Jerrio’s Cafe ~ 気がつけば音楽が流れていた

 店主 Jerrio の四方山話と愛聴盤紹介。ジャンルの壁を越え、心に残った音楽について語ります。

The Moon is a Harsh Mistress

 前回、アメリカのSF作家、ロバート A. ハインラインの小説 「夏への扉」 を読んで、山下達郎の懐かしい同名の曲がその内容を歌っていたことに気づき、少しばかり驚いたことを書いた。実はこの話には続きがある。

 「夏への扉」 で俄然勢いづき、この流れで引き続き読んでみようとアマゾンサイトを物色中、ちょっとそそられるタイトルの本が目に留まった。「月は無慈悲な夜の女王」・・・うーん、意味わからんけど、何とも不思議なタイトル。おまけに、「ヒューゴー賞受賞のハインライン最高傑作」とある。おおっ、文庫本なのに1200円以上するなんて、きっと分厚い本に違いない・・・ふふっ、相手にとって不足はない・・・かも。

 少しひるみつつも、内容をもう少し知ろうと訪れたホームページには原題が記されてあった。「The Moon is a Harsh Mistress」・・・おいおい、なんだか見覚えがあるぞ。というか、前々回のブログで紹介したニルス・ラングレンのアルバムにも入っていた僕の大好きな曲のタイトルと同じだ。偶然の一致と思えるほど単純なタイトルでもないので、何か関係があるのだろう。ということで、またまたアマゾンでポチってしまった。

 送られてきたその本は予想通りの分厚さ、700ページ近くある大作だった。もし店頭で遭遇していれば、確実に戦意を喪失しそうな重量感だ。とはいえ、まだ 「夏への扉」 の余韻も残る中、海外SF小説を畳みかけて読むべし!読むべし!読むべし!と、「明日のために、その1」風に、早速とりかかったのだが・・・これがなかなかの曲者。一筋縄では行かなかった。

 原作は50年以上前に発表されたものだが、作品の舞台は2075年の人の住み着いた月世界社会である。地球での罪人の流刑地からスタートした月世界は、既に2世、3世もいる地球の植民地として、自治政府に管理されている。その中で、主人公であるコンピューター技術者・マニーと、自意識を持つAIコンピュータ・マイクが、月世界独立を目指す仲間と関わり、時期を得て独立戦争を仕掛け、地球からの独立を勝ち取るというストーリーだ。

 海外SFの初心者と言ってもいい僕にとって、この本を読み切るのは大変だった。単に長いだけではなくて、戦闘ものの要素もあり、そこに現代と全く作法の違う未来社会の詳細の描写が加わって、ある意味非常に読みにくい。エキサイトして前に進むところももちろんあったのだが、夜眠る前の読書では、ボーっ読んでいるとすぐに眠気が襲ってきて、遅々として進まない。結局ひと月近くかかって、なんとか最後までたどり着いた、というのが正直なところだ。

 感想は?と問われると、何とも複雑である。様々なところでAIが脚光を浴びている現在の視点からも興味深い部分が無くはない。しかし、SFに興味のない人に積極的にお勧めできるか、と問われると・・・なかなか難しいかな。マニアックな人にとってはたまらないんだろうけどね。

 本国アメリカでは「夏への扉」以上に、本作は人気で、今でもSF小説のオールタイムベストでは常に上位に位置しているようだが、日本ではいまいちというのは、分からなくもない。アメリカの独立戦争を思わせる戦いのストーリーは、彼の国の心の部分に訴えかける何かを持っているのだろう。

 

 ところで、今やスタンダードとも言える同名の曲「The Moon is a Harsh Mistress」との接点なんだけど、読んではみたものの、感じ取ることができなかった。小説の雰囲気がこの曲にあるのか、と問われても何とも言えないし、その歌詞もちょっと不思議な感じだけど、直接は結びつかない。

 曲の作者はソング・ライターとして有名なジミー・ウェッブ。アメリカンポップスの黄金時代、「ビートでジャンプ」や「マッカーサー・パーク」、「恋はフェニックス」などの作者として、何度もグラミー賞をとった人物である。

 この曲は、ジミー・ウェッブが1977年に発表した自身のアルバム 『エル・ミラージュ』 に入ってはいるが、その数年前からジョー・コッカーグレン・キャンベル、ジュディー・コリンズなどもアルバムで取り上げ、その後もリンダ・ロンシュタットケルティック・ウーマンなど、現在に至るまで本当に数多くのミュージシャンに採用されている。しかし、シングル曲としてヒットチャートに乗ったことは一度も無いというのだから不思議だ。

 この曲の日本語タイトルは、日本盤の 『エル・ミラージュ』 を見れば、「月はいじわる」とある。月を彼女に見立てて、近そうで遠い、温かそうで冷たくされる、そんなちょっと大変な恋を歌っているようであり、小説との共通点を見出すことはできない。

 調べていると、ある音楽誌のインタビューでウェッブ自身が語った記事を見つけた。それによると、ジミー・ウェッブは子供の頃から、学校で学ぶ以上にたくさんのことをSF小説から学んだと言えるほどのSFマニアだったようだ。そういう彼が、ハインラインの小説のタイトル「The Moon is a Harsh Mistress」を見て、これまで出会った中で一番のタイトルだ、と感じた。そのタイトルを使って曲を作りたいと思った彼は、ハインライン本人に確認をとり、タイトルの使用を許されて曲を作り、世に出したという。

 

 さて、僕はこの曲をいつ頃知ったのだろう。おそらくは、パット・メセニーチャーリー・ヘイデンのデュオアルバム、『ミズーリの空高く』 で初めて聞いたように思う。このアルバムは1997年の発売直後にかなりのめり込んで聴いていたので、特に意識することなく、そのアルバムの中の一曲として僕の中に定着した。しかし、タイトルを特定できるほど印象的だったわけではない。

 

 この曲が、そのタイトルと共に僕を完全にとらえたのは、北欧ノルウェーの伝説的女性シンガー、ラドカ・トネフとピアニストのスティーブ・ドブロゴスのデュオアルバム 『Fairytales』 での静かな歌と演奏である。

 このアルバムは、1982年のリリースだが、その直後にラドカ・トネフは自ら命を絶ち、30年という短い生涯を閉じたという。そうした悲劇的な結末を思い描くからだろうか、全般的に不安定さや線の細さを感じてしまう部分もあるのだが、そこでの魂の火を揺らすような静かな歌唱とクリアで静謐なピアノサウンドは、聴くものをしっかりと捉える。今でもノルウェーでのベストジャズアルバムに選ばれるほど、このアルバムの母国での評価は高いのだが、その冒頭を飾るのが、「The Moon is a Harsh Mistress」なのだ。

 近くに見えて遠い、温かな色なのに冷たい。この曲の持つ月の二つの表情を、彼女は自らと重ねていたのだろうか。数年前にこの演奏を聴いて以降、僕の中でのこの曲のイメージは、このアルバムと重なっている。

 

 同じハインラインSF小説が起点ではあっても、山下達郎の「夏への扉」の場合と違い、タイトルは借用したものの、内容は小説とは全く違っていた。その違いは、二つの日本語タイトル、「月は無慈悲な夜の女王」と「月はいじわる」にも表れているのだろう。

 でも、本当にそうなのかな。小説を読み終えてしばらくたつが、なんとなくその基調に流れるものは、音楽の印象と一致しているように感じ始めているのはどういうことだろう。それを確かめるには、再読しかないのだが・・・・・・うーん、やめておこうっと。

 

 

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夏への扉

 「夏への扉」という小説のタイトルは、これまで何度か目にしたことがあった。それは、読書をテーマにした雑誌の特集記事でのことだったと思うが、日本の小説ではなく外国文学であるということを知ったくらいで、特に触手が動いたわけでも、内容を確認したわけでもなかった。

 タイトルからは、夏の海が舞台の青春小説のようなものを漠然と思い描いていた。そういえば、夏がばっちり似合う山下達郎の古いアルバムの中にも「夏への扉」という曲があったなあ・・・あれ?「夏の扉」だったっけ。あ、それは松田聖子か・・・なんてことも思った。

 そういう記憶がまだ残っていた今年の春、NHKの番組 『プロフェッショナル 仕事の流儀』で、またまた「夏への扉」に遭遇した。その回のタイトルは、「運命の一冊、あなたのもとへ ~ 書店店主・岩田徹」。北海道砂川市の小さな書店の店主・岩田さんが、予算1万円で客に合った本を選ぶ「1万円選書」を行っていて、今や全国から注文が殺到、3000人待ちになっているという。その超人気店主に密着したものだった。

 その中のワンシーン。店内に山積みされている本の中に、表紙に猫の後ろ姿をあしらった文庫本「夏への扉」があるのが目に留まった。と、岩田さんはおもむろにそれを手に取って、「こういう古い本をね、入れるんですよ。」「いい本だから、こういうのを読まないで過ごしちゃうのは非常にもったいない。」と、熱っぽく語っていた。うーん、そこまで言われると読むまで死ねません・・・

 その言葉によって暗示にかけられていたのだろうか。先月、夏用に何冊か本を買っておこうと思いたった時、最初に頭に浮かんだのが「夏への扉」だった。今やそう決めると後は早い。スマホでポチッとやると、翌日には手元にあるのだ。

 なんと「夏への扉」は全くの予想外、アメリカのSF作家、ロバート・A・ハインラインが1956年に発表した古いSF小説だった。SFの本なんて滅多に読むことが無い。別に意識しているつもりはなかったが、「SF」しかも「海外モノ」というだけで、無意識に敬遠してきたジャンルだったのだろう。恐らく遥か昔、まだ中学生に成りたての頃、その手の海外モノに何度かトライしたような気もするが、細かくて理屈っぽくてすぐに嫌になったような記憶が微かにあった。

 でも考えてみると、子供の頃、読書の習慣がほとんど無かった僕が本を読むようになったのは、星新一のSF短編からだったし、その後、筒井康隆眉村卓SF小説をワクワクしながら読んだことも思い出した。そうそう、NHKで夕方放映されていた少年ドラマシリーズの「タイムトラベラー」や「なぞの転校生」を楽しみにしていた時代。別にSFと無縁だったわけではないのだ。ただ子供の頃の一時期に親しんだジャンルだっただけに、大人になって読むのは少し抵抗があったのかもしれない。

 

 さて、そういう経緯で読んだ「夏への扉」は、確かにとてもいい本だった。最初慣れるまでは少し戸惑うところもあったが、1章が終わったあたりからは、俄然スムーズに読み進められるようになり、どん底の主人公が自ら行動を起こし続けてどんどん事態が好転、最後のハッピーエンドに向かうあたりではそのまま読み終わるのが惜しいような心持ちになった。

 この古典的SF小説は、海外よりも日本での人気が高いということも後で知ったのだが、恐らくは、冷凍睡眠(コールドスリープ)とタイムトラベルを絡めたSF的なアプローチではあるものの、その時空を超えたピュアでロマンティックなストーリーがジャンルを超えて受け入れられたことが要因なのだろう。それに加えて、勧善懲悪のスカッとする話の流れ、さらにはピートという主人公の愛猫が随所で物語に絡み、タイトルにもつながる重要な役回りを演じていることも、その人気を後押ししているのかもしれない。

 それとは別に、僕が大変興味深かった点がある。この小説では、その想定社会の社会構造やシステム、登場するモノやそれを利用するシチュエーションについて、随所に詳細な記述が成されている。恐らくかつて、海外SFに感じていた細かさはこういう点だったのだろうが、実はこれこそがこの種の小説の醍醐味なのだろうと理解した。しかし、これが実に面白いのだ。というのも、書かれたのが1956年。舞台は近未来の1970年と、その30年後の2000年である。作者は、その恐らくは自分自身生きていないであろう21世紀の始まりをいろいろ想像し、僕たちは、そこからさらに18年後の2018年の視点で、現社会の実像を知りつつ小説を読む。

 例えば、まだまだフェイルセイフ方式が十分でないため、自動車の自動運転装置を時に手動に切り替えながら運転している近未来(1970年、早い!)の記述や、現在のロボット掃除機にあまりにも似ているハイヤード・ガールと呼ばれる自動掃除機など、60年以上前にそれらのアイデアだけでなく、その実現における問題点や考察点が既に語られていたことに、新鮮な驚きがあったのである。

 現代の視点からこういう古典的SFを読むことの面白さを実感し、毛嫌いせずに、もう少し読んでみようと思わせる内容だった。

 

 ということで、今日の一枚。小説「夏への扉」が、ハヤカワ文庫として気軽に読めるようになったのが1979年。その翌年、僕が大学に入った1980年に発売されて大人気になったアルバム。ということで、冒頭に書いた山下達郎の「夏への扉」が入っている僕の長らくの愛聴盤 『Ride On Time』 にしようと、引っ張り出してじっくり聴きなおしてみたわけだけど・・・

 う~ん。なんとも迂闊だった。いままで38年間、何度も聴いたはずなのに。「ボ~っと聴いてんじゃねえよ!」と、チコちゃんに叱られそうだが、この山下達郎の「夏への扉」は、なんとハインラインの「夏への扉」のストーリーそのものだったのである。

 実はこの曲は、キーボードでも参加している難波弘之のアルバムのために吉田美奈子が詞をつくり山下達郎が書き下ろした曲らしい。難波氏はSFマニアで、そのアルバムは名作SFのイメージソング集ともいうべき何ともマニアックな企画盤だったという。即ち、「夏への扉」は、そのタイトルの通り、ハインラインSF小説のストーリーをもとに作られた曲であり、その曲を作曲者の山下達郎が新譜に合わせて新たにレコーディングし直したものだったのである。

  ☆ Link:Door in to summer / Hiroyuki Namba

 よく聴けば、猫のピートも登場し、主人公が同僚の義理の娘・リッキーを呼ぶときの言葉遊び「リッキー・ティッキー・タビー」(キップリングのジャングルブックに登場するマングースの名前)まで、印象的なサビの部分に何度も出てくるではないか・・・今まで一体何を聴いていたのだろう。

 と、気を取り直し、改めてこのアルバムを聴くと、やはり輝きを失うことのない超名盤であることを実感する。当時は、普段テレビに登場しない動く山下達郎がマクセルのカセットテープのCMにいきなり登場して驚いたが、そのバックに流れる楽曲「RIDE ON TIME」は大ヒットした。この曲が山下達郎の初めてのヒット曲だったが、その後しばらくして発売されたアルバム『RIDE ON TIME』は、その時代を象徴するアルバムとなり、僕も心躍らせながら聴いたものである。ビートのしっかりした弾むようなドラムス、ベース、エレクトリックギターに、これまた弾むような厚めのブラスセクション、多重録音も含めたコーラスが重なる今も聴けば山下達郎とわかるサウンドの特徴は、あの頃から変わらない。

 「夏への扉」の小説と音楽にこんな接点があったなんて思いもよらなかったが、よくよく聴けば、この「RIDE ON TIME」も、「夏への扉」の世界を歌っているようにも聞こえてくる。時を駆けて時を超える。希望に向けて今動き出す世界・・・・・・案外、「RIDE ON TIME」の起点も、「夏への扉」だったのかもしれないね。

 

 

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The Moon, The Stars And You

 何気なく聴いた音楽が、思いがけず心に沁みることがある。

 とあるコンピレーションアルバムの中の一曲。音楽を流しながら拡げた雑誌に目を落としつつも、文字を追っていたわけではなく、考え事をしていた。そんな中でこの曲に意識が行ったのは、バッハの無伴奏を思わせるような、開放弦の響きが印象的なチェロの前奏に、ふと耳が留まったからだろうか。

 ゆったりとテンポをとるピアノとドラムス、ベースが続き、やがて少しかすれた男性ボーカルが重なる。決して流暢ではないけれど味のあるその声は、思い切りやさしい。心惹かれるシンプルで穏やかなメロディーは、初めて聞いたはずなのにどこか懐かしくさえある。どうしようもない堂々巡りの思考を氷解させてくれる音の流れに、心ならずも胸が詰まってしまった。誰の演奏かは不明だったが、時にこういうこともある。

 途中、間奏にトロンボーンのソロが入る。これがいい。チェロとトロンボーンと渋い男性ボーカル。音域的なマッチングはばっちりだが、その時ピンときた。そう、このどこか聞き覚えのある声とトロンボーンの音色・・・ニルス・ラングレンだ。

 ニルス・ラングレンは北欧・スウェーデンの誇るトロンボニストだが、シンガーとしても人気がある。以前、スタンダード曲を歌ったアルバムを聞いた時も、なんとも言えない味わいに惹かれたが、トロンボーン吹きとしては少しイメージが異なる。自らファンクユニットを結成し、ビートの効いたファンクミュージックを縦横無尽に吹きまくる、そんな印象だ。見た目もごっつい。ステテコ姿に雪駄で腹巻きでもして目の前に立たれたら、思わず謝ってしまいそうだ。

 多少の疑念を感じながらも、その優しい音楽の主を確認すると、やはりニルス・ラングレンだった。曲名は 「The Moon, The Stars And You」。 「月と星と君」 などとまあ、どの口が言うてんねんとツッコミたくなるような、その風貌にマッチしない何ともロマンティックな内容なのである。

 

 この曲の入った同名タイトルのオリジナルアルバム(2011年リリース)があると知り、早速入手した。これが、なんと前回(と言っても、ずいぶん前の話になってしまって恐縮ですが・・・)紹介したダイアナ・パントンのアルバム 『ムーンライト・セレナーデ ~月と星のうた』 と同様のテーマ、月と星にまつわる音楽をニルスが歌って吹く企画盤だったのだ。

 考えてみればジャズ向きの曲には、昼間の太陽より、夜輝く月や星の方が似合っているのかもしれない。少し違うのは、ダイアナ・パントンの場合は、シンプルな構成でスタンダードナンバーを中心に歌うアルバムだったのに対し、ニルスのアルバムは、自らのオリジナル曲も含め、もう少しバリエーションに富んだ選曲をしているところと、演奏面では世界中に幅広い交友関係のあるニルスならではの豪華さがあるところだろうか。

 アルバムは、キャット・スティーブンスの70年代のヒット曲 「Moonshadow」 で始まる。イントロは、ゲストでもあるリシャール・ガリアーノ奏でるアコーディオンの軽妙なソロ。バックを担うエレクトリックギターやパーカッションも含め、全体的に歪んだ印象の上に、穏やかに重なるニルス・ラングレンの声が、少し不思議な感覚でマッチしている。

 2曲目に置かれた前述の 「The Moon, The Stars And You」 は、ニルス本人とピアノの盟友ミハイル・ウォルニーの共作だった。クレジットにチェロは出てこないので、名ベーシストでチェロにも長けているラーシュ・ダニエルソンが弾いているのだろう。

 そのラーシュと、パートナーであるデンマークの歌姫セシリア・ノービーの共作 「Angels Of Fortune」 では、セシリアとニルスの素晴らしいデュエットを聞くことができる。

 たくさんの共演も果たしているピアノのジョー・サンプルやドラムスのスティーブ・ガッドというビッグネームもゲスト参加していて、ニルスのオリジナル曲 「Joe’s Moonblues」 では、ジョー・サンプルらしいソウルフルでブルースフィーリングに満ちた演奏を披露している。

 他にも、スタンダード曲としては、ヴァン・ヒューゼンの「Oh You Crazy Moon」やマンシーニの「Moon River」、変わり種としては、作者でもあるギタリストのジョアン・ボスコ自身が参加してニルスのボーカルと軽妙にかけあうブラジリアンポップの名曲 「Holofotes」 やファンク・トロンボニスト/ニルス・ラングレンの側面を少しだけ垣間見ることができるハービー・ハンコックのアーバンメロウなダンスナンバー 「Stars In Your Eyes」 などもしっかり配置されている。

 しばしば共演しているビッグバンドやオーケストラのサウンドも印象的だ。僕も大好きなジミー・ウェブの名曲 「The Moon’s A Harsh Mistress」 では、NDRビッグバンドを率いて、この編成ならではの響きを気持ちよく聞かせてくれる。最後の曲 「Lost In The Stars」 はクルト・ワイル作のミュージカルナンバー。この曲をバックで演奏するのは、ニルスの母国スウェーデンロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団という豪華さだ。重厚な響きに支えられながら、ニルスは穏やかに歌い、見事なソロを吹き、アルバムを締めくくる。

  やはりニルス・ラングレンはただのおっちゃんではなかった。トランペットを吹きつつ歌うジャズミュージシャンはたくさんいるけれど、歌うトロンボーン吹きは貴重だ。楽器がかさばるので、なかなかカッコよく両立できないのかも知れないけれど、こういう味のある二刀流ミュージシャンはもっといてもいいと思う。

 

 何気なく聴いた音楽が、思いがけず心に沁みることがある。その音楽の連鎖から、思いがけず広がる世界もある。音楽の海は広く深い。いや、今日のテーマで言えば、音楽の空は広く高い、かな。

 

 

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パントンケント揃い踏み

 「最近カナダのダイアナに心酔している」と書くと、ダイアナ・クラールのこと?なんて思われるかもしれないが、少し・・・いや、ずいぶん違う。ちょっとこわいダイアナ・クラールの声とは正反対のイノセント・ヴォイス。いわゆる、かわいい系の声だが、その声の置き方や音程の取り方にも、天性と思えるキュートな味わいがあるジャズシンガー。正解はダイアナ・パントンだ。

 2年ほど前、たまたま手にした彼女のセカンドアルバム『ムーンライト・セレナーデ ~月と星の歌』で、その声と雰囲気にたちまち捉えられてしまった。ベースやピアノのマルチプレイヤーであり彼女の師匠でもある巨匠ドン・トンプソン、ベテランギタリストのレグ・シュワガーと3人で紡ぐ「月と星」をテーマにした音楽は、眠りにつく前の精神安定剤、時には極上の睡眠導入剤にもなってくれた。

 聞きなれたスタンダード曲を、既に埋もれてしまったようなヴァースの部分も含めとても丁寧に歌う彼女の解釈は、その曲の持つ新しい魅力にも気づかせてくれる。たとえば「Fly Me to The Moon」。ヴァースをカットしたフランク・シナトラのバージョンが有名だが、彼女が歌うのは、もちろんヴァース付きだ。

 「Quiet Nights Of Quiet Stars」はアントニオ・カルロス・ジョビンの名曲「コルコヴァード」の英語版タイトル。ボサノヴァも大好きな彼女は、この曲を最初フランス語で歌い、間奏後に英語で歌っている。聞き慣れているのはポルトガル語や英語だが、アルバムを何度か聞くうちに、この曲はむしろフランス語の語感に合っているように思えてくる。

 他のアルバムも含め、英語だけでなくフランス語で歌われている曲も多い。それもそのはず、彼女はフランス文学のマスターを持っていて、地元カナダ・ハミルトンの高校で教壇に立ち、時にはパリの大学でも教えているらしいが、その曲にはフランス語の方がふさわしいと判断すれば、フランス語のバージョンを歌っているようだ。

 日本盤のタイトル曲「Moonlight Serenade」や「Moon River」など、有名曲を深く理解して彼女独特の世界を作り上げるだけでなく、あまり聞かない古い隠れ名曲もじっくり掘り下げ歌って聞かせるスタイルは、柔らかいのに凛としたところもある彼女の音楽に対する姿勢を十分に感じ取ることができて、幸せな気分になるのだ。

 今まで8枚発売されているオリジナルアルバムも、それぞれに違ったコンセプトで丁寧に作られていて、一枚ずつ楽しみながら買い足していくうちに、いつの間にか全て愛聴盤になっていた。

 その声はブロッサム・ディアリーに似ているとよく書かれているが、確かにそうかもしれない。ただ、ブロッサム・ディアリーの音楽からは、その声を武器に自らを演出するショービズの匂いを感じるのだが、ダイアナ・パントンにその匂いは無く、どこまでもナチュラルでやさしい感覚だけが残るのだ。

 

 それよりもその音楽の類似性という点で僕の頭に浮かぶのは、ここでも何度か紹介しているステイシー・ケントだ。知的な印象や、声質・選曲での共通点もあるし、英語ベースでありながらフランス語を曲によって使い分けるところも共通している。強固なバックサポートの上で彼女たちが自由に羽ばたいているように感じるところも、似ているかもしれない。ステイシー・ケントの場合は夫であるサックス奏者のジム・トムリンソンが、ダイアナ・パントンの場合は師匠であるドン・トンプソンがデビュー以来一貫してプロデュースから演奏に至るまで、愛情を持って支えている。

 何よりその共通点も含め、僕自身の嗜好にぴったり来ているのだろう。様々なタイプの女性ジャズシンガーがいる中で、今やこのキュートな二人の音楽が、我が家のステレオセットを占拠する率は極めて高い。

 

 とまあ、そんなこんなで、僕を幸せな気分にしてくれている二人が、この秋、そろって新譜を出すという情報を数か月前にキャッチした。お店に行ったときに買いましょう、なんて悠長なことは言っていられない。とにかく出たらすぐ聞きたい。ということで、結構早くからアマゾンで予約のポチッを押していた。

 まず9月の終わりに届いたのが、ダイアナ・パントンの新譜、『シーズンズ ~美しい季節』だった。今回はフリューゲルホルンとサックスが加わった編成だが、やはりドラムレス。彼女の音楽でドラムスの入ったものは本当に少ないが、それはダイアナ・パントンの柔らかい声を殺さないようにとの配慮だろうか。

 このアルバムは四季をテーマにしている。春夏秋冬、それぞれの季節をうたった音楽は、やはり隠れ名曲の宝庫であり、図書館ガール、ダイアナ・パントンがじっくり探求し、咀嚼し、積み上げた音楽なのだろう。変わらぬ穏やかな雰囲気に満ちている。

 そんな中でひときわ目を引くのがボサノヴァの名曲「Estate(夏のうた)」だ。イタリアのポピュラーソングをジョアン・ジルベルトがイタリアツアーの際に見出し、自らのアルバムで歌ったことをきっかけにボサノヴァの定番になった切ない曲である。この曲を実に自然に歌うダイアナ・パントンの変わらぬ声。演奏がまたいい。レグ・シュワガーのギターとドン・トンプソンのピアノ、ベースのリズムセクションに絡むグイド・バッソのフリューゲルホルンは涙ものだ。

 通しではまだあまり聞けていないが、時間をかけてじっくり聴きたい一枚であり、またまた愛聴盤に仲間入りしそうなアルバムである。

 

 一方のステイシー・ケントの新譜「I Know I Dream ~ the orchestral sessions」は初のオーケストラ伴奏ということで楽しみにしていたのだが、発売日当日(10月25日)に手元に届いた。輸入盤の発売は11月10日ということだったので迷わず日本盤にしたのだが、こちらは新譜を待つ間にビッグニュースが入ってきて驚いた。

 5年ほど前にこのブログでステイシー・ケントのアルバムを紹介したが、そこでも触れた英国在住のステイシーの親友である作家のカズオ・イシグロ氏がなんとノーベル文学賞をとったニュースだった。イシグロ氏は自らミュージシャンを目指したこともある程のジャズフリークで、親友であるステイシー・ケントのために4曲の詞を書き下ろし提供、ステイシーの夫であるジム・トムリンソンが曲をつけ、そこで紹介したアルバムに入っていたのだった。(参照: 2012年12月15日のブログ

 そんな中で届いたアルバム「I Know I Dream ~ the orchestra sessions」を見てニンマリ。アルバムの包装の隅に、小さなシールが貼っていて、そこに「ノーベル文学賞作家、カズオ・イシグロ氏が作詞を手掛けた楽曲2曲収録」とあるのだが、包装の中の帯にもジャケットにも、そんな記述は一切なし。なるほど、突然のニュースで、出来上がってしまったCDにこの商機を逃すまいと大慌てでシールを作って貼ったんだろうなと、担当者の苦労が偲ばれたのだった。 

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 この2曲のうちの一曲が「バレット・トレイン(新幹線)」で、なんだか日本っぽいなあと思って聞くと、曲の頭に東海道新幹線の日本語アナウンスが入っていて、ちょっと苦笑い。まあ、日本人以外の人には、ただの雑音に聞こえるのだろうが・・・

 このアルバムはやはり豪華である。かつてはダイアナ・パントンに感じたような印象を、ステイシー・ケントに持っていたかもしれないが、月日は経って人気もどんどん上昇し、今や大御所の雰囲気さえ漂っている。ただ類似点はあっても、ステイシー・ケントには最初から華やかさがあった気がする。こうやってどんどん大きな舞台に上っていくのが似合っているようだ。

 ダイアナ・パントンの場合はどうだろうか。もちろん彼女の歌うオーケストラ作品も聞いてみたいが、やはり彼女の素朴さには、ドン・トンプソンのベースやピアノ、レグ・シュワガーのギターで静かにしっとり歌うのが一番似合っている気がするんだけど・・・

 そんなことを思いながら、二人の新譜をとっかえひっかえ聴き入る秋の夕暮れなのでした。

 

 

<関連アルバム>

I Know I Dream: the Orchestral

I Know I Dream: the Orchestral

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The Rose

 先日、NHKの音楽番組『SONGS』が「平井堅オールタイムリエストベスト」ということだったので、久々に録画して見た。平井堅といえば、最近は様々なタイアップ曲をちょこっと耳にするくらいだけど、少し前にはアルバムも購入して結構聴いていたんだっけ、なんて思いながら。でも、その「少し前」が実は十数年前だったことにハタと気づき、愕然として思考停止。我に返って気を取り直し、数枚あった当時のアルバムを引っ張り出してみたんだけど・・・

  確かにリクエスト上位の、当時のベタなヒット曲の入ったオリジナルアルバムもいいのだが、その中で最もよく聴いた大好きな一枚は、2003年に発売されたカバーアルバム『Ken’s Bar』だった。僕はおそらくこの一枚で、この人の音楽に対する真摯な姿勢やセンスの良さを実感し、共感したのだ。

 このアルバムは、最近やたらに流行っているカバーアルバムブームの先駆けと言えるかもしれない。ただ単なるカバーではなく、全く売れていない時代から自ら定期的に行っていたカバー曲中心のアコースティックライブを再現したような作りになっているのがミソだ(あくまでスタジオ録音ですが)。会場に向かう足音や2部構成の合間に入るドリンクタイムの喧騒などの効果音もさることながら、そのピアノやギターを中心としたライブな音作りは、親密で落ち着いた雰囲気を演出する。確かに静かにグラスを傾けたい気分になる。

 このアルバムの贅沢さを書けばきりがない。キャロル・キングの「You’ve Got a Friend」をポール・ジャクソン・ジュニアのアコースティックギターに合わせてデュエットするのはレイラ・ハサウェイ。レイラの父、ダニー・ハサウェイはこの曲をロバータ・フラックとともに歌い大ヒットさせた。まだ世に出て間もないノラ・ジョーンズの「Don’t Know Why」は、作者であるジェシー・ハリス自身のアコースティックギター伴奏によるNY録音だし、平井堅が幼少期の思い出とともに大切にしてきた曲「大きな古時計」は、矢野顕子の自由闊達なピアノ伴奏にのせる、などなど、それぞれの曲でのワンポイントが、まあとんでもないのだ。おまけに最後に、その年の紅白歌合戦でも話題になった坂本九とのバーチャルデュエットによる「見上げてごらん夜の星を」を配する。そりゃあ売れないわけがない。

 その中で僕にとって圧巻だったのは、当時若干20歳のジャズ系のシンガーソングライター、ピーター・シンコッティのピアノによるオープニングのインストゥルメンタル「even if」(これは平井堅の作で、前述の『SONGS』でのリクエストNO.1でした)に始まり、それにつながるピアニスト塩谷哲(しおのやさとる)のピアノ伴奏によるベット・ミドラーの「The Rose」、長年バックを務めてきた鈴木大のピアノ伴奏による桑田佳祐の「One Day」へと続く、ピアノサウンドが美しい冒頭3曲である。

 特に「The Rose」をこのアルバムで最初に聴いた時は、思わずハッとさせられて、しっかり聞き入ってしまった。塩谷哲の澄み切ったピアノサウンドと抜群のアレンジ、それに絡んでくる平井堅の高音域の声の情感は、一気にそこから二十数年前の記憶を呼び起こさせてくれたのだ。今でこそこの曲は多くの日本人ミュージシャンにもカバーされ、2年前にはベット・ミドラーのオリジナル版がテレビドラマの主題曲にもなったりして、頻繁に耳にしている気がする。しかし当時そういう感覚を持ったのは、まだあまりカバーされていなかったことと、男性が歌うことの意外性、そしてその演奏からストレートに感じた救われるような清新さが、過去の記憶と呼応してよみがえったからだと思う。

 

  「The Rose」は1979年に公開された同名のアメリカ映画の主題歌である。一般的には、60年代を代表する夭折のロックシンガー、ジャニス・ジョプリンをモデルにした映画のように思われているかもしれないが、少しニュアンスが違う。元々は、ジャニス・ジョプリンの伝記映画を製作しようと企画されたのだが、最後まで遺族の許可が得られなかったという。そういう中で、当時すでにブロードウェイで歌唱力、演技力共に認められ大人気だったベット・ミドラーが主演に決定したことで、急遽彼女のイメージに合わせて60年代のロック・シンガーの総体として架空の歌手ローズを仕立て上げ、それに合わせてオリジナル・ストーリーに書き換えたらしい。

 僕はこの映画を、大学の4年間に3回映画館で観た。最初に観たのは恐らく1980年の年末。入学した年だが、福岡・天神にある名画専門の「センターシネマ」で一人300円で観られたのだ。その年の春先に主題歌の「The Rose」が、ビルボードのヒットチャートを賑わしたことを知っていたので、そういうヒット作が一年遅れで安く観られたことを喜んだ記憶がある。3回とも同じ映画館だったが、飽きもせず上映のたびに足を運んだし、恒例の「2度観」をしたこともあったと思うので、延べにすれば4,5回は観たことになる。もちろんパンフレットも買った。

 にもかかわらず、ストーリーの詳細部分をほとんど覚えてないのはどういうことだろう。もちろん自らの弱さや脆さを隠すために、酒や麻薬の力も借りながらステージに上がり観客を熱狂させる姿は印象的だったし、その激情ゆえに愛に溺れ、傷ついていく流れだったことは覚えているのだが、その話の内容に共感した記憶もあまりないし、そこに60年代のアメリカを見た、などという社会的な問題意識を持ったわけでもない。それでも何度も足を運んだ理由は、ただシンプルにそのステージシーンの素晴らしさと、そこに生き、そこに散ったローズの生を、何度も追いかけたかったからだろう。

 ひとつだけはっきり覚えているのは、恐らく感動的に流れるのだろうと思っていた「The Rose」の主題曲が、最後の場面からエンドロールにかけて流れる際、シングル発売されたものよりもテンポが速くさらっとしているように感じて、その映像からも決して感動的に終わろうとしたわけじゃないんだな、と思ったことだ。シンプルな曲にシンプルな歌詞。それはローズの寓意に満ちた人生を淡々と歌っているように聞こえたのだ。

 

 このロックンロールを主体とした映画にあって、ぽつんと咲いた一つの花のような主題歌「The Rose」は、当時アルバムも出していなかった無名のシンガーソングライター、アマンダ・マクブルームの楽曲である。この映画の音楽監督であるポール・ロスチャイルドはこの曲をプロデュース陣に主題歌として推薦したが、「退屈で讃美歌のよう。ロックンロールではない。」と却下された。それでもあきらめきれなかったロスチャイルドは直接ベット・ミドラーのところに持ち込み、結局彼女がこの曲を気に入ったため最終的に採用されたらしい。

 いずれにしてもこの静かな主題歌は思いがけず大ヒットした。ビルボードのヒットチャートを3位まで駆け上がり、ベット・ミドラーはこの一連の歌唱によりグラミー賞の最優秀女性ポップボーカル賞を受賞した。音楽監督の狙いが的中した、ということだろう。ちなみにポール・ロスチャイルドジャニス・ジョプリンの「パール」など数々の名盤をプロデュースした人物であり、その背景からも、この曲にこだわったことは非常に感慨深い。

 一方、「The Rose」の作者、アマンダ・マクブルームは、この楽曲によりゴールデングローブ賞の主題歌賞を受賞し世に出た。日本ではほとんど知られていないが、その後も地道に歌手、ソングライター、女優として活躍していると聞く。今年70歳になる彼女にとっても、この曲は転機となるものだったのだろう。既にスタンダード・ナンバーとも言えるこの曲を、今も大切に歌い続けているらしい。

 

 

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ゆく夏を惜しめない

 ゆく夏を惜しむ。そんな表現が妙に懐かしい。今や、ゆく夏を喜んで見送ることはあっても、惜しむことなど、ほとんどなくなってしまった。夏によく行った海にも、今は全く行かなくなった。この夏帰った四国でも、一度も海に近寄らなかった。唯一海の表情を垣間見たのは、大阪に戻る途中、瀬戸大橋にあるサービスエリアからだった。そんな海を見ても、心躍ることは無い。大好きだった夏のさわやかさや鮮やかさの記憶は、最近の不快なほどの夏の表情に、かき消されてしまったのだろうか。

20170910-1

 若い頃は、お盆も過ぎて9月の足音が聞こえはじめると、それまで遠くに見えていた「ゆく夏」の背中が、急に近くに迫ったような気がして、少し寂しく感じたものだ。

 

 泳ぎ疲れて、そろそろ引き上げようかと上がった後の冷えた体。背中に当たる日差しに、もう真夏の鋭さはない。かすめる汐風にも、心なしか初秋の気配を感じたりする。肌寒さを感じる前にシャツを引っ掛け、もう夏も終わるんだなと実感しながら、海の向こうにかすむ島々を見つめる。ゆったりとした時間が流れる中で、友人のつま弾くギターの音が心地よく響く...

 キングス・オブ・コンビニエンスの2009年のアルバム 『Declaration of Dependence』のジャケットは、そういうシチュエーションを想わせる。もちろんバックに流れ始めるのは、アルバムの冒頭を飾る「24-25」だ。

 

 キングス・オブ・コンビニエンスはノルウェー出身のアーランド・オイエ(Erlend Øye)とアイリック・ボー(Eirik Glambek Bøe)によるデュオグループで、二人の奏でるアコースティック・ギターのフレーズと力の抜けたコーラスの気持ちよさに、僕は一時つかまってしまった。静かに浸透する麻薬のような音楽は、ずっと聴き続けていたいという衝動を連れてくる。

 その気持ちよさの背景にはっきりあるのは、フレーズの反復性だ。冒頭から提示される2小節や4小節のギターを中心とした伴奏フレーズが、少しずつ形を変えながら繰り返される。そこにサイモン&ガーファンクルを彷彿とさせるコーラスが乗ったり、ビオラやピアノなど、ちょっとしたアコースティック楽器が花を添えたりする。

 一定の振幅を決して逸脱しないミニマルな音の流れにのせられた、囁くような歌声が醸し出す繊細な感覚は、ボサノヴァに通じるところもある。もちろんノルウェー出身のグループということで、北欧特有の抜けた感覚も持ちながら、ノルウェー語ではなく全編英語で歌われるその音楽の反復性には、ダンスミュージックやエレクトロニカに通じるような今風の音楽的ベースも感じるのだ。

 

その音楽から様々な感慨を受け取って、たった一枚でファンになってしまった僕だが、そこからさかのぼり、2004年のアルバム 『Riot on An Empty Street』 、2001年のアルバム 『Quiet is the New Loud』 も入手し、繰り返し聴いた。そして、その内容は決して期待を裏切らなかった。

 完全な形のオリジナル・フルアルバムはこの3枚だけだが、もうずいぶん新作が出ていない。解散したという話も聞かないが、この二人はそれぞれ個別のサイドグループやソロで新作を発表しているようだ。それがどういう方向性なのかはわからないが、今度ぜひ入手して聴いてみようと思っている。その音楽は、「ゆく夏を惜しめない」僕に、また「ゆく夏を惜しむ」気分を味わわせてくれるのだろうか...身勝手な期待だけが膨らむ。

 

 

<関連アルバム>

Quiet Is the New Loud

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ブルーに生まれついて

 「チェット・ベイカーの音楽には、紛れもない青春の匂いがする。ジャズ・シーンに名を残したミュージシャンは数多いけれど、「青春」というものの息吹をこれほどまで鮮やかに感じさせる人が、ほかにいるだろうか?  ベイカーの作り出す音楽には、この人の音色とフレーズでなくては伝えることのできない胸の疼きがあり、心象風景があった。」

 和田誠がジャズ・ミュージシャンの肖像を描き、村上春樹が愛情に満ちたエッセイと共に、自ら所蔵している愛聴盤LPを紹介したジャズ・ブック「ポートレイト・イン・ジャズ」は、冒頭の書き出しで始まる。単行本だと2巻構成、それぞれ26人ずつのジャズ・ミュージシャンをとりあげているのだが、文庫になる際に3人加えられ、一巻のみで合計55人を取り上げたイラスト・エッセイ集となった。その最初に描かれたミュージシャンがチェット・ベイカーであり、やはり気になるミュージシャンの筆頭だったのかもしれない。

 「青春の匂い」と言われると、確かに若い頃のチェット・ベイカーはそういう感じだったかな、と思ってしまう。まっすぐで溌剌としたトランペットと、ソフトで中性的なささやくようなボーカルは、不思議にマッチしていた。もちろんその頃のチェット・ベイカーも好きだが、70年代半ば以降の、老成し、より憂いを増したチェットも、独特の味があって捨てがたい。それはまるで、モノクロームの「青春の記憶」を慈しむような音楽とも言えるだろうか。思えば、「青春」には「胸の疼き」がつきものであり、その言葉そのものにも、うっすら憂いを含んでいる感触がある。

 

 このチェット・ベイカーを題材にした伝記映画「ブルーに生まれついて」が公開されると知り、11月最終の土曜日、封切りに合わせて観に行った。例によって関西では2館上映のみというマイナー感だが、梅田スカイビル・タワーイーストにあるシネ・リーブル梅田の100席ほどの館内は、初日にも関わらず観客は4割程度だった。

 チェット・ベイカーの映画と言えば、1987年に製作されたドキュメンタリー映画「レッツ・ゲット・ロスト」が思い出される。以前このブログでも触れたことがあるが、僕もジャズを聴き始めて数年目、チェット・ベイカーのアルバムもいくらか聴いていた頃で、当時毎月読んでいたスイング・ジャーナルで、その撮影はそれなりに話題になっていたと思う。その年には日本公演も重なって、年齢以上にくたびれた風貌のチェットの姿は、頻繁に誌面を賑わわせていた。チェットはその翌年、滞在中のアムステルダムのホテルの窓から転落死するのだが、直後に日本でも公開されたこの映画は、アカデミー賞のドキュメンタリー部門にもノミネートされた。

 今思えば不思議なのだが、僕はこの映画を観ていない。ここまで条件が揃えば、何が何でも封切を観ていてもおかしくないんだけれど・・・。後年、サウンドトラックのCDは入手したものの、DVDは輸入盤のPAL方式のものしか出ておらず、通常のプレイヤーでは再生できないようで、いまだに観ることができていない。

 映画「レッツ・ゲット・ロスト」は、最後までドラッグへの依存を断ち切ることができず、多くの問題を抱えながら生きてきた悪名高きジャンキー、チェット・ベイカーの人生を、本人も含め、彼に関わったたくさんの人達へのインタビューと音楽で紡いだもののようだ。「ブルーに生まれついて」で主役のチェットを演じているイーサン・ホークは、このドキュメンタリー映画を観てチェットのことを大好きになり、その音楽もまた深く愛するようになったと言う。俳優の道に進んでからも、チェットのことを色々調べる中で、いつしかチェット・ベイカーを演じてみたいと思うようになっていた。それがようやく叶ったのだ。同じく、「ブルーに生まれついて」の監督であるロバート・バドローもまた、長年チェット・ベイカーにこだわってきた。映画学校時代にはチェットのエピソードをモチーフにした短編映画「Dream Recording」を、2009年にはチェットの転落死の謎に迫った短編映画「チェット・ベイカーの死」も製作している。そういう背景の中で、チェットに取り憑かれた二人が出会い、今回の映画にたどり着いたという。

 映画「ブルーに生まれついて」は、チェットの生涯を描いたものではなく、60年代末から70年代初頭の、彼が最も苦しかった一時期だけを描いた物語である。麻薬に溺れ、演奏で滞在中のイタリアで捕まったチェットは、保釈中に自伝映画に出演する。そこで、別れた妻エレイン役を演じていた駆け出しの女優ジェーンに魅かれ始める。ジェーンは噂に聞く問題児のチェットを警戒しながらも二人は恋に落ちていく。その後チェットは、麻薬がらみの揉め事で襲われ、前歯を失ってまともな演奏ができなくなる。このトランペッターとしては致命的な状況で、借金もかさみ仕事仲間からも見放され、どん底の状態のチェットに、ジェーンは寄り添い、少しずつ回復していく彼を支える。二人三脚の努力で再起したチェットは、ディジー・ガレスピーの後押しもあり、再びチャンスを得て、バードランドの舞台に立つ。

 この映画は、どん底チェット・ベイカーが再起に至るまでのラブ・ストーリーなのだが、実はチェットを支えたはずのジェーンは実在しない。これは監督であるロバート・バドローが、実際は契約で揉めて撮影に至らなかった自伝映画が、実は撮影されていたという想定から作り上げたフィクションなのだ。しかし、自伝映画が撮影されていたこととジェーンの存在以外は、ほぼ事実に沿っている。

 そこに描かれているチェット・ベイカーは、人間的な弱さを随所にさらけ出してはいるものの、懸命に生きようとしている。ちょっと小心者で、常に不安で、ある意味素直な憎めないやつだ。ロマンティックで愛すべきチェットが、とても人間臭いチェットがそこにはいる。監督のロバート・バドローも主演のイーサン・ホークも、これまでの書物や映画で描かれてきたチェットの虚像を壊したかったのだろう。死ぬまで麻薬と縁を切れなかった、どうしようもないダメ人間としか映らなかった虚像を、彼ら自身がチェットの周辺にいた人達と接して感じた方向に修正するために、フィクションという手法で、真のチェットの姿を描きたかったのだと思う。

 

 映画の非常に重要なシーンで、主演のイーサン・ホークは実際に2曲フルで歌っている。俳優であるイーサン・ホークにとって、それは大きな挑戦だったに違いないが、長い間、チェット・ベイカーを演じる準備をしていたと言うだけあって、さすがだった。

 一曲目はチェット・ベイカーの代表曲とも言えるスタンダード・ナンバー、「マイ・ファニー・バレンタイン」だ。この曲はチェット・ベイカー自身、最もお気に入りだったのではないだろうか。生涯を通じて、様々な演奏と歌が残されている。以前にも紹介した1954年の大ヒットアルバム『Chet Baker Sings』に入っているものもいいが、やはり僕は多少問題はあっても晩年の東京公演(1987年)の演奏あたりでのにじみ出る滋味の方に軍配を挙げてしまう。あるいはそれは、僕自身がそういう年齢に近づいてきたからなのかもしれないが・・・

 二曲目は同じく『Chet Baker Sings』にもあった曲、「I’ve never been in love before」で、実は僕自身、チェットが歌う中で最も好きなナンバーだ。この切なく響くロマンティックなラブソングには、確かに村上春樹の言うところの「青春」をストレートに感じさせるものがある。

 その2曲に比べ、この映画のタイトルにもなっている「Born to be blue」は、チェット・ベイカーの演奏や歌では、あまり馴染みが無い。アルバムとしては1964年にリリースされた『Baby breeze』に入ってはいるが、目立たない。僕も映画を観るまで、チェットの演奏は知らなかった。歌手のメル・トーメがロバート・ウェルズと共作したこの曲で頭に浮かぶのは、圧倒的にヘレン・メリルの歌にクリフォード・ブラウンのトランペットが重なる名演である。(アルバム『Helen Merrill (with Clifford Brown)』に収録)

 

 実は、最初に紹介したジャズ・ブックの姉妹本とも言える村上春樹和田誠の共著に、「村上ソングズ」というソング・ブックがある。ジャズ、スタンダード、ロックの名曲を29曲選び、その訳詞とエッセイにイラストと名演のCDジャケットを添えた本で、その中の一曲に、偶然にも「Born to be blue(ブルーに生まれついて)」が選ばれているのだ。

 その歌詞を深く読めば、この映画のタイトルにこの曲を選んだ理由がわかってくる。それはまさにチェットの心情を歌っているような内容であり、そういえばチェット自身もBlueを自らのテーマカラーと認識していたのではないかと思えてくる。

 英語の「Blue」は、日本人が思う「青」の感覚と違い、「憂い」の感情を多分に含んでいるのだろう。今や「ブルーな気分」と言えば、日本人でも「憂鬱なんやな」とわかる。日本語の「青」には、「未熟」の色合いが強く、「憂鬱」な感じは薄い。この文章の冒頭の「青春」という言葉だって、誰が最初に考えたのかは知らないが、「未熟」さを表しているのだろう。もちろん、「青春」だからと言って「blue spring」なんて訳しても全く伝わらない。youthでいいのだ。

 そういえば、チェットは晩年、ライブで「Almost Blue」という曲を定番のように歌っていた。先に紹介したドキュメンタリー映画「レッツ・ゲット・ロスト」のサントラ盤では、アルバムの最後を飾っている曲だが、これは1982年にエルヴィス・コストロがチェットの歌う「The thrill is gone」に触発されて書いたという。その歌詞は、まさにBlue。チェット・ベイカーのイメージを歌ったような内容だ。この曲をチェットも気に入り、ジャンルは違うが、ライブや録音でもエルヴィス・コストロとは交流があったようだ。

 こう書いて行けば、とことんブルーな気分になる映画のように感じるかもしれないが、そんなことは無い。決してハッピーには終わらないが、それでもなんだか気分は優しくなっていた。

 上映館を探しているときに、ネットでたまたま見たこの映画の評点はあまり芳しくなくて、観にいくのを躊躇してしまうほどだったが、僕にとってはとてもいい映画だった。映画が終わって、梅田スカイビル周辺で行われている、夜のクリスマスマーケットに繰り出し、ホットワイン(グリューワイン)とソーセージで体を温めたが、その時感じたホカホカした余韻は、決してワインのせいだけではなかったんじゃないかな。 

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<おまけ>

 エルヴィス・コステロの「Almost Blue」もぜひ。

 そうそう、そういえばエルヴィス・コステロの奥様である、ダイアナ・クラールもこの曲、歌ってました。そちらもぜひ。

 

 

<関連アルバム&Books>

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