好きな曲だけが好みのアレンジや演奏で納まっているなんて事は、まずない。

 ところが、である。このアルバムに収められた音楽は、どれも、はずかしくなるほどに、僕自身の琴線に触れてきた音楽ばかりなのだ。それをまた、はずかしくなるほど泣かせるアレンジ(まさにディビッド・フォスター流)でぐいぐいくる。彼女も久々に歌うことに徹した入れ込み様である。

 アルバムは、パパス&ママスの名曲「California Dreamin’」でゆったりと始まる。彼女のピアノにオーケストラがかぶり、うん、やっぱりデイヴィッド・フォスターやね、と気持ちよく浸っていると、唐突にリズムボックスがテンポを刻み始め、ちょっとした肩透かし感があるが、反面ビンテージ気分は高まる。

 そうか、あまり甘いアルバムは期待するな、ということかな、と思ったが、いやいや、そんなことは全くなかった。2曲目のイーグルス、「Desperado」。 3曲目のレオン・ラッセル、「Superstar」と、これらの泣きそうになるくらいに大好きな曲を、なんともオーソドックスに歌い、演奏し、泣かせてくれるのだ。もう、この段階で大満足状態に陥ってしまった。

 4曲目は、ギルバート・オサリバンの「Alone Again (Naturally)」。ここでのマイケル・ブーブレとのデュエットは、意外にもこの二人の声の親和性を感じさせてくれる。ダイアナの少しごつごつした感じが、マイケルの発する男の色気に微妙に絡んで、とても心地いい。マイケル・ブーブレって、やっぱりすごいね。

 その後もタイトル曲でもあるボブ・ディランの「Wallflower」、エルトン・ジョンの「Sorry seems to be the hardest word」、10CCの「I’m not in love」、ブライアン・アダムスとのデュエットを披露するボニー・レイットの「Feels like home」などなど、まあ、これでもかと大好きな名曲を並べ立て、じっくり歌い込んでくれるのだ。

 中に一曲、ポール・マッカートニーから贈られた新作「If I take you home tonight」が入っているが、周囲があまりに名曲過ぎて、これが完全に霞んでしまっている。恐らくは3年前にポールがリリースしたジャズアルバムで、ダイアナ・クラールのグループがバックを務めたことに対する返礼なのだろうけど、あるいは余計だったかもしれない。

 通常盤で最後の曲は唯一の80年代の曲、クラウディッド・ハウスの「Don't dream it's over」。この曲を最後に持ってくるというのは、それだけ思いが強いのだろう。聴いていると、彼女の思いが移り込み、こちらまで満たされるような気分になる。

 

 聴き始めた瞬間、「これはいいなあ。」と感じたそのままを保って最後まで到達するアルバムなんて、そうそうお目にかかれない。しかもそれは恐らく、僕だけの感覚ではないだろう。僕と同世代に属するダイアナ・クラールが、自ら選曲した思いそのままに、共感を持って聴き入っている人はたくさんいそうだ。

 「雨の匂い」を感じる、しっとりとした音楽。素晴らしい名曲たちが心の襞にそっと触れていく時間を、またじっくりと楽しみたい。過ごしやすい梅雨の休日、そんな幸せな気分にさせてくれるアルバムである。

 

 

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You Belong to Me

 ゴールデン・ウィークも過ぎて、何か楽しい話でもできればいいんだけど、何だかそういう気分でもないので、今日は前回の続きということで。

 前回、聴きたい一心で引っ張り出してきたカセットテープの話をした。両面にドゥービー・ブラザーズの2枚のアルバムを録音したもので、そのB面に入っていたアルバム 『Minute By Minute』 をCDで買い直したという話だった。このアルバムは1978年のリリースだが、A面に入っていたのは、その前年のアルバム 『Livin’ on the Fault Line(邦題:運命の掟)』 だった。実は前回、インデックスカードを眺めながら、A面のこのアルバムも少し地味だったけどいいアルバムだったよなあ、などと思い返していた。

図1

 そういえば、このアルバムを録音した頃は、4曲目の「You Belong to Me」がたまらなくクールで、この曲ばかり何度も聴き返したことがあったよなあ...そんな思いもあって、連休中タワーレコードに行った際、このアルバムもCDで買い直した。

 早速聴いてみると、一曲目、「You’re Made That Way」の冒頭の懐かしいエレピの音形から、あっという間に記憶が手繰り寄せられ、当時の気分に引き戻された。

 そうそう、この音、この声。思わず身を乗り出してしまう。途中から入るコンガも含め、次作に繋がる世界が既に出来上がっていたことを改めて思った。全般的にはおとなしめのアルバムだが、やはり4曲目の「You Belong to Me」は、最高にかっこいい。当時僕は、このミディアムテンポにパシッとはまったエレピサウンドマイケル・マクドナルドのくぐもった声に、完璧に魅せられてしまった。その頃感じていただろう新鮮みは失われているのだろうけど、今なお僕にとってこの曲はツボのようである。

 

 ところでこの曲、マイケル・マクドナルドがシンガー・ソング・ライターのカーリー・サイモンと共作したものだが、何故かこのアルバムからシングルカットはされなかった。その代わり、翌年、カーリー・サイモンがリリースしたアルバム 『男の子のように』 にこの曲は収録され、シングルカットもされて、ビルボードのヒットチャートで全米トップテン入りを果たしたのだ。

 それによって、この曲の知名度も上がったのだろうけど、僕にとっては、どうもこのカーリー・サイモンによる「You Belong to Me」では、ドゥービー・ブラザーズの同曲でのようなシビレる感じにはならない。カーリー・サイモンのバックを務めているのは、当時大人気のフュージョン・グループ、スタッフのメンバーで、エレピはリチャード・ティー、ドラムスはスティーブ・ガッド、エレクトリック・ギターはコーネル・デュプリーとエリック・ゲイル。さらにはアルト・サックスにデイヴィッド・サンボーン、バックコーラスは当時の夫、ジェームス・テイラーと、まあ何と言うか豪華絢爛、申し分ないメンバーである。

 それでもやはり、パシッとツボに入ってこないのだ。世間一般には、この曲はカーリー・サイモンの曲、という認識の方が強いのかもしれないけど、どうも僕にとっては、マイケル・マクドナルドの声とエレピが必須条件のようである。

 

 さて、ここで唐突に当時の日本の音楽に飛ぼう。オフコースの1980年リリースのアルバム 『We are』 である。今回カセットテープを色々探しているときにこのアルバムを録音したものも見つけて、その流れで思い出した。インデックスカードには録音日が1980年12月14日になっているので、ドゥービー・ブラザーズのアルバムを録音してから半年後だ。

 このアルバムは、当時、どういう風の吹き回しか、ほぼ洋楽しか聴かない友人が持っていて、録音させてもらったものだ。確かオフコースはブレークして間もない頃だったが、彼ら自身洋楽への思いが強かったのか、音や編曲にその指向が表れていて、このアルバムでは西海岸の著名なミキサーにミックスダウンを依頼し、その作業のためだけにアメリカに渡ったということで話題になっていた。今では珍しくもないが、当時の日本では、ほとんど例がなく、とにかく音が違うというので勧められて録音したのだった。

 その音は、確かにあの頃の日本発の音楽の音ではなかった。特にドラムスやベースの音が洋楽を聴いているようなインパクトで迫ってきて、その前作の 『Three and Two』 も知っていただけに、ミックスダウンだけで、ここまで変貌することに衝撃を受けたことを覚えている。

 アルバム 『We are』 には、「時に愛は」や「Yes-No」のような、シングルとして売れた曲も入っているが、このアルバムの中で僕が最も好きだったのが、アルバムの最後の曲、「きかせて」だった。その曲を最初に聴いたとき、う~ん、これは「You Belong to me」の世界だ、と唸ってしまった。メロディーそのものは違うのだが、編曲やテンポの感覚から、恐らく、この曲を相当意識したんじゃないか、と思った。しかもカーリー・サイモンの盤ではなく、ドゥービーの盤。よって、同じようにツボにはまったのかもしれない。

 

 さて、登場から30年近くたった、2007年。再び、新たな「You Belong to me」に出会うことになる。それは僕にしてみれば予想外の音楽の中でだった。チャカ・カーンが久々にリリースしたファンキーアルバム 『Funk This』 だ。

 そのアルバムの中に、なんと、マイケル・マクドナルドをフィーチャーした「You Belong to me」が入っていたのだ。

 何だか、アルバム全体では、この曲だけ少し浮いているような気がしないでもないが、紛れもなくマイケル・マクドナルドの「You Belong to Me」であり、チャカ流のそれでもあった。

 

 とまあ、いろいろ書いてきたが、やはり僕にとって、ドゥービー・ブラザーズの最初の「You Belong to me」は、特別なもの。いつまでも輝きを失わない音楽なのである。

 

 

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