11月も終盤を迎え、師走の後姿が見え始めた。ほんの少し前まではまだまだ暖かくて、本格的な紅葉シーズンの頃には一息つけるかな、なんて思ってたんだけど...そんな余裕なんて無いまま紅葉も真っ盛りを迎えたようで、この週末を越せば一気に冬の様相に変わっていきそうだ。
大好きな季節なんだけど、また今年も「正しい秋」を感じることなく過ごしてしまった。と言っても別に紅葉を見に行きたいと願っているわけでもないので、それはそれでいいんだろうけど...ただそんな僕でも、聴く音楽だけは自然と変化を見せる。僕にとっての季節感は、先ずは音楽の中にある。
この秋口、暑い時期によく聴いたブラジル音楽と入れ替わるように、自然と聴く回数が増えた音楽の中の一枚を今日は紹介しよう。昨年リリースされたジェイムス・ブレイクのデビューアルバム 『James Blake』 だ。
これまでも何度か触れてきたが、昨年の震災以降、聴くことのできる音楽がかなり偏った時期が長く続いた。その頃、タワーレコードに行くとよく訪れたアンビエントやエレクトロニカのコーナーに、このアルバムが並んだ。インスト系のアルバムばかりの中で、どうも歌が入っていそうなこのアルバムは少し異質だった。そのうち、ポップスコーナーにも展示されるようになるに至って、気になり始め手に取ったのだが、その日本盤の帯にはこうあった。
「『未来が聴こえるか』 音楽の境界線を破壊し、それを超越していく存在 - ジェイムス・ブレイク - サウンド、ヴォイス、沈黙、リズム(もしくはリズムのなさ)、じらし、そして緊張感 - ダブステップの枠を越え、独自の音楽的宇宙は拡大し続ける」
ダブステップというのは、2000年台の前半にロンドンのダンスシーンで誕生したエレクトロ・ダンス・ミュージックの一種で、フィルターをウネウネかけた太いベース音と、リバーブをかけたドラムパターンが特徴的だが、なによりもその帯の言葉になんだかとても興味をそそられ入手する気になった。昨年の秋口のことである。
確かに音はとても先鋭的で、ポスト・ダブステップといわれればそうかもしれない。しかし僕には、その底に拡がるどこかメランコリックでひりひりするような世界がとても心地よく、そのマッチングに少なからず衝撃を受けた。ただその年は数回聴いただけで終わってしまい、しっかり聴くようになったのは、今年涼しくなってからである。
今やじわじわとその世界に魅せられてしまっているのだが、この人の音楽には確かにある種の音楽の未来が聴こえる。それは決してダンスミュージックの未来ではない。ひょっとしたらシンガー・ソング・ライターの未来形なのかもしれない。ギターやピアノで自らの世界を表現するように、電子楽器やパソコンを使えばこの世界は専門家でなくても組み上げられる時代になった。そういう中にあっても重要なのは、やはり楽曲そのものであり、その心なのだ。表現方法は違えども、作り上げるものは自らの音楽世界。彼はダブステップの手法でその世界を築くことを選んだのだろう。そこにはジャンルを超越した表現世界が拡がっている。
最近、EP盤 『Enogh Thunder』 も発売され入手したが、明らかに宅録っぽい実験的な音楽の合間になんとピアノの弾き語り曲が入っていた。ジョニ・ミッチェル「A Case of You」のカバーだ。
この世界こそが、彼の音楽の芯の部分なのだろう。シンガー・ソング・ライターでありながら、自らプロデューサーでもある彼が、その表現として選んだのが、たまたまダブステップだっただけなのだ。
先鋭的な音、そしてその芯にある音楽の心。その先の世界を思うとわくわくする。24歳になったばかりの彼の音楽に、今僕は純粋に惹かれているのだ...
このロンドン出身の若者が生み出す音楽を聴きながら、ふとこれと似たような感覚を、ずっと昔に感じたような気がして、しばらく過去の記憶を辿っていた。そして思い至ったのは、僕が高校時代、たまに名前は耳にしていた英国のロックグループから、天啓のように届けられた新しい音楽だった。これもやはり英国発。ロックバンド・10ccの「I'm not in love」である。
このときも、ラジオから流れるその先鋭的な音にまず驚いた。こんな音どうやって作るのだろうと思った。時はアナログの時代だ。息継ぎの全く感じられない延々と続くスペイシーで立体的なコーラスサウンド、その空間を浮遊するフェンダーローズ、サンプラーも無い時代にまるでサンプリングでもしたかのような加工されたボイス。そして何より楽曲のもつメランコリア。う~ん、今聴いても奇跡のような音楽である。
あれから40年近くを経て、その音作りやアイデアがどのように生まれてきたのか色々明かされてきた。「I’m not in love」は、常に他人のやらない新しい音楽を求めてきた彼らが、アイデアをお互いに出し合い構築していったものだ。あの継ぎ目のないスペイシーなコーラスは、3週間かけて自分たちの声を一音一音録音し、48声・13音階(合計624声)のテープループを切った貼ったで作成して生み出された。サンプラーやパソコンのある現在でも結構大変だろうが、その気の遠くなるような作業を結果を信じてやり遂げ、この素晴らしい音が生まれたのである。さらにはその世界を壊さないように生音を使わずムーグシンセで発生させた弾けるようなキック音。彼らの秘書が実際につぶやいたボイスの反復。オルゴールなどの様々なSE音。その合間を縫うように漂うベース。今で言えば、まさに宅録的なアプローチを繰り返した音楽だが、全ての音が今でも通用するクオリティーであることに驚く。ひとつ思うことはライブ性を大切にする彼らが、よくぞこの曲を没にせずアルバムに入れることにしてくれた、ということだ。恐らくはその楽曲の良さから、そこは目をつむって採用したのだろう。この曲の入ったアルバム 『オリジナル・サウンド・トラック』 を聴くと、やはりこの曲だけ浮いて聴こえてしまう。
当時僕はこの曲の先にある音楽を聴きたくて仕方なかった。しかし僕の思うその音楽はそこからは現れなかった。ただよくよく考えてみると、この曲がその後の音楽制作に与えた影響は計り知れないだろうし、その影響を受けて生み出された音楽こそが、その先の音楽であるとも言えるのだろう。「今聴いても古くない」とは、そういうことだ。
ではジェイムス・ブレイクの未来はどうか。彼はきっと自ら発展していってくれるんだろうな。そのシリアスでメランコリックな音楽を、新たな視点で僕たちに届け続けてくれるだろう。そこには変わるものと変わらないものが混在し、不変でありながら新しい、刺激的でありながら安寧をもたらす、そういう音楽が拡がる世界が見えるようだ。
ますます寒さが増す中、更に聴き込んでみたい。そういう気分にさせてくれる音楽たちである。
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